アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の五拾五 忠治処刑の詳細の六

2013年11月26日 | 近世の歴史の裏側

 

 組合の者人足追々被参、同十九日より御場所小屋懸始る。

是は小屋掛は善七(註、車善七)鑓付の者致ス。組合当番

小頭手伝致ス。杉丸太五十本の義は廻りめ郷山ニて御役元

ニて貰ひ伐る。本は唐松ニて致す。御罪場入用の品々、莚は

大谷沢ニて買取る。尤組合人足ニテ引取る。篝火の木は

槙ニて稲田良作様ニて才蔵買取るる。山刀の儀は同稲田嘉兵

衛様より買とる。鋸は天狗平伝次郎様よりかひとる。右の

品は才蔵方ニて買求める。尤小頭下知ニていたす。

是は小屋人足ニて御罪場へ参り、材木、鋤、鍬、銃把(註、熊手)

竹九拾本、是は三ノ倉ニて出来いたす。十九日組合人足ニて参る。

十九日晩御地方より四ッ時御役元様より浅草出役様へ、酒剣菱五升、

雉子二羽、同善七出役の方へも剣菱五升、雉子二羽くださる。

 

 刑場工事の経過を説明しているのがこのくだりであるが、

諸材料を近くで集めたことが詳しく記されている。十二月十九日

より小屋掛けが始まり、唐松の丸太、ムシロ、カガリ火の槇(まき)、

山刀、鋸、竹というように品々を集めてつくった。刑場のことに

当る弥左衛門と車善七の処刑役へは、十九日の夜に名酒剣菱五升と、

キジニ羽、が村役人から贈られた。

 

                    続く