思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

東京都板橋区の赤塚溜池公園の落雷現場を見に行く  

2006-08-10 23:30:34 | 普段の生活(日常)
8日朝、東京都板橋区赤塚にある赤塚溜池公園で落雷があり、それで近所に住む63歳の男性が死亡したという報道があった。僕はこの周辺もたまに散歩で訪れている見慣れた地域で、近くには住宅地や区立美術館や首都高速5号池袋線も通っている思いっきり街なかでこんな被害が出たということに驚いた。僕も登山で過去数回雷雲につかまったりもしてヒヤヒヤした経験があり、この世の中で五指に挙げられるくらいに特に嫌いなもののひとつに雷を挙げていることから、雷に関する事件事故の報道はとても気になる。ということでこの現場を9日夕方に、国立競技場にサッカーを観に行く前に確認しに行った。

赤塚溜池公園へ行くには、最寄り駅は都営地下鉄三田線の始発駅・西高島平駅から600mほど南下するのが最も早く行ける方法なのだが、僕はいつものように東武東上線に乗り、下赤塚駅から1.5km北上してこの公園に向かった。公園のすぐ南にある東京大仏や赤塚植物園に行くときもいつもこの経路を徒歩で辿っている。
で、公園に着くと、すでに落雷したらしい木のそばに近所の住民と思われる人たちが木のそばに集まっていて、木を見上げながら亡くなった男性を悼んでいた。木の前には住民手による花や線香も供えられていた。午後の台風(7号)一過で空は晴れ間も見えてきたなか、付近住民がひっきりなしに訪れていた。普段であればここは憩いの場なのだろうが、昨日はそんな雰囲気はなく、訪れた人はみんなやや暗い表情であった。


普段は周辺の散策をする人や遊具で遊ぶ子どもや池で釣りをする人のような、ごく平和な光景が見られる公園。中央の2本の高い木に落雷した。

この報道を最初に聞いたとき、なぜそこそこの広さがある公園で落雷の被害があるのかが気になっていた。ふつうは公園の建物かどこかに避雷針が設置されているもので、それがあれば大丈夫だろう、と思ったのだが、実は落雷した木というのがヒマラヤ杉で(2本並んでいた)、しかも結構生長していて樹高も16~17mほどあり、この公園のなかでも最も高い木であった。そして避雷針もそこから10mほど離れたところにあったことはあったのだが、こちらの高さは11mほどで、つまり避雷針よりも木のほうが高いということ。雷はふつうは地上から高いものに落ちるというから、木のほうが高い現状ではこの避雷針はまったく役に立たなかったということか。


写真右が落雷した2本の木で、左にあるポールが避雷針。道路を走る軽ワゴン車の高さで双方を見比べてもらえるとわかるが、やはり木のほうが高い。

ここに落雷した当時の様子はわからないのではっきりしたことは言えないが、木を見に来ていた近所の人たちのひそひそ話をまとめると、8日朝に男性が落雷に遭ったときはヒマラヤ杉のすぐそばにある瓦屋根付きの公衆トイレに雑談相手とともに雨と雷を避けるために避難していたようだが、雷がその木にピカッと落ちて電流が地上に伝わったとともに、木のやや下のほうの結構長い枝葉がそのトイレの屋根にまで垂れ下がっていて、そのためにトイレの建物のほうにも電流が伝わってきて、たまたまその男性がトイレのやや外側に出ていたときに命中してしまったらしい。その証拠に、トイレのそばには割れた瓦も落ちていた。


写真右奥の建物が公衆トイレ。その屋根に木の枝葉が垂れ下がっている。落雷によってさらに垂れ下がったようだ。

直撃した木のほうは、さすがにマンガやアニメのように幹がまっぷたつになったということはないが、表皮をバリバリと伝わって地上に達したようで、その2本の木ともに表皮が不自然に剥がれていた。その面積も長さも剥がれ方もとても人為的なものではなく、明らかに強力な電流が流れた跡であることがわかる。しかも地上から10mくらいの高さでも表皮が剥がれて元の表皮との色の違いがはっきり表れていたところもあった。


