和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

宮澤賢治と貴島憲

2024-02-01 | 安房
宮澤賢治は大正10(1921)年12月3日、稗貫郡立稗貫農学校教諭となります。
賢治は翌年大正11(1922)年2月に「農学校のために精神歌を作詞」します。

そして翌年大正12(1923)年9月1日、関東大震災がありました。
千葉県安房郡の安房農学校は、その震災で校舎が倒壊し、火災で全焼します。
その震災の年に、安房農学校の貴島憲教諭は、『復興の歌』をつくり、
生徒と共に、歌っていたと、その時の生徒の記録にあります。

宮沢賢治の精神歌は4番まであり、ここには1番を引用してみます。

    日ハ君臨シカガヤキハ
    白金ノアメソソギタリ
    ワレラハ黒キツチニ俯シ
    マコトノクサノタネマケリ

貴島憲教諭の『復興の歌』は、農学校生への震災からの復興を
こめて8番までの歌詞がついておりました。以前に1番は引用したので、
ここには、2番と4番とを引用してみます。

  大地振(ふる)いて新たなる 命四海に漲(みなぎり)ぬ
  厳(おごそ)かなれや土の色 いざ固くとれ鍬(くわ)の柄(つか)

  太平洋の朝風に 汗拭く心地君知るや
  生気(せいき)溢るる黒土に 種蒔く思い君知るや


どちらも、農学校生への歌を作詞したという共通点がありますが、
片一方は、題名どおり関東大震災からの復興を意図したものです。

ちなみに、安房では女学校も倒壊します。
大正13年正月の作とある「安房高等女学校復興の歌」(豊原信一郎作詞)
が残っております。4番まであり、ここには1番と2番を引用。

   大地震(おほなゐ)すぎし 安房の国
   妖魔の影は 跡もなく
   若き光に  更生の
   鏡浦は富士を 写すかな。

   甍(いらか)ならべし 学舎(まなびや)は
   消えて空しく なりぬれど
   強固(つよき)をほこる 少女子が
   復興の意気 天を衝く。


同じ復興の歌でも、貴島憲教諭の歌詞との違いを
味わっていただきたいと思い、引用してみました。

   



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