和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

委細かまわず、がんこに。

2024-08-24 | 地域
全体を俯瞰するのは難しいなあ。
そういうときに、思い出したように
読みたくなるのが寺田寅彦の「津波と人間」という
9ページほどの文章です。

4年ほどまえに、地域の震災碑文などを通してめぐりました。
そのときに、印象深く反芻したのも「津波と人間」でした。
そのときの、気になった箇所はここいらです。

「・・災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうか
 という説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい
 ところに立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われるたびに
 あちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山かげの竹やぶの中に
 埋もれないとも限らない。

 そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく言っても、
 たとえば『市会議員』などというようなものは、そんなことは
 相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎(やえむぐら)
 に埋もれたころに、時分はよしと次の津波がそろそろ準備されるであろう。」

はい。碑文をめぐって少し歩いているのは大抵が旧道の
あまり車の通らない箇所でした。またよく聞いたのは
碑文は、以前はここにはなかったのだよ。ということでした。」

はい。今回再読していて、気になる箇所はここでした。

「しかし困ったことには『自然』は過去の習慣に忠実である。
 地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、
 がんこに、保守的に執念深くやって来るのである。・・・

 科学の法則とは畢竟(ひっきょう)『自然の記憶の覚え書き』である。
 自然ほど伝統に忠実なものはないのである。・・・   」

「科学が今日のように発達したのは、
 過去の伝統の基礎の上に、時代時代の経験を
 丹念に克明に築き上げた結果である。
 それだからこそ、台風が吹いても
 地震が揺すってもびくとも動かぬ殿堂ができたのである。

 二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して、
 よそから借り集めた、風土に合わぬ材料で建てた
 仮小屋のような新しい哲学などは、
 よくよく吟味しにとはなはだ危ないものである。

 それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って
 脚下の安全なものをすてようとする、
 それと同じ心理が、正しく地震や津浪の災害を招致する、
 というよりはむしろ、地震や津浪から災害を製造する
 原動力になるのである。・・・・    」

はい。分かるようで分からないような表現なのですが、
何年か時間をおいてまた読んでみると、分るような気がしてきます。

ということで、そんな感じで、一年に一回の震災講座。
それを来週の8月28日(水曜日)におこないます。
それが、今度の台風でできなくなるかも(笑)。
 

コメント
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