思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

『最後の冒険家』展の開催期間延長と、石川直樹のここ数年の表現欲への違和感

2009-04-06 03:00:45 | 他人の旅話

2月に触れておくべきだったのにすっかり忘れていたことを。

昨年末に本の話で触れた、石川直樹が熱気球による太平洋横断に挑んで昨年2月に消息を絶った埼玉県出身の冒険家・神田道夫を04年からのふたりの交わりを含めて克明に記録・執筆したノンフィクション『最後の冒険家』(集英社刊、現在2刷)に関する『最後の冒険家』展という展示が、今年2月16日(月)~4月3日(金)まで、東京都千代田区の集英社ミュージアム(集英社の最近建てられた別館の1階)で開催されていた。

これ、本の終盤の「第八章 悪石島漂着」に、08年夏、具体的には7月にこの原稿で獲得した第6回開高健ノンフィクション賞受賞発表とほぼ同時期に、鹿児島県・トカラ列島のひとつ悪石島(あくせきじま)に04年遠征時に使用したゴンドラが奇跡的に漂着したという報せを聞いて、本を出版するにあたってその島に行った話も追記している。
石川くんが島からその連絡を受けて実際に島に渡って、ゴンドラを確認したのちに、それとそのなかに残っていて回収できた装備のいくつかを東京まで運搬して、このたび版元主催でゴンドラ(上の写真参照)と装備のいくつかを展示していた。この話は昨年の雑誌『Coyote』No.33でもカメラ回収に絞って詳細に書いていたな。

本の193ページに石川くんがそのとき発見した装備について触れているが、そのうちカメラ3台(キヤノン・EOSKiss、ニコン・FM2、フジ・645Zi)、時計、ビデオカメラ、衛星電話、高度計、パルスオキシメーター(SPO2=経皮的動脈血酸素飽和度を測定する小型機器。主に病院や高所登山・トレッキングで健康状態の判断の目安として利用されている)、無線機、双眼鏡、衛星携帯電話、ヘッドランプ、手袋、酸素マスク、目出帽、インナー手袋、がガラスケース内に展示されていた。
4年半の漂流でそれぞれボロボロになってはいるが、それでもまだしっかり原形を留めているモノもあり、当時の熱気球「天の川2号」が太平洋上に不時着したのちに漂流したが巨大コンテナ船に運良く救助されて、それ以降のこの装備たちの時間の流れをいろいろ想像してそれが膨らんで、冒険的な行為に挑むことについて再び考えさせられる、この本の読者や神田さんに思い入れのある者にとっては興味深い展示であるね。

で、僕はこの展示を2月下旬に観に行っているが、先週3日(金)で終了するということでその直前の2日(木)に再訪してみたら、好評につき来月8日(金)まで開催期間の延長が決定していた。しかもこの展示場所の開館時間は平日の9時30分~17時30分なのだが、先週末の4日~5日と来月2日~6日のみ土日祝日も特別に開館するとのことで、平日に行くのが厳しくて見逃していた人には朗報か。本の読者や神田さんのこれまでの熱気球遠征に大なり小なりかかわった人はぜひ見ておくべき展示だと思うけどなあ。

ちなみに、2月の展示開始当初から最近追加された展示に、3台のカメラから回収した3本のフィルムがあった。これは『Coyote』でも触れていたが、各カメラメーカー(キヤノン、ニコン、フジフイルム)の技術者にフィルムの回収と現像を依頼したが、さすがに4年半も漂流しているだけに結局は何も写っておらず真っ黒もしくは真っ白だったが(ニコンのカメラのみフィルムの巻き方が逆だっけか)、逆にもし何か写っていたらそれこそ奇跡だな。その漂流時間の長さをモノを見ながら感じるだけでも楽しいと言ったら語弊があるが、まあ興味深い。これを石川くん流に表現すると、「カメラも太平洋上の海流を旅してきた」ということになるか。

繰り返しになるが、本の読者や神田さんの関係者はぜひ見に行くべし。


それから話が大きく変わるが、1日の投稿で最近いろいろな旅人と対話する機会があったことについて触れたが、偶然にもそのなかでほぼ全員からこの本や展示も含めた石川くんのここ数年の写真や文章による表現活動(仕事)への批判的な言い分を立て続けに聴いたりもした。自己陶酔型の表現だ、ホントに自分ひとりで撮ったり書いたりしているのか疑問、表現(取材)対象が多すぎて結局は何を伝えたいのか、など、いろいろあった。

まあそれは賛否どちらにせよ彼のここ数年の仕事に興味関心があるということの表れなのだが、僕は本ブログでも度々触れていることからもわかるように基本的には同年代である石川くんの表現はおおむね好きだし共感できる部分も多いのだが、その一方でここ数年の出版業界、とりわけ旅関連の媒体で彼の毎月何かしらの雑誌に頻出している様子を見ると、「旅」を「商売」にしすぎでは? という違和感もあるにはある。最近の雑誌『PAPER SKY』no.28ではついに雑誌の表紙にも登場しちゃったし。画的にそれはどうなんだ?