落雷した2本の木を別の角度から。当然ながら、杉が始めからこんな縞模様で生長しているわけではなく、やはり電流が通過した跡だと思う。


上の写真の手前の木のアップ。人為的にこんなにきれいに幹の出っ張ったところの表皮を剥がせるわけはないから、電流が通った道筋であるとわかる。

落雷の避け方は諸説あり、野外でのサバイバル関係の本などでは木の幹から3~4m離れた木の枝葉のなかに隠れて身を低くしていれば大丈夫とか、いや、木の樹高より長い距離を幹から離れていないとダメだ(赤塚のこのヒマラヤ杉の場合は幹から16m以上離れるということか)、とか、いろいろある。最近は前者でも空中放電する可能性があるから、どちらかというと後者のほうが避けられる、らしい。
山で木のような高いものがない場所で雷雲につかまった場合も、立って歩くのは危険で、身を低くしながら避雷針のある小屋や木のような自分の背丈よりも高いものがあるところを探したほうがよいということはよく聞く。でも実際に雷に遭うと、緊張してそう簡単には動けないよね。

僕も最近では2年前に東京・奥多摩で沢登りの終盤に突然雷雲に囲まれて、ピカッと光ってから雷鳴が轟く、を繰り返すあいだの数十秒間ごとに身を低くしながら源頭部を登り、小屋というか岩室のようなものに早足というかほぼ駆け足で避難した、ということがあった。そのときは周りに植林された杉が密集している場所にいたので落雷の心配はないかとも思ったが、雷鳴がどんどん自分のほうに近付いてくることがわかるとさすがに怖く、空中放電の話も聞いているからしぜんに身を低くしながら、併せて襲来した(一時的な)豪雨なんかにはかまわずに、緊張感から心拍数が上がるなかで(心拍数100以上はあったと思う)とにかく早足で雷を避けられる場所を目指した。実際に雷に遭うと冷静な対処は簡単にはできないものだ。
後々考えると、大自然のなかにおいてこのような切羽詰まった状況を体験するというのは、自分という人間はちっぽけな生き物だということを改めて実感できる良い機会ではあったが、机上でなんだかんだ言っても実際に遭遇するとやはり怖いよね。

それに、街なかでも一般的によく言われる時計やネックレスなどの金属品を身に付けていればそれを外すべきとか、ゴム製品のような絶縁製品を身に着けていれば大丈夫というのがあるが、これもまったく意味がなくて、雷は金属ではなくとにかく高いところ、つまり人間で言うと頭から落雷するとのことで、ゴムも強力な電流であれば簡単に通電してしまうとのことで、とにかく身を低くしていたほうがまだ助かる可能性があるとか。まあ頭よりも高い位置で傘を差すのはやめたほうがよいのは明らかか。
さらに、一見安全そうな家のなかにいても、電灯や電話線・コンセントや水まわりから放電することがあり、それらから離れたところにいないと結局は危険、という話もある。ただ、クルマのなかはこれまでの説どおり電流がボディの表面を伝わって地上に抜けるので安全のようだね。

そんなことを考えながら、2本のヒマラヤ杉を1時間ほど近くから遠くから見て、触れて、亡くなった男性のことを想った。地震や台風や大雪とはちょっと質が違うが、雷のような自然の力にも、たとえ街なかであってもそれらをうまくやり過ごす力はいくらかは身に付けていないといかんな、故長谷川恒男が言ったように、現代を生き抜くことは冒険なのだな、と改めて野外での自然体験の重要性をこの街なかの公園でしばし考えた。
こういう自然現象の場合は運の良し悪しもあるのだろうが、その傾向や気象の変化や実際に遭ったときの避け方をいくらか知っていれば、現代を生きていくうえで何も知らないときよりは数段有効なのは明らかなので、少しでも生き延びられる確率を上げるために、野外体験をより積んでそのなかでの意外性を知る努力は怠らないようにしたいものだ。

まあ地球という星は基本的には人智を超越した意外性が重なって成り立っている星だから、その歴史や大気の動きからすると落雷というのはごくふつうの自然現象なのだろうが、それらに対して畏怖の念を抱きながら生きる、というのはいつの時代も変わらないもんだね。そのへんの人間はあくまで「自然のなかで生かされている」という意識が(僕も含めて)現代人はかなり希薄になっていてなまっているように思う。今回の事件を受けて、改めてそんなことを考えた。


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