(前日からの続き)
人間は
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)であって
つねにその大愛と無限の世界から
光を送られているものであり
また同時に
神界霊界幽界にも存在して
働きつづけているものなのであります
つまり
人間というものは
自由自在な働きを
本来
その世界で
神の光をうけながら
なしつづけていくものなのであります
なしつづけているものなのであります
ところが
この肉体というものをまとううちに
肉体にまつわる我というものが
出て参りまして
本来肉体は
人間の地上での衣服であるにすぎない
筈だったのが
長年月の間に
業想念と光とが入りまじって
しまったのであります
そして
それを人間のすがただとおもい間違って
しまったのであります
そこで
この地上に生きる我々自身の長い間の
思い込みを払い
自分自身をのこりなくあらわすために
すなわち
光明そのものの自分
永遠のいのちのなかに神を
たたえてゆく自分をあらわすために
祈りというものが
必要になったのであります
なかでも
消えてゆく姿で世界平和の祈りを
なしつづけて参りますときに
我々は
大元の生命(いのち)
光へとかえってゆくのであります
いのちというものがずっと神から
ながれてきて
私どもを養い
光(愛)が我々の智慧として
本心を照らしているという事実を
私どもはこの世界平和の祈りのうちに
しらされてゆくのであります
そうして
我々人間の本来の姿
愛と智と祈りのうちに
朗らかに
生きとおして
神のもとへとかえってゆく人間の
すがたは
実に永遠に宇宙へと溶け入り
遂に
中心帰一
神の
大慈光のなかへと
みちびかれていくことを
しるのであります
平成2年2月6日、8日 記
人間は
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)であって
つねにその大愛と無限の世界から
光を送られているものであり
また同時に
神界霊界幽界にも存在して
働きつづけているものなのであります
つまり
人間というものは
自由自在な働きを
本来
その世界で
神の光をうけながら
なしつづけていくものなのであります
なしつづけているものなのであります
ところが
この肉体というものをまとううちに
肉体にまつわる我というものが
出て参りまして
本来肉体は
人間の地上での衣服であるにすぎない
筈だったのが
長年月の間に
業想念と光とが入りまじって
しまったのであります
そして
それを人間のすがただとおもい間違って
しまったのであります
そこで
この地上に生きる我々自身の長い間の
思い込みを払い
自分自身をのこりなくあらわすために
すなわち
光明そのものの自分
永遠のいのちのなかに神を
たたえてゆく自分をあらわすために
祈りというものが
必要になったのであります
なかでも
消えてゆく姿で世界平和の祈りを
なしつづけて参りますときに
我々は
大元の生命(いのち)
光へとかえってゆくのであります
いのちというものがずっと神から
ながれてきて
私どもを養い
光(愛)が我々の智慧として
本心を照らしているという事実を
私どもはこの世界平和の祈りのうちに
しらされてゆくのであります
そうして
我々人間の本来の姿
愛と智と祈りのうちに
朗らかに
生きとおして
神のもとへとかえってゆく人間の
すがたは
実に永遠に宇宙へと溶け入り
遂に
中心帰一
神の
大慈光のなかへと
みちびかれていくことを
しるのであります
平成2年2月6日、8日 記