離島住民の最大の関心事の一つは,どれだけ充実した医療を受けられるかということだ。
おそらく数ある離島の中でも,鹿児島県立大島病院(奄美市名瀬)があり,若手の気鋭の医師たちによる医療を受けられる奄美大島は,医療体制という点では,非常に充実していると思われる。
ただ,その医療体制も沢山の人たちの献身的な仕事によって支えられていることはいうまでもない。
「らんかん山」は,訪れる度にそのことに思いを致させる場所でもある。
1962年9月3日午後4時55分,その事故は起きた。
南国の奄美大島といえど,この時期のこの時刻は,黄昏時が近付いていただろう。
一人の女性救急患者の生命を救うため,海上自衛隊鹿屋第一航空群のP2V対潜哨戒機は,輸血用の血液を搭載して奄美市名瀬の上空に飛来した。
奄美市名瀬には,飛行場はない。
今でこそ,輸血用の緊急血液はヘリコプターで空輸しているのだろうが,その当時,輸血用血液は,名瀬港中央ふ頭へ投下させていたようだ。
哨戒機は,輸血用血液をできるだけ確実に投下するため超低空飛行をしていたが,名瀬港中央ふ頭上空を旋回しようとしたそのとき,名瀬港近くにそびえる「らんかん山」の立ち木に接触してしまった。
哨戒機は,墜落,炎上。
機体は「らんかん山」の麓に落下し,32世帯が焼失。
搭乗していた自衛隊員12人全員と市民1人の合計13人が犠牲となった…
犠牲者を偲び,翌年に奄美大島青年会議所などが中心となって建てたのが上の写真の「くれないの塔」。
奄美大島では,常時の献血は行われていない。
ただ,尊い犠牲のことを忘れないようにと,奄美市では,1995年からこの日をメモリアルデーとして指定し,今でも,毎年9月3日には,献血を実施している。
「くれないの搭」の向かい側に設置されているタイヤ(写真)は,墜落した飛行機のものなのだろうか。
眺めているだけで胸が締め付けられる。
ところで,「らんかん山」のこと,へき地医療のことを思うたびに,最近,思い出すのは,福島県立大野病院事件。
この事件は,福島県立大野病院の医師から帝王切開を受けた女性が癒着胎盤に伴う出血性ショックにより死亡した(2004年12月)件に関して,今年に入って,この医師が業務上過失致死等の容疑で逮捕・起訴されたというもので,新聞等でも取り上げられたことから,ご存知の方も多いだろう(亡くなられた方,ご遺族の方には,心からご冥福をお祈り申し上げます)。
この事件は,ひとりの尊い命を失わせた事件として,記憶に止めなければならないが,へき地医療の体制整備の在り方,産婦人科医療の充実の方法,さらには抜本的な少子化対策の在り方を考える際にも,極めて重要な意義をもつ事件のように思われてならない。
大野病院では,産婦人科の常勤医師が1人しかおらず,ハイリスクな分娩も一人で扱わざるを得なかったことに,この事故発生の大きな要因があると見る向きも多いようだ。
日本産婦人科学会が,ハイリスク出産を扱う病院については,3人の産婦人科医の常勤を緊急提言
したり,福島県立医大産婦人科教授が厚労相に産婦人科医の不足を訴えるなど,この事件は大きな波紋を投げかけている。
産婦人科医の不足は,全国的にも深刻で,2年で8%も産婦人科医が減少したとの統計もあるようだ。
背景には,24時間体制の激務,訴訟リスクの懸念等による医師数の減少に伴い,より激務,ハイリスクになり,更なる減少が導かれるとの「負のスパイラル」があるようで,かなり深刻だ。
ことに,離島では,産婦人科医ゼロ人問題がかなり深刻なようだ(島根県隠岐や沖縄県名護等のニュース参照)。
冒頭に書いたように,奄美大島には,鹿児島県立大島病院があり,4名の常勤医師がいるようなので,他の離島に比べると問題は比較的深刻ではないのかもしれない。
が,例えば,奄美大島の隣にある喜界島の人が出産をする場合には,出産予定日を狙って,大島病院に入院し,陣痛促進剤を利用して計画出産をするとも聞く。
妊婦やその家族に降りかかる精神的・経済的負担はとても大きいだろう。
少子化,過疎対策には,抜本策はなかろう。
雇用,教育等の問題等と並んで,医療の問題,ことに産婦人科の充実・整備が必要と思われるのだが,破綻の危機に瀕した国家財政の状況ではなかなか難しいのだろうか…
「らんかん山」の上の青空,P2V対潜哨戒機がかすめ飛んだこの空を眺めながら,そんなことを徒然と考えた。
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おそらく数ある離島の中でも,鹿児島県立大島病院(奄美市名瀬)があり,若手の気鋭の医師たちによる医療を受けられる奄美大島は,医療体制という点では,非常に充実していると思われる。
ただ,その医療体制も沢山の人たちの献身的な仕事によって支えられていることはいうまでもない。
「らんかん山」は,訪れる度にそのことに思いを致させる場所でもある。
1962年9月3日午後4時55分,その事故は起きた。
南国の奄美大島といえど,この時期のこの時刻は,黄昏時が近付いていただろう。
