アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の四拾五、清五郎への判決書

2013年11月05日 | 近世の歴史の裏側

 

一、清五郎儀、無宿忠次郎一同を博奕渡世同様にいたし歩行 (あるき)、

其上同子分無宿文蔵儀博奕賭銭之儀に付無 宿伊三郎と及口論、同人より

打擲受候を忠次郎憤り、伊三郎を殺害致し候節携候儀は、無宿共其頃

右文蔵其外同類の者共捕方御手配有之趣承り、一旦村方逃去候も直に立戻、

同様忠次郎に随従いたし罷在、殊に同人申付を受代貸元に成り、

博奕相催、剰へ村方地内外一ケ所、其外所々野田・山林等に於て村内

次郎右衛門其外名住所不存もの共手合にて博奕相催候節は、其身代貸元に成り、

手会之者共よりてら、口之子と唄へ銭受取、迫而忠次郎病気に付申趣同国

五目牛村仲右衛門養女とく方より為知越参り候処、忠次郎と兼て密通之上妾

同様に致し置候まち方え一旦連戻旨とく申聞、忠次郎とは兄弟之契約致し候

身分、病中難見捨場合と存じ、まちは折節留主中に付、当方差支可申とて、

次郎右衛門外二人申談、一同にて忠次郎を居宅を連参り、又は同人任申村方

山中え小屋掛致し引移、附添看病いたし居、其砌右病中御召捕方御手配有之候而は難逃、

金子取集、関東御取締御出役道案内之者え相送り候て御見遁貰度、

是久忠次郎任申、右とく其外無宿文次郎等申合せ、其身も金子差出兼而、

右御出役、道案内等心得居候同国桐生新宿箕助其外六人方え金子持参相渡、

猶ほ忠次郎儀同国田部井村宇右衛門方に於て養生可致と同人宅え罷越候節も、

次郎右衛門等にて送り候始末方不屈に付、遠島被仰付候間共旨可存段被仰渡候。

 

今回は、病になった忠治を妾達がたらい回して賄賂を渡した様子が克明に記載されていますね。