vagabond の 徒然なるままに in ネリヤカナヤ

エメラルドグリーンの海,溢れる太陽の光,緑の森に包まれた奄美大島から,乾いた心を瘉す写真をお届けします。

奄美あれこれ(その2)~『芋たこなんきん』

2006-04-05 23:41:16 | ネリヤカナヤ etc.
今日お届けする写真も,奄美市笠利町の崎原海岸のもの。
澄んだ海,太陽を受けてキラキラと輝く波,そして,奄美特有の消えては浮かんでくる厚い雲。
素敵な情景。
【2006.3.11 奄美大島・笠利町(崎原海岸)Canon EOS Kiss デジタル with Canon EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM】
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さて,昨日の奄美関連ネタの続きを…

●奄美の人情がNHK朝ドラに新風をもたらす??
18年度後期(2006年10月)のNHK朝ドラは田辺聖子原作の『芋たこなんきん』だ。
以下,NHKのHPの番組案内から。
『芋たこなんきん』ここがみどころ!
船場の商店勤め、36歳の独身、楽天娘が、ある日恋に落ち、結婚へ。
しかし、なんと嫁ぎ先は11人の大家族だった!
作家の田辺聖子さんの半生と数々のエッセイ集をベースに、大阪の戦後復興期から現代へと明るくたくましく生きてきたヒロインと、その家族のてんやわんやを描く、笑いと涙のホームドラマ。
タイトルの「芋たこなんきん」は、田辺聖子さんのエッセイにもたびたび登場する言葉で、女性が好む食材の代名詞として引用される、大阪生まれのキャッチフレーズです。

ものがたり
物語は、36歳のトキコが戦後の大阪下町の金物店で働いている時期から始まる。
店員と、文筆活動の二足のワラジが原因となり、過労で倒れる。往診してもらった開業医、通称“かもかのオッチャン”(「噛もか」という口癖がある)と出会い、恋に落ち、やがて結婚。ところが、あろうことか、この“かもかのオッチャン”はバツイチで、しかも4人の子持ち。なおかつ、両親や兄弟とも同居する11人の大家族だった。しかも、オッチャンは開業医で、毎日のように近所の患者たちが押し寄せる。トキコは、想像もつかなかった大家族と、ひとつ屋根の下で、七転八倒しながらも、持ち前のパワーとエネルギーで、日常の家事、育児をこなしていく。やがて、子供たちが成長するにつれて、いろいろな難問も噴出。その一方、懸命に文筆活動を続けていく。あるときは風呂で、台所で、はたまた、トイレで…。そんな中で、他人同士が、いつか本当の家族になっていく。

(引用ここまで)

と,ここまで読んだだけなら,「奄美」とどのように関係があるのか?と思われるだろう。
上記のヒロインの夫の「かもかのオッチャン」とは,田辺さんの夫(先年亡くなられた)で,エッセイにもよく登場する名キャラクター。
私は,20数年前に田辺さんの作品をいくつか読んではいるのだが,すっかり忘れ去っていた重要な事実がある。
それは,この「かもかのオッチャン」の郷里が,奄美大島の名瀬市(現・奄美市)だということ!
しかも,田辺さん自身が,創作の過程で,どうやら奄美の文化の影響を大きく受けているようでもあるのだ(その他,田辺さんは,ケンムンの存在を信じて疑わないという未確認情報もある)。
11人の大家族という物語の設定,戦後復興期から現代という時代設定,NHK朝ドラで大阪が舞台といえば濃いぃ「人情物」が定番,そして,ヒロインの夫のモデルが奄美大島出身と来れば,もうこれは,奄美人の熱いハートと深い情とがベースになった,現代人が忘れかけた人情味溢れるドラマに仕上がるんじゃないかと期待できます。
このドラマで,奄美の人情が,半年間,全国ネットでお茶の間に伝われば,それは素敵なことじゃないかな。
もちろん,奄美ロケなんかがあると,その効果も大きいと思うけれど,「奄美人気質」みたいな無形のものが伝わることも大切かな,と思う。
(「奄美人」というのは,雰囲気で書きましたが,気に障る方がいたらご容赦ください)

ところで,このエントリーを書くに当たって,久々に田辺作品を読み返してみた。
読んだのは,短編集『ジョゼと虎と魚たち』(角川文庫)
表題作は,妻夫木聡と池脇千鶴の共演で映画化もされ,評価が分かれるものの,比較的評判は良かった(私は未見)。
この短編集は,とても良かった。
山田詠美の解説も優れていて,解説自体が,田辺作品に対するオマージュを湛えた珠玉のエッセイになっている。

