アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

高倉健の人間性は何処から 1

2013年04月27日 | 近世歴史と映画

83年から4年にかけて、FM東京で『アウトドア・スタジオ』という番組を毎週やっていた。

沢木耕太郎が合いたいと思う人と好きな場所で好きな話をする、

というなかなか楽しい番組で。思い返すと、それには実に多くの方が

ゲストとして登場していた。吉永小百合、美空ひばり、阿佐田哲也、

中島みゆき、それに高倉健も出てた事があった

 

 高倉健とは、北海道の牧場に泊まり込んで、二日がかりで録音した。ラジオの番組としては

異例の贅沢さだが、夜遅くまで話しつづけたと、聞いている。

 このときの高倉健については粋な後日談かある。東京に帰った数日後に、

ディレクターが出演料の取り決めをしていなかったことに気づき、高倉事務所

におそるおそる電話をした。ディレクターがいくらギャラを払えばいいのか尋ねると

事務所の女性がこう言ったそうである。

ラジオの予算では到底お払いになることはできない額だと思います」。

ディレクターは、青くなりかけたが、事務所の女性の言葉には、

さらにその先があった。

だから、一銭もいただかなくてよいと申しております」。

なを、その放送をもとに文字化されたこの対談は、84年1月2・9日号の「平凡パンチ」

に掲載されている。

 その中で、高倉健は 僕も沢本さんと同じように、北九州の小さな炭鉱町の、

三つある映画館は父の顔でフリーパスだったんで、よく見ました。

映画俳優に自分がなるなんていうのは思ってもなかったですけど、

ちょうど英語会話なんてのがブームになっていましてね、

対訳テキストなんていうのがあった。『哀愁』ですか、ロバート・テーラーとビビアン・リーの

『ウォータールー・ブリッジ』という、その訳本なんかを買って覚えました。

もちろん英語の勉強のためだけでなく、映画のすばらしさと両方だったでずけど、

英語の台詞をみんな覚えてましたれ、この次はこう言うはずだ

なんて……。

 

高倉健本人は本家だと言っているが、生家である濠を巡らし格式ある屋敷である。          

 

生後間もない、学校の先生だった母との写真

 

軍人だった父、若い頃相撲で鍛え、威圧感が有り「亀ヶ嶋」の四股名を持っていた。

東筑高等学校一年生当時の写真、腕時計にバスケットシューズやはり裕福だったのだ

 約80年前の写真が残されている事は、写真館が家に訪れ撮影したと考えられる

一般家庭では、できないことだ。

≪福岡県立東筑高等学校(ふくおかけんりつ とうちくこうとうがっこう)は、福岡県北九州市八幡西区にある

  共学の 県立高等学校で、100年以上の歴史を持つ県内有数の進学校であり、

       特に同じ北九州市内にある福岡県立小倉高等学校とは比較されることも多い≫

 

 



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2 コメント

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Unknown (迷道院高崎)
2013-04-27 07:33:58
なるほどー。
環境が人をつくるんですね。
全て、環境のせいにしてはいけませんが。
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三つ子の魂百までも (wasada49)
2013-04-27 13:08:11
現代のお母さんは1歳未満でも、預けて仕事
それが、将来どうなるか解りませんが、

最新作「あなたへ」でもスタッフ全員に特製の
サイン入りベストを贈ったそうですし
やはり感性に影響を与える事は多いでしょう。
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