和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一段落を劃し。

2013-11-18 | 地域
復刻版の「安房震災誌」を読んで、私はよかったと思っております。
地元の関東大震災を記録したもので、これが私には面白かった。
その面白さを、ちょっと他人にもつたえてみたい。
そう、このブログを読んでくださる方にも伝わるように。
ということを、思うわけです(笑)。

この復刻版を買おうとした際に、ネット古本屋でちょいと他より安かったのが天牛堺書店でした。ちなみに、復刻版の方が、装丁がしっかりして、辞書のように無雑作にひける。大正15年の初版は、ページの喉がパカッと割れていたりして、本の背の裏側が丸見えで、気をつかう。ようするに読みづらかった。

おっと、話題がそれちゃう。
司馬遼太郎著「『昭和』という国家」(NHK出版)に
「配所の月をながめる」という箇所があります。
第十二章「自己解剖の勇気」に、それが出てきます。
そこに、「・・・私は昭和29年に大阪の道頓堀の天牛という古本屋さんから買いました。上の棚のほうに『日露戦争史』がありまして、あれを買おうと思って行ったら、もう、紙屑のような値段でした。考えられない値段でした。しかもお店の人が、『こんな本が欲しいんですか』と言うのです。・・・」

うん。ここに天牛という古本屋さんが登場する。
楽しいじゃありませんか。自分で古本を売っているのに、
いざ買おうとすると、え~、司馬さん
『こんな本が欲しいんですか』という、古書店主(笑)。

それから、『配所の月をながめておるのです』という箇所へとつながってゆくのですが、そこは、今回はぶいて、その次を引用してみます。

「アメリカは第二次大戦が終わると、第二次大戦の戦史を書いてくれと、歴史学者に依頼をしています。資料を提供した。つまり第三者の専門家に任せた。これは自己を解剖してくれというのと同じであります。私のお腹は痛くも何もないのですが、どうか解剖してくださいと言う。勇気が要ることですね。
本当に日本人はいいところがあるのですが、自己を解剖することについては、実に臆病でした。第二次大戦が終わって、敗戦になって、しかも日本の戦史は依然として防衛庁が編纂しています。第三者、つまり歴史家たちにはゆだねていない。怖いわけですね。・・・・」


さてっと、ここで「安房震災誌の初めに」を書いている大橋高四郎(大正15年当時は前安房郡長となっていた)の言葉をもってきます。

「・・・が、本書の編纂は、専ら震災直後の有りのままの状況を記するのが主眼で、資料もまた其処に一段落を劃したのである。そして編纂の事は吏員劇忙の最中であったので、挙げてこれを白鳥健氏に嘱して、その完成をはかることにしたのであった。今、編纂成りて当時を追憶すれば、身はなほ大地震動の中にあるの感なきを得ない。聊か本書編纂の大要を記して、これを序辞に代える。」

うん。さらりとした勇気を、
資料を通して、読みとくたのしみが、
「安房震災誌」にあるんだなあ(笑)。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 郷中教育。 | トップ | 本が届く。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

地域」カテゴリの最新記事