(写真は奈良の 談山神社)
嘉吉祭 『神撰』 完(1~4) / 奈良・談山神社
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『神饌』 1 「荒稲御供」(あらしね)(毛御供)/ 談山神社
以前からこのブログで度々書いている『神饌』(しんせん)について触れてみたい。
『神饌』とは、神様の召し上がる食物の総称。別名、
大御饌(おおみけ)
御饌(みけ)
御食(みけ)
御膳(ごぜん)
神膳(しんぜん)
御物(おもの)
御贄(みにえ)
などとも言う。こんにちの神社でふつうにお供えされる神饌は、
和稲(にごしね、籾を除いた米)
荒稲(あらしね、籾付の米)
酒
水
塩
餅
野菜
木の実
海魚
川魚
海菜
菓子
など。基本、生の丸のままの形も多いが、米などは蒸して備えたり持ちにすることも多い。
神饌に関心を持ち始めたのは去年のこと。写真家のN氏のお話と写真集で知る。民俗学の書物にも何度か出てきた神饌のイメージは一人の写真家によって糸口をつかむことができた。そうして先日 奈良の談山神社に行気、祭り後に参考として飾られた神饌を診る機会がある。写真家N史の写真集にも載っていた色鮮やかな神饌を見る機会に恵まれる。これは『神饌 2』で紹介しよう。
奈良の談山神社では『神饌』について、私一人、ご住職に詳しくお訪ねすることができた。ご住職は親切な方で『神饌』や『神饌の作り方』や『村人のようす』などをお話しして下さる。祭り三日前からの神饌作りなどのお誘いも受けた。ご住職は熱心な方だった。お話を詳しくして下さったその上、吉川雅章著の『談山神社の祭 』という一冊の立派な書物まで下さる。私は今、ご住職の楽しいお話を思い出してはほくそ笑んでいる。楽しかった。やはりこういった話は本で読む上で、実際の話をお聴きしたいものだとつくづく感じた。さて、ご住職にはどういったお礼をしようかと、うれしさもひとしおである。
『神饌』 2
嘉吉祭神饌「百味の御食」 /談山神社(たんざんじんじゃ)
『神饌』 1 では『神饌』の別名や奈良の談山神社のご住職とお話ししたことを記録した。
上写真は 『果実盛御供』。木の実や野菜など山や里の幸の中の一つである。ほおずきや木の実やムカゴや松ぼっくりやざくろ。
作り始めるのは祭りに三日前であることは1でも書いた。
作り方は、
1 神饌台の竹串に茗荷葉の束を麻緒で固く縛る。
2 円柱形に作り芯にし、それに木の実をつけた竹ひごを刺す。
だそうだ。
この祭りは談山神社では江戸時代は「百味の御食」という名のとおり、百種以上の御饌があったという。現在は10月に集められるものを神饌として選んでいるようす。
神饌は神に捧げた後、村人が食べる場合が多いという。神のお下がりを食べることにより、五穀豊穣や子孫繁栄を祈願する人部との心が感じられる。また、山に返す場合と海に返す場合と土に返す場合などもあるという。奈良の談山神社では一年間飾った後に土に返すという。
ここで面白いのが、私が直接ご住職からお聴きした話。
「生ものですから、腐りますのや。腐りましたら、ほかしていきまのや。それで、今はだいぶ数が減っています。初めはもっとぎょうさん、ありましたんや。」
(奈良弁がわからないので、方言が間違っていると思います。)
ほほう。確かに。私が見た日にも、陳列台の中に、かびたものも一、二ありました。その白き糸は美しく、私は神様のお心のように感じていたのでした。
『神饌』 3
嘉吉祭神饌「和稲御供」(ねぎしね) /談山神社(たんざんじんじゃ)
『神饌』 1 では『神饌』の別名や奈良の談山神社のご住職とお話ししたことを記録した。
また、『神饌』 2 では果実盛御供や 一年飾った後の神饌を土に埋めることなどの、住職のお話に触れた。
今回の写真は今までになく華やかとお思いの方もいらっしゃるのではないだろうか。私は上の神饌を初めて見たのは、写真家 N氏の講義だった。N氏はことのほか祭りや民俗学的な内容にお詳しいようす。上の神饌も説明して下さっていた。