一人の女性救急患者の生命を救うため,海上自衛隊鹿屋第一航空群のP2V対潜哨戒機は,輸血用の血液を搭載して奄美市名瀬の上空に飛来した。
奄美市名瀬には,飛行場はない。
今でこそ,輸血用の緊急血液はヘリコプターで空輸しているのだろうが,その当時,輸血用血液は,名瀬港中央ふ頭へ投下させていたようだ。
哨戒機は,輸血用血液をできるだけ確実に投下するため超低空飛行をしていたが,名瀬港中央ふ頭上空を旋回しようとしたそのとき,名瀬港近くにそびえる「らんかん山」の立ち木に接触してしまった。
哨戒機は,墜落,炎上。
機体は「らんかん山」の麓に落下し,32世帯が焼失。
搭乗していた自衛隊員12人全員と市民1人の合計13人が犠牲となった…
犠牲者を偲び,翌年に奄美大島青年会議所などが中心となって建てたのが上の写真の「くれないの塔」。
奄美大島では,常時の献血は行われていない。
ただ,尊い犠牲のことを忘れないようにと,奄美市では,1995年からこの日をメモリアルデーとして指定し,今でも,毎年9月3日には,献血を実施している。
「くれないの搭」の向かい側に設置されているタイヤ(写真)は,墜落した飛行機のものなのだろうか。
眺めているだけで胸が締め付けられる。
ところで,「らんかん山」のこと,へき地医療のことを思うたびに,最近,思い出すのは,福島県立大野病院事件。
この事件は,福島県立大野病院の医師から帝王切開を受けた女性が癒着胎盤に伴う出血性ショックにより死亡した(2004年12月)件に関して,今年に入って,この医師が業務上過失致死等の容疑で逮捕・起訴されたというもので,新聞等でも取り上げられたことから,ご存知の方も多いだろう(亡くなられた方,ご遺族の方には,心からご冥福をお祈り申し上げます)。
この事件は,ひとりの尊い命を失わせた事件として,記憶に止めなければならないが,へき地医療の体制整備の在り方,産婦人科医療の充実の方法,さらには抜本的な少子化対策の在り方を考える際にも,極めて重要な意義をもつ事件のように思われてならない。
大野病院では,産婦人科の常勤医師が1人しかおらず,ハイリスクな分娩も一人で扱わざるを得なかったことに,この事故発生の大きな要因があると見る向きも多いようだ。
日本産婦人科学会が,ハイリスク出産を扱う病院については,3人の産婦人科医の常勤を緊急提言
したり,福島県立医大産婦人科教授が厚労相に産婦人科医の不足を訴えるなど,この事件は大きな波紋を投げかけている。
産婦人科医の不足は,全国的にも深刻で,2年で8%も産婦人科医が減少したとの統計もあるようだ。
背景には,24時間体制の激務,訴訟リスクの懸念等による医師数の減少に伴い,より激務,ハイリスクになり,更なる減少が導かれるとの「負のスパイラル」があるようで,かなり深刻だ。
ことに,離島では,産婦人科医ゼロ人問題がかなり深刻なようだ(島根県隠岐や沖縄県名護等のニュース参照)。
冒頭に書いたように,奄美大島には,鹿児島県立大島病院があり,4名の常勤医師がいるようなので,他の離島に比べると問題は比較的深刻ではないのかもしれない。
が,例えば,奄美大島の隣にある喜界島の人が出産をする場合には,出産予定日を狙って,大島病院に入院し,陣痛促進剤を利用して計画出産をするとも聞く。
妊婦やその家族に降りかかる精神的・経済的負担はとても大きいだろう。
少子化,過疎対策には,抜本策はなかろう。
雇用,教育等の問題等と並んで,医療の問題,ことに産婦人科の充実・整備が必要と思われるのだが,破綻の危機に瀕した国家財政の状況ではなかなか難しいのだろうか…
「らんかん山」の上の青空,P2V対潜哨戒機がかすめ飛んだこの空を眺めながら,そんなことを徒然と考えた。
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今は この地に住む人ならだれでも知っていることかもしれませんが 時がたてばわからなくなることも。
記録って大切ですね。
産婦人科に行くと、朝早く受付をしても夕方まで診察がかかったりすることもあるそうです。出産もここでしかできないので、名瀬地区近辺はいいけれど、瀬戸内などからは1時間もかかるから、管理入院することもあるし、ベッドが足りなかったり…。
いない島に比べたら恵まれてはいますが。NICUもないですから、もしもの時はとても不安ですよ。
大都市に住んでいるものとして いささか鈍感になっているようです。けして都市が万全だとはいえないのですが。
お住みになっている方々の状況が どうしたら改善されるものやら、心苦しいです。
健康な内はいいとしても、何かあった時を思うと不安感はあります。
そんなに"心苦しく"ならないでください
たしかに,離島には何かと不便な面がありますが,良いところも結構あります。
大自然が豊かなことはもとより,医療面だとホームドクターとの信頼関係が結構緊密に築けるところです。
私は,東京,京都等,転居する度,苦心していたのは,医者探しです。
率直に言って,信頼できる医者を見付けられませんでした。
が,ここ奄美大島では,(限られた分野ですが)信頼できる医師と出あうことができました。
