和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

さてそれからが。

2021-06-07 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」に
鶴見俊輔氏の言葉にふれた個所がありました。

「・・つまりアイディアが同じでも、
企画は別なものになるのである。時代が変わり、読者も変わる。
鶴見俊輔がどこかで、日本はどうも10年ごとにくりかえしている
といっていた。企画をたてるのに、出版の歴史を知っておいて損はない。」
(p87)

何となく、思い浮かぶのは著作集。
桑原武夫全集全8巻は、朝日新聞社(1969年)
のちに、桑原武夫集全10巻が、岩波書店(1980年)。
梅棹忠夫著作集は、中央公論社(1989~1993年)。
今西錦司全集は、講談社(1975年・増補版が1993年~1994年)。
ついでに、清水幾太郎著作集、講談社(1992~1993年)。

さてっと、鷲尾氏のこの本は、退社の年に、
大学での15回の講義をまとめたものでした。
こんな個所があります。

「よく若いひとに企画の秘密をきかれることがある。
そんなものはどこにもない。・・・・・
しかしそうはいっても、と粘られることもある。
そのとき私は、次のようにいうことにしている。
『企画は模倣からはじまる。まず真似だ』。」(p86)

そういえば、岩波新書に
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(1969年)があり
清水幾太郎著「論文の書き方」(1959年)がある。

講談社現代新書の御三家はというと
中根千枝著「タテ社会の人間関係」(1967年)
板坂元著「考える技術・書く技術」(1973年)
渡部昇一著「知的生活の方法」(1976年)

「・・がいうなれば御三家であった。
最盛期は毎年、それぞれ五万~十万部の重版が出た。
中根さんが3冊、板坂、渡部さんにはおそらくそれぞれ
10冊ほど新書を書いていただいている。」(p218)

清水幾太郎氏を語る個所もあります。

「清水幾太郎さんの文章は見事だった。
『本はどう読むか』(講談社現代新書・1972年)という
ロングセラーがあるが、ジャーナリスト出身らしく、
読者をとても上手に誘ってくれる。読んでおもしろく、
役に立つ一冊だ。

・・・清水研究所にもときおりうかがうようになった。
文芸春秋とか中央公論社など、各社の錚々たる編集者が
研究室に集まっていた。清水さんのはなし方は独特で、
またおもしろかった。駆け出しの編集者だったので、
緊張していたことだけは記憶している。・・・」(p209)

「岩波書店にも、中央公論社にも、文芸春秋社にも
断られたという大型企画・・『清水幾太郎著作集』である。

若いころ、新宿大京町の野口英世記念館にあった清水研究所に、
何度もお邪魔したことがある。・・・・

晩年の保守化で清水さんは評判がよくなかったが、
戦後史には欠かすことのできない大物である。
販売的にはメリットはそれほどないが、
著作集刊行の意味はとても大きい。
それまで刊行されなかった方がおかしい。
会社をなんとか説き伏せて、企画を通してもらった。

さてそれからが大変である。戦前戦後あわせて、
清水さんの単行本は400冊をこえるという。
それらを含め、雑誌まですべてコピーした
(複写機が故障し、アルバイトの女性から泣かれ、
結局自分で各三部コピーをつくった)。

それから何を収録するかの選択である。
卒論から遺著まで、ひととおり眼を通した。

厳密なことでは類を見ないお嬢さんの清水禮子さん
とのやりとり。ともかく全18巻・別巻1の全体構成を終え、
一部入稿したところで異動になった。残念ながら完成まで
タッチできなかったが、自分にとっては記憶に残る大仕事であった。」
(p28∼29)

いろいろな著者が登場するので、
次回はそちらも紹介することに。



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