和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

三瓶繁男。

2009-06-23 | Weblog
三瓶繁男氏の詩画集「富士山」を、ある人からいただきました。
今年教員を退職なさって、その記念に出されたもののようです。
2005年に地方紙に連載された時の詩が、あらためて載っております。
新聞に掲載されているときは、楽しみにして切り抜いておりました。
その詩を引用したいのですが、まずは、近頃読んだ短歌から
6月16日読売歌壇の栗木京子選の最初に

 蚕屋のつばくら無事に巣立ちし日赤飯炊きし母を思えり  
                  群馬県 野口瑞穂



  たけんこ    三瓶繁男

毎年春になると たけんこを掘りに行った
すると いつも母が言った

  おお いいたけんこが掘れたんね

この言葉が うれしくて
この言葉を 聞きたくて
また せっせとたけんこを掘りに行った
もう その母もすでになく七回忌が過ぎた
でも 毎年春になるとたけんこを掘りに行き
母の言葉を思い出す



   みかん      三瓶繁男

みかんが いっぱいに実っているのを見て
妻が感動して言った

   わー すごい みかんって
   こんなふうに なってるんだ

見慣れている僕は
こんなことで感動できる妻に感動した
その妻もすでになく十三回忌が過ぎた
ときどき このことを思い出し
心の中で ふっと笑う


詩が青春の文学というのは、よく使われる言葉ですが、
四十、五十の詩人は、鼻たれ小僧。
六十代の詩を読みたい。と思ってもバチはあたらないでしょう。
サイレントマジョリティが語り始める、その瞬間に立ち会っているような
そんな錯覚を受ける詩があります。

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