和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

七郎平の句。

2009-08-23 | 詩歌
石渡進著「間宮七郎平と和田の花」。
間宮七郎平句集「潮騒」。

ちょうど、鉄道の駅が出来る前後を2冊の本から拾ってみました。


大正11年12月5日、待望の国鉄和田浦駅が完成。
句集「潮騒」の始まりの句は

   春昼の薬缶がたぎる線路土手

大正12年9月1日、関東一円に大地震あり、花の大事な市場である東京は、一面の焼野原・・震災後1ヵ月もすると花の注文が急に増えて来ました。震災で亡くなった人の慰霊祭があちこちで行われ、花が大量に必要になったのです。


昭和9年3月。先に鉄道省と結んだ花の出荷が頭打ちになって来たため、県に陳情し東北や北海道へ市場開拓に行くことになりました。

その前後の句

  トンネルの長きに旅の暑さかな

  蝉の声車窓に迫り旅半ば

  雲の影走れる雪の大地かな


昭和19年になると、戦況が一変し、物資、特に食糧が乏しくなって来ました。
そのため国は、食糧生産を農政の第一目標として定め、農産物の作付割当てをするようになりました。その中で特に、千葉県と長野県は、花が禁止作物に指定されたため、花作りは壊滅的な打撃を受けました。・・政府の花作りに対する取り締りは徹底したもので、花の苗や種は残らず焼却してしまうこと、今作っている花は全部ぬき取ってしまうこと、ということでした。


  昭和19年 北海道へ

  汽車暑し衣食に辛き人の渦

  隣り座の婆よりかかり昼寝かな

  葦枯野蝦夷地を走る汽車の中


  戦時

  敵一機包みて速し冬の雲

  疎開児も霜の丸太を肩に負ひ

  春灯を細め代用食並ぶ

  麦の穂や疎開の娘蛇に馴れ


  終戦

  秋立ちて笑はぬ顔の人だかり

  管制の解けて秋灯尚淋し

  飛機とばず軍靴騒がず立てる秋

  炒り豆の歯に沁む五十三の秋

  秋刀魚来ず何を焼くらん漁家の灯は

  寒鴉遺骨の庭を遠巻きに
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