佐伯彰一氏の短文「お正月の思い出」に
「やはり一番深く心に残っているのは、
わがふるさと立山村(町)の正月である。」
(p267「神道のこころ」日本教文社)
こうして、子供のころのお正月のことが語られるのですが、
わたしは、今日になってこの箇所が思い浮かびました。
「いったん帰宅して、早朝に起き出すと、
まず井戸の若水をくんで、神棚にそなえる。
そしてすぐ神社にかけつけて、ご奉仕をする。
お参りにくる人たちにお神酒をついだり、
年餅を渡したりする。・・・・」(p268)
ここに、若水とあるのでした。
ああ、若水といえば、たしか岡野弘彦氏の
新聞のインタビュー記事が印象に残っておりました。
まったく、新聞の切り抜きは、古い切り抜きほど、
どこにあったか、わからずじまいになるのですが、
どうせ、見つからないかなあと思いながら、
今朝になって、さがしてみました。
案外にすぐに、みつかりました。ありがたい。
うん。これは、ブログに引用しなさいと、
切り抜きが手助けしてくれているのかもしれません(笑)。
ということで、今日は、その箇所を引用してみます。
「語る岡野弘彦の世界」(朝日新聞夕刊1998年9月17日)
はじまりだけを引用してみます。
インタビュアーが、
「最初に覚えたのは、どんな歌でしたか」と質問しています。
それに答えて
「私の生まれは三重県の雲出川の上流で、
昔ふうにいえば伊勢、大和、伊賀の三国が
接するところの神社です。
歌の道を選んでいなければ、35代目の神主でした。遠い祖先は、
南朝方のゲリラとして、山野を駆け巡っていたようです。
5歳のときには、父にいわれ、新年の若水を汲(く)みました。
そのとき、氷の張る川に向かって唱える歌があります。
今朝(けさ)汲む水は
福汲む水汲む宝汲む命永くの水を汲むかな
最初に覚えた歌は、これでした。」
福汲む水汲む宝汲む命永くの水を汲むかな
ご紹介ありがとうございます。韻律がイマイチで、覚えにくいですが、覚えようと思います。
びこさんは、覚えようとする際に、
声に出すことは、あるのですか?
今年読んで気になった本に
長田弘「風のことば空のことば」(講談社)
副題は「語りかける辞典」。
なんでも、生前に新聞で
子供詩への選評をしていて、
その選評だけをまとめた一冊。
そのなかに、ある選評から引用
「ことばのリズムを見つけるのが詩なんだ。
だから、目で読むだけより、声にだして
なんども読むほうが、詩はたのしいんだ。」
「『新鮮な詩』はね、
口にだして読むと、バリバリ音がする。
キリッとして、透明なかおりがする。」
(p24)
こんな箇所も忘れられない。
「絵本は声に出して読むのがいちばん。
じぶんの目で見ながら、
じぶんの耳で、
じぶんの声を聞きながら。」(p66)
びこさんは、耳が遠いようなのですが、
『じぶんの声を聞きながら』なんてどうですか?
そうですね。これからは自分に自分の声を聴かせてやるようにしましょうか。せめて自分の声で自分を慰めてやらないと誰も私を慰めてくれませんから!笑
アドバイスありがとうございました。
今朝(けさ)汲む水は
福汲む水汲む宝汲む命永くの水を汲むかな
を声に出していると、
今朝汲む水は
福汲む
水汲む
宝汲む
命永くの水を汲むかな
というのが、よさそうに思うのですが、
さて、どこで区切ったらよいものやら。
だから、目で読むだけより、声にだして
なんども読むほうが、詩はたのしいんだ。」
嬉しいです
教えて頂いてありがとうございます
私、詩だけでなく文章にもリズムを求めているようです。志賀直哉の随筆に「勢いで書く」と言う箇所があった様な?、リズムと勢いで書かれた感じられるものが好きです
今朝汲む水は~>二度目で同じように読むことが出来ました<笑
関わりない事、まともに解釈も出来ない者の勝手な世迷言、でもどこかで吐き出したい想いを書いてしまいました。お許しください!
たしか、コメントは、はじめて
くださったのですよね。ありがとうございます。
うん。わたしのお正月は、
この、今朝汲む水は~を、
声だして語ってみたいと思いました。
鬼は外、福は内というみたいにして。
はい。つばらさんのおかげです。
ありがとうございます。
ちょっと、お正月に声を出すことまで、
思ってもいなかったのですが、
つばらさんのおかげで、ひょんなことから、
お正月に実行してみます。
ということで、これからも
よろしくお願いします。
そうすると、
ちがう区切り方も試してみたくなります。
今朝(けさ)汲む水は
福汲む水汲む宝汲む命永くの水を汲むかな
これを
今朝汲む水は
福汲む水
汲む宝汲む命
永くの水を汲むかな
こちらでも、試してみたくなります。
うん。区切り方をかえてなんどでも。