和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

真があるなら、今月今宵。

2012-06-04 | 短文紹介
見城徹・藤田晋著「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」(講談社)から、私が引用するなら、この箇所かなあ。

その46頁でした。見城氏の見開き2頁の文のはじまり。

「僕ぐらいの歳になると、結婚式やパーティーで、スピーチを頼まれることも多い。」

ちなみに、幻冬舎の見城徹氏は1950年静岡生まれ。
つづきを引用。

「講演だと、このプレッシャーがもっとも強くなる。とりわけ困るのが、母校でやるときだ。・・・・話し終えると、自己嫌悪でいっぱいになる。そのため、しばらく仕事が手につかなくなるくらいだ。」

さて、このあとでした。

「僕は自分が喋ったり、書いたり、出演したりしたものに対し、とにかく誰かに感想を言ってもらいたい。他人はどう思ったのか、やはり気になる。言ってもらうだけで、多少は自己嫌悪が軽くなるからだ。ところが、お礼は言っても、感想を言う人はほとんどいない。これは講演だけでなく、スピーチの場合も同様である。こういう時、人はなぜ、何も言わないのだろう?・・・」

説明なしの、飛び飛びの引用でわかりづらいでしょうが、ご勘弁ねがって、文の最後は、こうなっております。

「感想は、その場で言うのが一番いい。礼状に添える場合は、五日以内で。僕の場合、五日を過ぎたら、うれしくも何ともない。・・・相手が感想をしっかりと伝えてくれた時、僕は『この人とは付き合えるな』とか、『大事にしよう』と思う。それがモチベーションになり、次の仕事へつながるのだ。感想は、それを言うこと自体に大きな意味がある。感想がないところに、人間関係は成立しないと心得るべきだ。」

うん。スピーチを聴く心構えを伝授してもらえるのでした。
ここから、70頁の文を引用してみたいのですが、そのまえに、詩が思い浮かぶので、まずはそちらを。

 シェークスピアソネット 第90番(中西信太郎訳)

 いつでも 今でも ぼくがいやならさっさと見切りをつけたまえ
 いま 世間は一体になって ぼくのやることに邪魔をしている
 だから意地わるい運命に加担して ぼくに 参ったと言わせたまえ
 勝負がついてから のこのこ顔を出すのはよしてもらいたい

こうはじまる詩の最後の二行は

 いまは不幸と見える 数かずのなやみや苦しみも
 君を失う不幸にくらべたら ものの数ではないのだ



さて、「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」の70頁。見城氏の文の最初を引用

「僕には、尊敬する歴史上の人物が四人いる。
戦国大名の織田信長。『大塩平八郎の乱』を起こした大塩平八郎、松下村塾を主宰した吉田松陰、そして騎兵隊を創設した幕末の志士、高杉晋作である。
四人とも、破天荒でオリジナリティーにあふれ、どこか狂気をはらんだ男たちである。彼らは極端に生き、そして散っていった。
『真があるなら、今月今宵。あけて正月、だれも来る』
これは、高杉晋作の言葉として知られている。死を覚悟して決起する時、傍観を決め込む陣営を訪ねて、唄ったとされている。僕はそれを翻案して次のように言っている。『情けあるなら今宵来い。明日の朝なら誰も来る』・・・・」


うん。こんな話を詰めこんだ一冊。
というか、前著「憂鬱でなければ、仕事じゃない」からの二冊目。
この二冊目では、藤田晋氏の文も読みごたえがあります。
そういえば、清水幾太郎氏の言葉に
「手紙は、相手の心を盗むつもりで」とあったなあ。
その盗み方を、ブッキラボウな丁寧さで教えてくれるのでした。

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