和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

詩殺し。

2007-10-16 | 詩歌
山川健一著「【書ける人】になるブログ文章教室」(ソフトバンク新書)。
そこにこんな箇所がありました。それは澁澤龍彦集成第7巻「詩を殺すということ」からの引用をした後に「・・・【散文の訓練とは、一つには詩を殺すことによって成立する】のである。【ひたすら詩を殺すことを心がけてきた】と澁澤龍彦が言うのは【普通の人間】になろうとする彼の意思表明なのであり、つまりは、散文の訓練をするというのは大人になる訓練をするということなのだ。文章の練習をする。それは大人になる道を探すことなのである。」(p74)

ここに、
「散文の訓練をするというのは大人になる訓練をすることなのだ」とあります。

ところで、ねじめ正一著「荒地の恋」(文藝春秋)という新刊。
詩人の北村太郎・田村隆一が登場しておりました。
最初の方をパラパラとめくっていると、こんな箇所。
それは詩人・田村隆一が明子夫人と出合った頃のことでした。

「『会って二回目。新宿の道草ってバーを出たときに、パッとこう振り返ってね。【僕と死ぬまで付き合ってくれませんか】って』殺し文句である。田村の詩も、田村という人間も、もしかしたら田村の人生も、殺し文句で出来上がっている。そしてまた、殺し文句の詩人は女を殺すだけで愛さないのだった。・・・・殺し文句の詩人が大切にしているのは言葉だけである。言葉に較べたら、自分すらどうでもいいのである。」(p22)

これだけじゃ、田村隆一の詩を知らない人には、つまらないかもしれないですね。ということで、あらためて田村隆一の詩「四千の日と夜」を引用してみます。


  一篇の詩が生まれるためには、
  われわれは殺さなければならない
  多くのものを殺さなければならない
  多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

  見よ、
  四千の日と夜の空から
  一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
  四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
  われわれは射殺した

  ・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・

  一篇の詩を生むためには、
  われわれはいとしいものを殺さなければならない
  これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
  われわれはその道を行かなければならない



殺して生まれる詩と、詩殺しの散文と、
なんだか秋の怪談話みたいになりました。
詩と散文。あなたなら、どちらに軍配をあげますか?
それとも、片方を殺すのはしのびない?

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