和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

今よりは秋風寒く。

2020-10-11 | 本棚並べ
せっかくなので「清川妙の萬葉集」(集英社)から、
その第2章「挽歌」の最後「弟への挽歌」を引用。
パラリとひらいた箇所が、そこだったのでした(笑)。

「・・大伴家持(おおとものやかもち)にも、また、
すぐれた挽歌がある。天平11年(739)、家持が20歳を
越えたばかりのころ、彼が愛したひとりの侍女がこの世を去った。

今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む

・・・・秋になると、邸の階段の前の石だたみのそばに、
なでしこの花が咲いた。その花を見れば、家持はまた
こう歌わずにはいられなかった。

秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

『秋さらば』は秋になったら。秋になったら、この花を見て
私のことを思い出してねと、あの人が植えた庭のなでしこが咲いた。
家持の挽歌は、まだ青春の純情さをそのままに、率直に歌いあげられ
ている。・・彼女に捧げた挽歌を、家持は、このとき長歌一首と
短歌十一首も詠んでいる。
29歳のとき、家持は越中守として、越中国庁のある今の富山県
高岡市に赴いた。弟書持(ふみもち)も途中間まで兄を送るといって、
奈良山を越え、泉河の河原までついてきた。・・・・・

別れた家持は、ある日突然、愛する弟の死の知らせを受けとったのだ。
石竹(なでしこ)の咲く秋に、兄の恋人の死をともに嘆いてくれた弟。
その弟もまた、時もあろうに、穂のすすきがそよぎ萩の花が色づく秋に、
それらを愛でることもなく逝ってしまった。家持は長歌を作り、その
註として、【この人、人となり花草花樹を愛でて、多(さは)に
書院の庭に植う】とも記している。

かからむとかねて知りせば越の海の荒磯(ありそ)の波も見せしものを

こんなことになろうと前からわかっていれば、越の海の荒磯(あらいそ)
の波も見せるのだったのに、海のない奈良の都に育った弟には、
この日本海の荒々しい波は、さぞ珍しかったであろうに、
この家持の思いは、だれでも味わうものである。

私は今、この原稿を、信州の静かな山の宿で書いているが、うっすら
と色づきかけた秋の山、たぎり落ちる渓流を眺めながらこう思う。
ああ、母の生きているときに、一度ここに連れてきておけばよかった。
瀬戸内海に近い村で育った母は、信州の山の風景をどんなにか珍しがり、
喜んでくれただろうに。【かからむとかねて知りせば】ーーこのことばは、
愛する人を亡くしたすべての人の心の共通項ではなかろうか。」

このあとに、作者不明の挽歌を三首ならべておられるのですが、
ここには、その最後の一首を引用することにします。

「・・・・・リアリズムでしめよう。

幸(さき)はひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く

いったい、どんなしあわせ者なのか。黒髪が白くなるまで、
妻の声が聞ける人とは。自分自身は、早く妻を亡くしてしまった人の
なまの声である。
遠い昔の万葉の時代も、人の心の喜怒哀楽は今の時代と変わりはない。
この歌なども、早く妻を亡くした人の嘆きの声も、その裏返しの、
共白髪の喜びも、今の世にそっくりそのまま通じるものである。」
(~p150)



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