アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の五拾八 忠治処刑の詳細の九

2013年11月29日 | 近世の歴史の裏側

 


 惣右衛門の手記には、別に半紙二つ折りで表紙共十枚の記録で、

表書に、寛永三年十二月廿一日「 御仕置ニ付御出役扣」とある。

忠治を江戸から大戸に送る際の道中の行列順から記載されている。

御場所迄行列之次第

 捧持帯刀一人 三ノ倉村源肋

              板鼻宿 助 蔵 帯刀 

 先

              同 宿 半三郎 帯刀

捧持帯刀一人 大戸村惣右衛門

 

高崎戸左衛門帯刀    箕輪喜左衛門帯刀

長岡久兵衛帯刀     磯部三右衛門帯

 

東上芝 三十郎              帯刀壱人      

        高崎 味右衛門 帯刀 

        草津 三右衛門 帯刀

西上芝 滝右衛門             帯刀壱人 

        帯刀壱人       同断

御出役           共方

    藤次郎            同断 宰領善七方

御出役           共方

        帯刀壱人       同断

捨  槍持帯刀 手替壱人 棒持壱拾五人  帯刀壱人

  手伝人足 囚人

札  槍持帯刀 手替壱人 棒持壱拾五人  帯刀壱人

          手替壱人     村人足数多略之

 帯刀壱人     手替壱人 先払ひ 御代官様手代

          手替壱人    諸人足数多故略之

小者御供廻不数知、略之

               続く

以上の説明については、次回に致します、。