島では,顔見知りも多く,その分,緊張感も高い部分があります。
その緊張感が,対話に基づく良質の医療を提供してくれるのかな,と思っています。
tokorinさんへ
そうですか。
県立大島病院のHPに「NICUとの緊密な連携」と書かれていたので,てっきりNICU(Neonatal Intensive Care Unit 新生児集中治療室)も整備されているのだと思っていました。
tokorinさんのいうとおり,徳州会の出産診療がなくなってからは,県病院の混雑度はますますアップしたようですし,瀬戸内町等からの通院・出産はかなり負担がかかるような…
そういえば,新生児の死亡率って,1000人に1人とかのオーダーでしたよね。
出産も人生最大の大事業なら,その後つつがなく育てていくのも大事業。
(私は男なので,出産は,経験することが出来ませんが,本当に女性の皆さんには敬服しています)
そんな大事業をがっちりサポートする医療体制なくして,「少子化対策」がうまくいくのだろうかと疑問が生まれてきます。
ところで,鹿児島といえば,新生児医療のトップランナー 鹿児島市立病院(http://www.kch.kagoshima.kagoshima.jp/webtest/)がありましたね。
ググっているうちに思い出したのですが,この病院は,山下さんちの五つ子ちゃんが生まれたところでしたね(若い人の中には知らない人も多いかな?)。
さらに調べているうちに,色んなページ(http://www.higashinihon.ne.jp/mag/doctors_Nov2000.htmlやhttp://www.synapse.ne.jp/keima/NICU.html)に行き当たりました。
鹿児島市立病院の武院長,素晴らしい方ですね。
こんな病院があれば,出産の際には是非入院したくなりますね。
調べているうちに,新生児医療等についても,関心が深くなりました。
masaさんへ
考えてみれば,元気ならともかく,病気だから病院へ行くというのに,1,2時間かけて通院するというのも理不尽な話ですね。
過疎問題,少子化問題と医療の問題。
財政均衡を図りつつ,これらをどのようにバランスをとっていくのか,最近の名瀬市長選でもあまり議論されていませんでしたが,大きな論点になりうる問題だと思うのですが。
誰かが,できるだけ早く道筋を付けていく必要があるのでしょうね。
市立病院は、出産はしませんでしたが、次女が生後1ヶ月のときに1週間ばかり入院しました。(結局大事なかったんですけど)
あそこも、普通に通うには、待ち時間が長いし色々と不都合なところもありますが、『小児科といえば市立病院!』という県民共通の認識があるということはすごいと思います。それだけの実績があるのでしょうね。自分も、次女の入院中は『ここが一番なんだ』と言い聞かせてお任せしました。
大人の病気でも、離島より鹿児島本土、そして鹿児島本土にいても、難しい癌などになると都会の大病院の方が...という面がありますね。(結局どこも「地方」である限りそうなってしまいますが。)田舎の人は病気にならないというわけでもないのに...
鹿児島市立病院は,鹿児島の人々にも絶大な信頼を得ているんですね。
武院長はじめ,目先の利く人,バランス感覚の優れた人,統率力のいる人がいてはじめて,体制的にも整備が可能で,その結果,自ずと利用者の信頼がついてくるのでしょうね。
それにしても,お子さん,無事退院できて良かったですね
ところで,朝日新聞(鹿児島版)で今,「死を見つめて 与論島から」という連載がされています(奄美駐在の稲野さんという記者の記事はなかなか読ませます。いつも3回シリーズなのがちょっと物足りないですが。もっと書かせてあげればよいのに)。
その中で,死期が近いということを聞かされた老人たちが,半ば強引に自宅へ帰っていくという話が出てきます。
自宅で死なないといつまでも魂がさ迷い続けると信じて...
また,最期に島唄を聴きたいと所望し,島唄を家族と一緒に唄って死んでいく人もいたりして。
田辺聖子も半自伝の中で,奄美大島出身の義父の危篤の枕元で親族一同が集まって島唄を唄うというエピソードを非常に印象深く書いていました。
これらのエピソードには非常に奥深いものを感じます。
腕の善し悪しもあるものの信頼できる医師にかかること,死に方と時を選ぶこと,愛する人たちに囲まれて逝くこと,とても掛け替えのないことだと改めて感じます。
(紹介して下さった記事から、計算しても、もう定年を迎えられているはず...今はどちらにいらっしゃるのでしょうね。)
>鹿児島市立病院は,鹿児島の人々にも絶大な信頼を得ているんですね。
私はご存知の通り県外出身なので、何もわからないまま救急病院から市立病院に回されたのですが、ご近所の方みなさん「市立病院なら...」とおっしゃってたので...
朝日新聞読んでいます。島の文化ってすごいなぁと思いながら。
何でネット上にまだ残っているんですかねぇ。
それにしてもFORTUNEさん鋭い!