和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

俳地に立つ漱石。

2006-10-31 | Weblog
漱石の俳句というのは、現在ではたとえば、
坪内稔典著「俳人漱石」(岩波新書)
半藤一利著「漱石俳句を愉しむ」(PHP新書)
このお二人がまず私に思い浮かびます。
ひと昔前でいえば、寺田寅彦の俳句への言及が注目。
私には、そんなくらいしか思いつかなかったのですが、
今年でた知の自由人叢書・山口昌男監修・沼波瓊音著「意匠ひろひ」(国書刊行会)の中に
「明治俳壇の回顧」という文があり、そこに
「漱石を俳人として数へると漱石は不服かも知れぬ。しかし彼は正しく俳人である。彼の最も文才を揮つた、又揮ひつつある小説そのものは、明かに俳の上に立脚して居る。俳地に立つて西来の思想を駆使するもの即ち彼の小説である。彼の小説は小説と云うものの約束から云へば傷だらけである。しかし誰が読んでも面白い。傷なんか探して居られぬ程面白い。寧ろいつまでも彼はこうした物を書いて居て呉れて、小説の約束に適つた物に筆を着けて貰ひたくない、と云うのが何人もの希望であろう。彼の小説は俳味の展がりである。唯便宜上その展がりが小説と云形を借りてるまでで、決して小説の下に俳味が使はれてるのでは無く、俳味の下に小説が使はれてるのである。恰も西鶴の小説(?)が俳味の展がりである様子と全く同じである。兎も角他形文芸に攻め入った点に於て、明治俳人中最も揮つたのは漱石であつた。」(p142)

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