和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

景色のいい人。

2008-03-22 | Weblog
山野博史著「発掘 司馬遼太郎」(文藝春秋)で、司馬さんの藤澤桓夫への弔辞を、山野氏は「珠玉のことばがよどみなくつらなる、司馬遼太郎の弔辞の名品のひとつと信じて疑わない」と指摘しております。
その弔辞で司馬さんはこう語っておりました。
「先生のお話を伺っていてふしぎに思いましたのは、その言語でありました。私どもが生れる前の大阪の中学生の中学生ことばだったということであります。中学生ことばのまま、八十四年の生涯を通されたという一事だけでも、反俗的であります。先生は、天性、俗物を嫌っているかのようでありましたが、そのことは、決して〈おじさん〉になることのないこの言葉づかいによってでも知ることができます。まことに高雅なものでありました。行儀のいい青春のまま生涯を送られたというだけでも、数世紀にわたって、藤澤桓夫という知性以外に、たれを見出すことができるでしょう。この一事だけでも・・・」(p49)


( ところで、突然ですが、春の甲子園で、房総の安房高が、今日勝ちました。バンザ~イ。見てました。21世紀枠で初出場。一回戦を2-0で勝ち進みました。)

さてっと、山野博史著「発掘 司馬遼太郎」の「藤澤桓夫」では、最後の方に、平成元年6月13日の大阪版朝刊各紙(読売・朝日・毎日・産経)のすべてに追悼談話を載せている司馬サンを紹介して、読売新聞掲載分を引用紹介しておりました。そこからも孫引きしてみます。

「・・・大阪が好きで、言葉遣いは昭和初めの大阪の中学生ことばだけで一生を終わった人といえます。高校や大学で一緒だった長沖一さん、秋田実さん、小野十三郎さんなど、家のある住吉かいわいでのつき合いで終始したのは見事でした。生活圏を限定されており、その中から小野さんらが出て、いい感じのサロンだった。ちょっと離れて遠くから見ると感じのいい景色で、藤沢さんはすべての点で景色のいい人でした。」


うん。ここにも「言葉遣いは昭和初めの大阪の中学生ことばだけで一生を終わった人といえます」とあります。弔辞では、司馬さんは、そのことを語って「反俗的で」「まことに高雅なもの」と指摘しておられるのでした。


ここで、私が思い浮べたのは、板坂元氏の言葉でした。

「私たちが英文の百科事典を作るために書いた著者向けの執筆要領のことだ。英米の百科事典をいろいろと参考にして作った執筆要領の草稿は、日本のえらい先生からきびしい批判を受けた。その草稿の中に『高校一年生にも分かるように書いて欲しい』という箇所があって、そこが問題になった。『高校一年生とは情けない。せめてブリタニカ程度のものにすべきだ』という批評だった。これには閉口した。アメリカでは、百科事典を買うためのガイドブックが出ていて、それぞれの百科事典のレベルが示してある。それによると、ブリタニカやアメリカーナなどの有名なものは、すべて高校一年生以上に適するとなっている。私たちも、それにならったのだった。おそらく、えらい先生がたは、ブリタニカやアメリカーナが、大学生かそれ以上の知識人のためのものと信じておられたのだろう。高校一年生程度といっても、私の家では小学校五年の子と中学二年の子がブリタニカを毎日のように使っており、それほど難しがってもいない。だいたいその程度の子供にも読める文章なのだ。内容によっては、もちろん大学生にも理解しにくいものがあるけれども、英語のレベルは、そんなに高くない。・・・・英語で書いてあるものが程度の高いものに見える、というのは百科事典ばかりではないらしい。英語の原文で読むと分かりやすい本が、日本語の翻訳で読むと難しいことがよくある。・・・そろそろ、そういう後進国根性を捨てて、文章も読みやすく分かりやすいものにしてもよい時代ではなかろうか。」(p170~171「続考える技術・書く技術」)


うん。「昭和初めの大阪の中学生の言葉だけで一生を終わった人」を語って、
「景色のいい人でした」と、そう司馬さんは表現するのでした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« などと難ずる。 | トップ | 勝義の読書には。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事