わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

道(1)

2023-05-16 09:34:55 | 癒し
道というのは、いろいろな種類がありますね。
一本道、三さろ、人生の別れ道なんてね、
別れの一本杉という歌がありましたけども、
一本ということでいえば、あれも一本で
立ってるわけね。
で、杉の元々はというと、生命でしょ。
わたくしがいつもいっている波動、光ですよね。
で、いつもいっておりますように、人間
というのは、この世にも、人間界にも、幽界にも
霊界にも、神界にも、自分というものが存在して
いるわけですね。
そうして、それぞれが波動でできている。
そうすると、元々が光である我々、神の
分御霊(わけみたま)である我々に、何も「道」
なんぞというややっこしいものは、なくても
いいように思う、ねえ。

車が走るから、車道があるでしょう。
運転席をおりて歩けば、今度は歩道ですわね、
まあ、これは、今、皮相的な説明をしたわけで、
たとえば、習い事にしても、茶道があり、華道が
あり、書道があって、なんか、我々人間のおもい、
人のおもいとして、「道」という言葉にすがって
生きているようなところがある。
これは間違いですか?と、今、私の話を
きいている人の中には、気の早い人がいて、
答えを先どりしたような顔なすってる方も
二、三ここから見受けられますけども、
間違いじゃあない。

じゃあ、どうして、何でもかんでも「道」
という言葉をつけるんだろう。
もっというと「─道」とつくと、ありがたい
ような、尊敬したいというか一寸あおぎみる
ような心持ちになるのは何故なのかと申しますと、
それは、人間というものは、何かよりどころと
するものがなくては生きてゆけない存在だ
ということなのであります。
もちろん、茶華道といったって、そんなに気を
入れて、たずさわっている人ばっかりじゃあない
でしょうし、また、「道」というものが、人間の
心の奥底で、それを意識させることによって
「よりどころ」となっているということを
自覚して、たずさわっている人は実に少ない
のであります。

そこで、今日は、このよりどころということと、
「道」のおはなしをしようと思いますが、では、
「よりどころ」=「道」かというと、これも、
微妙にちがうものなんですね。
ちがうもの、といいますのはね、今、わたくしが
申しました「よりどころ」というのは、
あくまでも、人間の私たち一人びとりの
心の側からみた「よりどころ」なんで、
これは決して、神様の方からのおもいじゃ
ないんです。

人というのは、弱い、苦しい存在ですから、
何か、神様神様と普段思っていてもね、祈って
いても、どうしようもないことにぶつかると、
神様も何だけれど、もっと確かなものが欲しく
なる。
たとえば、苦しい時に人がそれをみていて
くれる。
あるいは、病気で苦しんでいる時に、手を
にぎってくれる。
これらは、その辛い目にあっている人たちから
しますと、何よりも、確かなよりどころですね。
人の手のぬくもり、なぐさめ、これ以上確かな、
現在、味わうことの出来るよりどころは
ないわけです。

けれども、つねにいっておりますように、
「すべては消えてゆく姿」なのでありまして、
よいことも、わるいことも、すべて、すぎ去って
ゆくものなのであります。
それは、どうしてかというと、生き徹してゆく
一人一人の本体(たましい、霊体)が一段一段
階段を上るためなんです。
ここのところを忘れたり、間ちがえたりしますと、
楽しい時は、どうして早くすぎて、辛い、
苦しい時間はどうしてこうも長いのだろうと
ため息をつくことになるわけ。
そこで、これは、「よりどころ」真実、真理に
通じるものではないわけです。
何も、私はここで、苦しんでる人をなぐさめる
のは、真理に遠いなんていうつもりは
毛頭ありません。
そうではなくて、辛いことは勿論ですが
楽しかったことでも、いつまでも、その瞬間に
こだわっていますと、いつしかそれが執着になる。
とらわれのおもい。
人間の発する想念というものになるわけなのです。

そこで、整理してみますと、それじゃあ、
そういう人の想いとしての行為、よりどころ
と思って、我々の心がみんなすがってゆくぬくもり
などを、永遠のものではないとしますと、
何のために、「道」というもの、「道」とよばれる
ものが、我々の前に与えられているのか
ということになろうかと思います。
先ほど、茶道華道というものを、この話の導入
として申しました。
で、結論から先にいいますとね、本来、
「道」と名がつけば、それが、習い事
であっても芸事であっても、それは、人間が
神様の子どもになるそのための修行の場に
行かされているんだといっていいんです。
『中庸』に道についての孔子の言葉が出て
きますわね、「人、道に遠きは」とか何とか
むずかしいことがかいてあるけれども、要するに、
我々の日常生活の一瞬一瞬の中に、道(人が
おこなってゆく道)というと、ややこしいか。
つまり、生き方というものはあるんだという
ことがかかれています。
         (つづく)