美しく無駄のない日本語,切ない気持ち,ちょっとドキドキするような男と女の愛の機微…何がどう良かったかをこれ以上十分に書き記す暇も能力もないので,若干の引用でご容赦頂きたい。
山田さんは,「私はいつも,苛立ったり,憂鬱な気分になったりした時に田辺さんの本を開く。そして,人生のいつくしみ方を教えてもらう。」と記している。
そしてもう一つ。田辺さんは,以前,敬愛するフランソワーズ・サガンの作品を「手に取らば消えそうな黄金色のスープのひと匙のような」味と評していたが(『楽天少女通ります』(ハルキ文庫)),私は,短編集を読んで,この言葉,田辺さんの作品自体にぴったり当てはまると思った。
やっぱり中学生では理解不能な世界だな
大人のあなたにはお薦めできる短編集です。


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6 コメント

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すっかり夏気分! (あさちゃん)
2006-04-06 06:24:17
泳げそうな感じですね

昨日の大阪は少し肌寒く、今朝もちょっと寒いです。

しかし桜がやっとあちこちで開花してきました。

早くその写真を撮ってUPしたいんですが・・・

仕事もずいぶん落ち着いたので、桜之宮公園とか会社からも近いところでふらりと行ってみようかな!
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ケンムン (義志直)
2006-04-06 16:34:48
そう言えば昔母が「田辺聖子さんの旦那さんは奄美の人なんだよ」って言ってました。興味がなかったのでそれ以上のことは何も記憶していないのですが。

“ケンムン”懐かしい響きです。

きっと、化の者(ケノモノ)⇒ケンムンとなったのかな?はたまた“木の者”かな?(沖縄ではキジムナ-ですね、ガジュマルの木にいるとされている。奄美ではアホ木(?)アコ木(?)です。)

今の奄美のこどもたちにとってはきっと絵本や物語の中のかわいい妖怪って感じなんでしょうね?

私たちにとっては、冗談などでは語れない“マジ超コエ-”級の疑う余地の無い実在の生き物でした。口にする時は必ず周囲を見回してから小声で“クィムン”と言っていた。アホ木の近くを通るのが怖くて仕方がありませんでした。

主な悪戯は、人間を騙すことで、方向感覚を狂わせる悪戯が多く、夜活躍することが多い。例えば、夜道を歩いてる時に断崖を道に見せかけ人を転落させる。知り合いのおじさんが夜隣村からの帰り路、バイクで峠の崖から落ちて大怪我をしたことがあった。「クィムンにやられたらしいヨ」とみんな小声で噂して納得していた。今考えればあれはきっと酔っ払い運転だ。(あのおじさんすんごい酒好きだった) 

私の祖父は、夜小舟で漁から帰って来た時に、いつもどおり家の前の浜に舟を着けて降りたら200mくらい位置がずれている??おかしいな?再度舟を出してやり直しても同じ場所にしか着かない。浜辺をよ~くみると猿のような小さなクィムンがいるので釣果の魚を投げ与えてようやく解放された、と話していた。

あの頃、道に外灯など全くなかった。月夜でもない限りイカ墨のプ-ルの中のように真っ暗だった。そんな中懐中電灯も持たずに歩くことがよくあったけど、いったいどうしていたんだろう?自分の過去のことなのに不可解。きっと感で歩いていたのだ。原始の自然の中で自分はもっともっと動物に近かった気がする。あれだけ頻繁に藪や山の中に入って遊んでいたのにハブに遭遇したことがない。きっとハブがいそうな場所を感で察知していたのだろう。今ではサンショウウオにだってやられかねないのに。
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あさちゃんさんへ (vagabond67@管理人)
2006-04-07 07:28:29
そうかぁ,大阪ではこれから桜が楽しめるんですね!

是非共桜の季節を満喫してください。

桜の写真のアップを楽しみにお待ちしております
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義志直さんへ (vagabond67@管理人)
2006-04-07 07:44:00
数十年前の奄美の息吹を感じさせるコメント,本当にありがとうございます



私自身は,名瀬中心部に住んでいて,街灯も人家の灯りも沢山満ちているため,義志直さんのような,ケィムン"体験"を感じられませんが,夜にちょっと郊外へ出ると,今でも,街灯は少なく,ちょっとゾクッとするような瞬間もあります。

それでも,かつての奄美での大自然と人間との距離感とはちょっと変わってしまったかもしれませんね。

それとも,変わったのは人間の"心"の方?