今回私自身も談山神社に息ご住職のお話をお聞かせいただいた上に『百味の御食』に関する御本までもを頂戴した。吉川雅章著の『談山神社の祭』には写真(嘉吉祭神饌「和稲御供」(ねぎしね))について、意味合いや作り方や村部とのようすなども詳しく記されている。たいへん興味深く面白い本だ。ちなみに私は『神饌』 1から「神饌の作り方」と行った言葉を使っているが、正しくは「作る」のではなく、『神饌』の場合は「調製」という言葉が使われているので、付け加えたい。
写真の美しい幾何学模様は色付けされたもち米で作られている。村の女性が形のよいもち米を手早く選り分け、色を塗り乾かす。ひとつぶ毎に丁寧に基本通りに貼付けていくと毎年ほぼ同数の米粒(約3000粒)で出来上がるようす。使用されたもち米の数は、各模様の「和稲御供」ごとに毎年数を記録される。
色は三色の食紅を使う。神撰は基本的に人間が食べることのできるものを供えるのだといわれている。
鮮やかな色の米粒の上の羽のようなものは「垂木」という。「垂木」とは「屋根板などを支えて、棟から軒に渡す木」のことだそうだ。
写真の神饌は調製するのに数日を要する根気のいる作業とのこと。村人は何を思い、何を語らい、神撰を調製に集中したのであろうか。
『談山神社の祭』によると神撰を供えるのは神社関係者であり、また調製した村人自身であることが理想であると記されていた。こういった風習や神事に疎いわたしでさえ、納得がいく。
神撰は自然色のものと、上の写真のように三色の食紅と言った自然のもので人工的に色を加えたものとが使用される。この色鮮やかな神撰を見ていると神社などの内部(宇宙を表した曼荼羅空間)の色彩に通じるように感じられる。また、神撰の盛り方や形にも注目したい。今回は際立ったものは談山神社にはほとんどなく載せてないが、子孫繁栄につながる形状に作られた神撰の多さに驚く。これについては写真家のN氏が出版された写真集にも載せられている。
祭りには神撰はつきものだという。これは大切な来客を歓迎しお迎えするときに用意するお料理に似ている。今回紹介した神撰は特別神撰というらしい。これから夏、秋を迎え祭りを見るにあたり、神撰にも目を向けてみたい。今までとは違った祭りの楽しみ方が増えたのではないかと、密かに喜んでいる次第である。
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『神饌』 4
喜吉祭神饌『飯御供』(いごく) /談山神社(たんざんじんじゃ)
『神饌』1 2 3に続いて『神饌』4を記録しておきたい。
写真の四角い箱は『飯御供』(いごく)という。
ご住職の話によると、赤米と黒米と餅米の三種類の蒸したものを箱に入れ、飾ったものと教えていただいた。さらにご住職から頂戴した吉川雅章著の『談山神社の祭 嘉吉祭神撰「百味の祭」』によると、本祭前日に蒸したもち米2升分を蒸すという。この箱状のようなものはもとは昔の弁当箱を再現したものという。飾りの苗代は持つ部分。
しかしながら、私はその場では古墳跡からも出土されていることの多い船かとも思ってご住職に問うてみた。却下。ご住職には船でないと教わる。加えてご親切なご住職。村人のようすを聞くのは楽しいものである。
私は『飯御供』(いごく)の形状の美しさに心を奪われてしまった。これは五穀豊穣と子孫繁栄の祈願を込めた形ではないのだろうか。苗代と稲穂でかたどられた美しい形は男性的でもあり、また箱の中の蒸し米は女性の体内の赤子を表しているような気がしてならないが確証は全くない私の戯言である。
箱の中のさらに古代までさかのぼって考えるならば、古墳のは庭の中には(水)鳥などを表したものもあるという。私には鳥に見える気がすると勝手に想像して楽しんでいる阿呆である。
『飯御供』一つで想像は夢膨らみ楽しい時間を過ごすことができる。これも民俗学遊びの醍醐味かもしれない。
最後になりましたが、ご親切に教えていただきましたご住職や関係者の皆様方に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
また、『神饌』1 2 3~ずいぶんと日がたってしまいましたことをお詫び申し上げます。
最後までお読み下さいまして、誠にありがとうございました。
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