和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

庭を見て・・歌を詠みなさい。

2022-01-29 | 詩歌
松坂弘著「岡野弘彦の歌・現代歌人の世界1」(雁書館・1990年)。
このはじまりのページに、岡野弘彦氏の本からの引用がありました。
はい。気になったので、その本を注文し、昨日届く。

「岡野弘彦 短歌に親しむ・NHK短歌入門」
(日本放送出版協会・昭和61年)。
はい。送料共で351円。帯付きできれいな一冊です。
何だか、線引きがしにくいなあ。表紙カバーの絵は
森田曠平の「二上山来迎〈当麻曼陀羅縁起〉」。

( 私は、第一章「わが歌の縁(えにし)」のみ読了。
  もうこれだけで満腹。先を読み進められない。
  いつものことで、これが私の常態なのでした。
  こういう性格は、いまさらもう改まらないし。
  私の読書はいつもこんな感じです。ご了承を。 )

面白いことに、若水をくむ時に三度となえる言葉が、
微妙に、二冊の本でちがっておりました。

今朝くむ水は 福くむ水くむ 宝くむ命ながくの 水をくむかな

はい。これが「岡野弘彦 短歌に親しむ」p16にありました。
松坂弘著「岡野弘彦の歌」では、「次のように述べている」として

今朝くむ水は 福くむ水くむ 宝くむ 命ながくの 水をくむかな

う~ん。三回となえるのだから、
いろいろと、となえかたをかえたのかもしれないし。
これはこれで、面白い問題なのですが、
これまでにしておきましょう。

さてっと、『短歌に親しむ』では、つぎにこんな箇所も
ありました。

「新しい白木の桶に、手の切れるような冷たい若水をくみあげて、
 家で待ちうけている母に渡す時の、誇らしく引きしまった気持を、
 今もありありと思い出します。」(p16)

第一章を読んで、私が気になったのは『庭』でした。
岡野氏は釈迢空を先生としておられるのですが、
こんな箇所がありました。

「私が学生の頃から入会して歌を作ることを教えてもらったのは、
釈迢空の指導する『鳥船』という歌の会でした。その会で一番
きびしくきたえられたのは、即席で写生歌を作ることでした。
歌会の日に先生の家へ定刻に集まると、

『この庭を見て、30分で3首の歌を詠みなさい』とか、
 新しい掛け軸が掛けてあって、
『この絵を見て20分で2首作りなさい』とか言いつけられるのです。
 ・・・・」(p24)

『庭』が、第一章のところどころに顔を出します。
うん。ここはバラバラに引用を続けます。

「先生は一生独身で、養子になった方も硫黄島で戦死しました。
昭和22年の2月11日、先生の誕生日なので、私は先生の家へ行って
薪(まき)を割り、先生の好きな風呂をわかしました。
まだまだ物の不自由な頃でした。
夕方になって帰ろうとすると、短冊に歌を書いてくださいました。

 けふひと日庭にひびきし斧(オノ)の音しづかになりて夕べいたれり

私の一日のはたらきをねぎらってくださったのでした。
・・・」(p17)

「当時の私には短歌でその思いを表現する力が、
ととのっていませんでした。・・・・

たたかひの後ひたすらに思ひしは庭きよき家まぼろしの妻

のちに私は、当時の自分の思いをこんなふうに歌ったことがあります。」
(p30)

ちなみに、第一章のはじまりには色紙が写っています。
岡野氏ご自身の筆でかかれた文字があり、下には解説があります。

餅花(もちばな)のすがしき土間におりたてる
   睦月(むつき)の母の聲徹るなり

「元旦の朝、餅花のすがしく揺れている玄関の土間に立って、
年賀の客にうけこたえする母の声が、ひときわさわやかに、
歯切れよく聞こえてくるのでした。少年の日の正月の記憶です。」(p15)


こうして『庭』から『土間』と引用をしていると、
いけません。伊藤静雄の詩が浮かんできました。
うん。読んでもわからないので、ただ3篇の静雄の詩を引用。

     庭の蝉

  旅からかへつてみると
  この庭にはこの庭の蝉が鳴いてゐる
  おれはなにか詩のやうなものを
  書きたく思ひ
  紙をのべると
  水のやうに平明な幾行もが出て来た
  そして
  おれは書かれたものをまへにして
  不意にそれとはまるで異様な
  一種前世(ぜんしょう)のおもひと
  かすかな暈(めま)ひをともなふ吐気とで
  蝉をきいてゐた

人文書院の「定本伊藤静雄全集 全一巻」(昭和46年)は
編集者が桑原武夫となっております。この本には日記も掲載
されていて、その日記の昭和16年と昭和17年に
どうも同じ詩を推敲しているのが、そのままに掲載されていました。
まずは、昭和16年の箇所から

「      夏の庭

   ひとやむかしのひとにして
   ひらめきいづる朝の雲
   池に眠むれる鯉のかげ
   薔薇はさきつぎ

   われやむかしのわれならず

   ひとはむかしのひとにして

   薔薇さきつぎ
   ひらめきいづる朝の雲
   池のねむれる魚のかげ

   われはむかしのわれならず   」(p266)


次は、昭和17年の日記から

「  ひとはむかしのひとにして
   
   薔薇(そうび)さきつぎ
   ひらめきいづる朝の雲
   池にねむれる鯉のかげ

   われはむかしのわれならず

   われはむかしのわれにして

   薔薇さきつぎ
   ひらめきいづる朝の雲
   池にねむれる鯉のかげ

   ひとやむかしのひとならず


やはり疲れてゐる。竹のまばらにはえた明るい庭
(赭土の地面)に面した縁でねたい。・・・」(p268)


ところで、『短歌に親しむ』には
岡野弘彦氏による「まえがき」のような2ページの文が
あるのでした。そこを引用したくなります。

「今年の夏、初めてヨーロッパを半月ほど旅しました。」
こうはじまっております。

「その旅中、私は一冊の短歌、俳句の詞華集を持っていって、
・・・・宿に泊まった夜、眠りにつく前のひと時を、
定型の中の日本の小さな詩歌に心をあそばせました。

そっとたずさえて来た宝石箱を、異郷の空の下で
見つめているようないとしさでした。
そして、これから後この小さくやさしい定型詩の運命は、
どうなってゆくのだろうかと思いました。・・・・・・」



私は第一章でもう満腹。ここは満腹ついでに、
第一章の、最後の歌を引用しておかなければ、

「『古今和歌集』の中の作者のわからない古歌に、
 こんな歌があります。

わが庵(いほ)は三輪の山もと恋しくばとぶらひきませ杉立てる門

三輪山のふもとに住んでいる人が、
友達にでも手紙に添えてやったという感じの歌ですが、
昔の人はこの歌を、三輪の神様の歌だと感じたらしいのです。
杉の木は三輪の神のシンボルです。・・・・」(p54)







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