石川くんの出版業界においての仕事ぶりは彼が今ほど有名になる前から、本や写真集なんかまだ出版していない頃から見ているが、最近は始めから取材名目で出かけることも増えているようだが基本的には自分がまず旅して体験して、それをのちに写真なり文章なりで再現する、という体が基本なのはほかの旅関連の作家やライターとほぼ同じで、『最後の冒険家』に限って考えても元々は「遊び」と言ったら失礼だが神田さんきっかけの当時はもちろん表現云々や損得勘定なんて眼中にない「空の旅」に出て、のちにそれを執筆によって再現して出版して「仕事」に昇華している。

が、ここ数年はほかの表現対象について見ると(スターナビゲーション、ホクレア号、ニュージーランド、極地、祭事、富士山、壁画、家屋など)、とりわけ雑誌記事についてはその取って出しのペースが速いし表現対象が多岐にわたっていてつまり風呂敷を広げすぎなのでは? 旅で見聞きしたことがちゃんと自分のなかに吸収されているのだろうか? それが即座に表現することによって自分の身体に貯まらず(血肉にならず)に右から左へすり抜けてはいまいか? と余計な心配をしてしまう。
それとも、旅の只中にいる時間(インプット)よりもむしろそのあとに対象を表現として完成させる作業の過程(アウトプット)のほうがそれを吸収・定着できる時間と捉えていたり、しかも表現対象がそれぞれ独立したものではなくて自分のなかではすべての点が線でつながっている横断的なもの、と見ているのかなあ。

まあ媒体露出が盛んということは、それだけ商業出版に見合う表現の撮り分けと書き分けが間断なくできている、つまり写真家・作家というか表現者として出版の現場から認知されているという証拠で(相対する出版関係者の仕事の質、出版業界外の石川くんの評判、彼のかかわる媒体の需給バランスはこのさい置いておいて)、昨年も石川くんの写真展を2本観に行ったときにもその受付にあった芳名帳を見ると写真・出版関係者の名前がずらずら並んでいたくらいだからなあ(なかには石川くんよりも一般的に有名な写真家や作家の名前もちらほらあった)。

それにしてもその露出の多さを見るにつけ、おそらく石川くんの祖父である芥川賞作家の故石川淳からの隔世遺伝による表現欲の深さには感心を通り越して最近は呆れることもある。
まあこれは、なんだかんだと理由をつけて彼ほどは行動できない低調な“自称旅人”からのやっかみと言われればそれまでだが、ここ数年の石川くんは「旅」をすること自体よりもそれを表現して「商売」につなげる欲が無意識のうちに先走っているように見えて、それでは彼がマミヤ製中判カメラを携えて世界各地を巡っている行為は07~08年の中田英寿と同様に損得勘定抜きのまずは自分のための純粋な「旅」とは呼べないのではないか、とも思ってしまう。まあどこまでが純でどこからが不純かの線引きも人それぞれ基準が異なるから判断はつきにくいし、もちろん「自分探し」ではないんだろうけど。

また、今年に入ってからの最新の「仕事」のひとつに、『最後の冒険家』と同じく集英社刊の文芸誌『すばる』09年4月号から始まった連載があり、これは東京都・山谷と大阪府・釜ヶ崎と並んで“三大ドヤ街”と称される神奈川県横浜市・寿町の中心に08~09年の年末年始にひょんなきっかけで短期滞在できることになってその地区をつぶさに視てきたことを書いてゆくようだ。これは「旅」とはまた違った文化人類学的? な香りのする記事になるのか。でもこれもやはり、ほぼ取って出し状態で「仕事」つまり「商売」になっているのよね。商業誌に即座に執筆しているだけに。

それから、写真に限って考えても、石川くんは本分の写真家として受ける取材などで自分が見たままの光景を撮る、記録する、それをとにかく受け手と分かち合いたい、とよく言っているが、その撮影の現場で後々に写真集などで他人に見せることが前提で被写体へカメラのシャッターを押すという計算がホントにあるのかないのか、それは当人にしかわからないが、どうも最近の『Mt.Fuji』(リトルモア刊)などの写真集のまとめ方を見ると現場でも「記録」よりはそういった計算のうえでの「表現」のほうが先走っているような気がする。まだ最初に出版した写真集の『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』(中央公論新社刊)のほうが旅を「記録」しながら自らもおおいに楽しんでいる雰囲気がちゃんと伝わってくるけどなあ。2冊目の『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン刊)以降はあえて悪く言うとカッコつけの写真になっている、と僕は感じる。
まあこれは受け手の写真の好みにもよるが(文章も同様か)、石川くんの写真には違和感があると断言しているその分野に精通している僕の友人(彼の出身大学の大先輩にあたる)からすると、淡々としすぎていて血が通っていない、それに表現を商業的なことへとにかく結び付けようという意識が作品から目立つ、ということなのかなあ。そんな言い分を聴くとまたいろいろ考えてしまう(例えば、東京都・国立新美術館で来月6日まで開催中の「アーティスト・ファイル2009」に写真家というか「芸術家」のひとりとして参加していることは認められるのか? みたいな)。

