嵐山から嵯峨野を歩いたときのこと。----①から続く。
二尊院を出て閑静な住宅街を歩き、10分ほどで着いたのが、今回一番行きたかったお寺の「祇王寺」。
尼寺の「祇王寺」は平清盛ゆかりの場所。
「平家物語」にも出てくる悲恋で有名な寺院で、都を去った白拍子の祇王が母親と妹と一緒に住んだところ。
祇王寺といえば苔、というぐらい苔の名所になっていて、入ってすぐ一面、苔が広がっている庭が目に入り、林の中の苔の上にところどころ散っている椿の赤い色が何とも言えなかった。
[祇王寺の苔林]
[イカリソウとニリンソウ]
ここは決して広いお寺ではなく、ほんの少しの時間で見て回る事もできたが、もったい気がして、水琴窟や苔の中に咲いている花を見ながらしばらく時を過ごした。
祇王寺で長い時間を過ごし、更に奥の方に歩いて行った。
この辺りは奥嵯峨と言うらしいが、ここまで来ると観光客もまばらで静かで落ち着いた場所になっていた。
そして着いたのが「化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)」。
今までのお寺とはちょっと違った雰囲気だった。
[西院(さい)の河原]
「化野念仏寺」は野ざらし状態の遺骸を埋葬するために、空海がお寺を建立したのが始まりらしい。
平安時代は風葬が主流だったが、その後は土葬が一般的となり、そのために石仏が作られるようになった。
そして念仏寺には、約8,000体の石仏や石塔が並んでいる。
その場所は「賽の河原」に似ているということで、「西院(さい)の河原」という名前になった。
徒然草の中にも出てくる化野、「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん」。
(あだし野から、涙が無くなる事も、鳥部山の煙(火葬)が無くなる事もない。命もこの涙や煙のように無くならない永遠のものであれば逆に面白くない)
といったところかな?
殺伐とした風景を見ると、何となく虚しく、また儚いという言葉が浮かんできた。
気を取り直し、最後に向かったのが「大覚寺」。
念仏寺からは少し距離があったけど、その分観光客も少なくのんびりと歩けた。
ところが、着いたのが16時15分、参拝受付は16時30分まで、参拝は17時までだったので、ゆっくりと見て回ることもできず、結局庭だけしか見ることができなかった。
「大覚寺」は嵯峨天皇の離宮を寺とした門跡寺院のため、お寺全体が御所のような雰囲気だった。
[左近の桜]
御影堂から白砂の庭越しに見た勅使門。
この辺りの様子が御所に似ていると思った。
[石舞台]
中央にあるのが石舞台。
[大沢池]
お寺の東側には中国の洞庭湖を模して造られた大沢池があった。
約1kmある池の周囲には桜が植えられていて、平安時代からあったのかどうかは分からないが、雰囲気は平安朝そのものと言った感じだった。