人として賢くありたいむらっちん!です。
六月ですね。
今月の初めは、葬儀に参列していました。
東北への往復する間、いろんなことを考えました。
まず、今まで出たことのある葬儀を思い出して
次に、今の自分は粉の葬儀でどうあるべきかを考えました。
祖母の時と叔母の時。
親戚が集まるのが嬉しいけど、哀しみに沈む姿を元気づけたくてたくさん話したりしていたら
葬儀なのにはしゃぎ過ぎだと頭はたかれたり、
火葬のために扉がしまった途端涙止まらなくなったり
何を手伝えばいいのかわからなくておかしなテンションになったり。
家も違う
地域も違う
宗派も違う
そして、旦那は長男。
長男の嫁という立場の自分の母を見ていたので、自然に緊張します。
いつも目覚ましのアラームが聞こえないほどぐっすりなのに、この日は3:30頃に目が覚めて
夜明けがあまりに綺麗に感じたので朝日を拝んでみたり、
7時半出発なのに6時にはすっかり支度が整うという緊張ぶりです。
おかげで洗濯機を2回も動かして洗濯ものを干してからから出られたという・・・。
自分が生まれた時には、父方、母方の祖父は他界してたので、法事の度に祖母からお寺の話を聞いたり、この時はこうしなさいと練習させられた覚えがあります。
まだまだ未熟ですが、そのおかげで少なくとも自分の兄弟の中では最も仏事に関して覚えているんじゃないかと思います。
故人の名誉を傷つけたりしないようにと強く思いながら向かいました。
結婚したことで、義理の祖父であろうと生きている「祖父という存在」ができたむらっちん!です。
お家にお邪魔するようになったときにはもう体調を崩し始めた頃。
たとえ「こんにちは」と挨拶した事しかなくても、特別な存在です。
葬儀や法事で親戚が集まって供養をする。
どの場面でもむらっちん!にとって毎度気付くことがあって有意義であります。
今回はただ行っただけで手伝える事も多くは無かったので、少しずつでもそんな時に動けるようになりたいです。
お祭騒ぎでは決してないけれど、賑やかにお酒を飲む事、
さめざめと泣くお葬式が多かったむらっちん!にとって、意外なことで、これもまた、弔いの形なのかなぁ、と思いました。
受験生でもある以上、もうすぐ試験なのにという気持ちが無いわけではないですが、人とのつながりはより大切にしたいと思っています。
今回故人の親族として参列させてもらえたことは、より、夫であるokapiさんの家に入ったんだなぁという自覚を強めました。
同時に、入籍から一年、葬儀という場をもって相手を家族として改めて認識するという機会ともなりました。
おじいちゃんが最初で最後に、嫁として入ったむらっちん!に遺してくれたものかもしれません。
じいちゃん、ありがとう。
六月ですね。
今月の初めは、葬儀に参列していました。
東北への往復する間、いろんなことを考えました。
まず、今まで出たことのある葬儀を思い出して
次に、今の自分は粉の葬儀でどうあるべきかを考えました。
祖母の時と叔母の時。
親戚が集まるのが嬉しいけど、哀しみに沈む姿を元気づけたくてたくさん話したりしていたら
葬儀なのにはしゃぎ過ぎだと頭はたかれたり、
火葬のために扉がしまった途端涙止まらなくなったり
何を手伝えばいいのかわからなくておかしなテンションになったり。
家も違う
地域も違う
宗派も違う
そして、旦那は長男。
長男の嫁という立場の自分の母を見ていたので、自然に緊張します。
いつも目覚ましのアラームが聞こえないほどぐっすりなのに、この日は3:30頃に目が覚めて
夜明けがあまりに綺麗に感じたので朝日を拝んでみたり、
7時半出発なのに6時にはすっかり支度が整うという緊張ぶりです。
おかげで洗濯機を2回も動かして洗濯ものを干してからから出られたという・・・。
自分が生まれた時には、父方、母方の祖父は他界してたので、法事の度に祖母からお寺の話を聞いたり、この時はこうしなさいと練習させられた覚えがあります。
まだまだ未熟ですが、そのおかげで少なくとも自分の兄弟の中では最も仏事に関して覚えているんじゃないかと思います。
故人の名誉を傷つけたりしないようにと強く思いながら向かいました。
結婚したことで、義理の祖父であろうと生きている「祖父という存在」ができたむらっちん!です。
お家にお邪魔するようになったときにはもう体調を崩し始めた頃。
たとえ「こんにちは」と挨拶した事しかなくても、特別な存在です。
葬儀や法事で親戚が集まって供養をする。
どの場面でもむらっちん!にとって毎度気付くことがあって有意義であります。
今回はただ行っただけで手伝える事も多くは無かったので、少しずつでもそんな時に動けるようになりたいです。
お祭騒ぎでは決してないけれど、賑やかにお酒を飲む事、
さめざめと泣くお葬式が多かったむらっちん!にとって、意外なことで、これもまた、弔いの形なのかなぁ、と思いました。
受験生でもある以上、もうすぐ試験なのにという気持ちが無いわけではないですが、人とのつながりはより大切にしたいと思っています。
今回故人の親族として参列させてもらえたことは、より、夫であるokapiさんの家に入ったんだなぁという自覚を強めました。
同時に、入籍から一年、葬儀という場をもって相手を家族として改めて認識するという機会ともなりました。
おじいちゃんが最初で最後に、嫁として入ったむらっちん!に遺してくれたものかもしれません。
じいちゃん、ありがとう。