>原始の自然の中で自分はもっともっと動物に近かった気がする。



味わい深い言葉です。

町育ちの私ですが,もう少しだけ「動物に近」くなりたい気がします



ところで,「アホホの木」って,『アコウ』のことなんですか?

もしかして,奄美では,「アホホ」は,広い意味で,『アコウ』と『ガジュマル』の両方を指すのでしょうか。

私自身も,『アコウ』と『ガジュマル』の区別が今ひとつ付けられません。
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vagabond≒ヤチャ坊? (義志直)
2006-04-07 14:36:20
こんにちは。

アホ木とガジュマルは別物でしたよ、子供の頃の記憶では。

私は植物にも疎くて、小さい頃「アホギ」「アホギ」って呼んだいたのはきっと「アコウ木」という呼び方の方言版なんだろうな?と何の確証もなく書いたのですが、「アコウの木」って実在するんですね!(すみませんてきとうで)ガジュマルとはちょっと違うようですね?葉っぱが違う気がします。

↓こんな解説見つけました。(ご参考まで)

http://www.synapse.ne.jp/lidthi/AOC/archives/topics/topics99/topics9903-hato.htm

vagabond67さん、植物にも造詣が深いようですね。

ところで、ガジュマルもアコウの木同様シメコロシの特技があるようです。シマの実家の庭には、枯れたスィダラ木の6.7mの高さの所に鳥が運んだガジュマルの実が発芽、根付いてスィダラ木を絞め殺すような形状で根っこを地面に向けて伸ばしています。根っこはまだ地面には届いていませんが、スィダラ木を透明にしたらガジュマルはまるで宙に浮いている格好になります。植物に興味のある客人は目ざとく見つけて珍しがって眺めていますが、枯れたスィダラ木ごと今のうちに切り倒そうか思案中です。(ガジュマルは庭にはちょっと不向きかな・・・と)vagabond67さん、もし興味があったら見てきて下さい。



ところで、“vagabond”はご自身を重ねてのネ-ミングでしょうか(失礼かな)?奄美で言えば“ヤチャ坊”ってところでしょうか?大和村生まれで赤尾木~小湊間の太平洋側を生活の場としていた親なし里なしの風来坊。夜里に降りてきて芋などの食料を盗む泥棒なのに島人は愛しんでヤチャボウと声にします。やんちゃ坊主の変化形ではなくヤチャ(カワハギの方言/以前は食えない魚の代名詞的)を盗んで行くからヤチャ坊。きっとモデルになる男がいたんでしょうが架空の人物とされています。島唄は同じ曲に幾通りもの歌詞があるのですが、♪ヤチャ坊ヌふぐりやミチャ(泥)ふぐり~♪と唄われる歌詞もあるんですよ。失礼しました、脱線し過ぎました。

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風来坊 (vagabond67@管理人)
2006-04-08 00:57:26
ご指摘のとおり,色んなところで転々と暮らしている風来坊のような生活なので,vagabondとのハンドル名にしました

野茶坊は,乱暴者だけど,困った人がいると食べ物を運んでいったり,祝席に酒を運んでいったりしたため,瀬戸内の方では,『野茶坊節』が祝歌としても唄われていると聞いたことがあります。

私も,多くの人に愛される野茶坊にあやかりたいと思います。



野茶坊は「ヤチャ」に由来していたとは,知りませんでした。また一つ賢くなりました。



ガジュマルもアコウもクワ科の植物で似ています。

仰るとおり葉っぱが違うようですが,私には正直区別が付きません。

むしろ,支柱根があるのがガジュマル,支柱根がないのがアコウという区別で見分けるようにしています(ただ,区別はやはり難しいです)。

スィダラ木を絞め殺すガジュマル,絵になりますね。

切り倒すなんてもったいなくありませんか??

台風被害等を考えるとやむを得ないのかもしれませんが。

今度,空中浮遊しているガジュマルを見かけたら,義志直さん宅かなと,想像を巡らせてみることにします。

ところで,スィダラ木って,どんな木なのでしょうか?

スーダラ節とは関係ありませんよね?
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