僕もここ数年で趣味として撮影者の老若男女問わず数百の写真展を観てきたなかで、石川くんの写真には写真展からも写真集からも淡白さや無機質さばかりを感じることがよくあり、それはそれで作品としては悪くはないのだが、しかしそれを意図的に計算しながら出しているふうに透けて見えてしまい、そうなると共感よりも違和感のほうが多めに発生するのよね。
まあそれ以前に僕個人的にだが、世界の他地域の他人の日々の営みを写真で切り取らせてもらうことが自分の「作品」である、と嬉々として堂々と謳っている(他者への敬意や配慮に欠ける、ある意味失礼な?)写真家が多いために昨今の写真業界に違和感がいくらかあるせいで、ついそういう批判ありきの偏った見方になってしまうということもあるけど。
でもまだ石川くんの写真からは、特に自然への畏敬の念が少しは感じられるかな。どうだろう?

おっと、後半はなんだか石川くん批判みたいになってしかもそちらのほうが長くなってしまったが、でもこれに近い意見を最近ほかの旅人からもよく聴いているため、仕方ない。本項はその人たちの代弁のようなカタチにはなったかもしれない。
ただ先に挙げたように、基本的には彼は表現者としては好き。でも最近は「旅人」として見るには違和感がある。「旅」を食べていくための生業として表現によっていくらか切り売りする必要があるのはわかるが、それをやりすぎ、ということ。まだ旅主体のノンフィクションの分野では椎名誠や高野秀行や服部文祥のほうがひとつの物事にじっくり取り組んでいて数段濃い血が通っている印象があり、そちらのほうがより親しみが持てる。

僕も本ブログのタイトルで「旅」は「仕事」だ、と謳っているが、それは「旅」を金銭を得るための手段にしていく、つまり「商売」に固執していくという意味ではなく、ヒトが一生のなかで費やす大多数の時間(一般的には賃金労働だが)を旅に出たりそのあれこれを考えて見極めることに費やしたい、という意味で「仕事」と謳っていて、現在の石川くんのように「旅」を即座に「商売」に結び付けようとは思っていない。自分の旅で得たことや周りの旅事情も鑑みて導き出された自分なりの考えをもっと咀嚼したいから。僕は石川くんよりも旅に関する物事の咀嚼の速度が遅い、もっと簡単に言い換えると僕は食べ物を噛む時間がかかりすぎということなのかな。

繰り返しになるが、やはり「旅」を「商売」として過剰(普段の生活の必要最低限以上)に絡めてしかも多種類の事柄を同時進行? でそれぞれつまみ食いするというか大風呂敷を広げるというのは、あえて悪く言うと自分の行動力とともに表現欲や知識欲の深さを周りに見せつけたい(それこそ自己陶酔?)、それを格闘家風に言い換えると「技のデパート」状態を自慢しているだけでは? という見方もしてしまい、自分の立場を「旅人」と位置付けるのであればどうしても不純な行為だと思うんだよなあ(表現欲の強弱の問題か)。
これは石川くんに限ったことではなく、有名無名問わず「旅」を撮ったり書いたりする人全員に言えることだけど。

まあここで戯言を挙げたところでその欲深さを感じさせることもなく相変わらずの(熱血的な雰囲気も出さずに)飄々とした風体で今後も世界各地を旅し続けるであろう石川くんの表現活動が廃れることはしばらくないだろうし、受け手(読者)が離れることもそんなにはないだろう。が、05年の南米の事故のようなちょっとしたきっかけから足をすくわれることがまた起こらないように、という面からも一応気にしておく。陰ながら応援はし続けるけどね。

とりあえず今回、集英社によって石川くんの「仕事」の一端となってしまった、『最後の冒険家』展を見に行った友人知人の感想を片っ端から聴きたいなあ。


※2009年6月某日の補足
雑誌『BRUTUS』No.664 によると石川くん、現在はカメラはマミヤではなくプラウベル・マキナ670というのを使用しているのね。変更したのは知らなかった。
記事中で世界各地への行動に道連れにして酷使しているそのカメラを写真で見せていた。それだけ肌身離さず携行して撮り歩いているということか。


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