曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)に、
ところどころ『感謝』がでてくるのですが、曽野綾子さんの
青年と老年との、『感謝』の境界線の引き方が興味深かった。
まずは、こんな箇所はどうでしょう。
「・・感謝は現実問題として、若い世代では
あまり身につかないものなのである。
若い時には、自分に与えられた好意や幸運を、
なかなか正当に評価することができない。・・・ 」(p209)
ここに、若い時とある。
つぎに、老人という箇所がある。
「・・残っている仕事は重要なことが一つだけだ。
それは、内的な自己の完成だけである。
この大きな任務が残っているということについて、
全く自覚していない老人が世間には多すぎる。・・・
老年は、若い時には忙しさに取り紛れてできなかった
自分の完成のために、まさに神から贈られた時間を
手にしているのである。・・ 」(p214)
若い時に、ちっとも見えなかった『感謝』のスタートライン。
この年になってもまだ自覚できず、若いつもりでいる私にも、
何だか、境界線のスタートラインが前に見えはじめたような。
ということで、最後にこの箇所を引用。
「 パウロは三番目の幸福の鍵として感謝を挙げる。
これはまさに最後の決定的な幸福の鍵である。
・・感謝はことに老年のもっとも大きな事業である。
もし人間が何か一つ老年に選ぶとしたら、それは
『 感謝する能力 』であろう。
もっとも、この点についても、
私たちは他人に厳しくあたってはいけない。
たとえば、私はいま比類なく健康だから、
私はいつも感謝する喜びを感じていられる。
言葉を換えて言えば、健康を計るバロメーターの一つは、
感謝ができることであり、人の行為を善意に解釈できることである。
しかし少しでも不健康になると、
とたんに私は自分中心になって、
もう人に感謝する余裕などなくなってしまう。
・・・・・ 」 (p244)