記録のみ
初版 グリム童話 4 (全4巻)
1997年8月25日印刷
1997年9月 5日発行
訳者 吉原素子
吉原高志
株式会社 白水社
178ページ 1600円+税
置き去りにしていた『初版 グリム童話 4』をやっと読み流しました。
面白かった。
特に『六十四 乞食のおばあさん』は他の童話のパターンから外れていて、興味を覚えました。
この童話、ブラックユーモアにたけていて、かなり面白い。
『六十四 乞食のおばあさん』 私的要約
昔、物乞い知れるおばあさんが震えていた。
いたずらっ子が火のそばに温まっていたらそのおばあさんが戸口に・・・
「こっちに来て暖まりなよ。」
おばあさんは火に近づきすぎて、墓世の服が燃え始めました。
けれどもおばあさんは気づきません。
少年はそれを見ていました。
少年は火をけすべきではなかったでしょうか。
ね、そうでしょう。
火を消すべきだったでしょう?
もし水がなかったとしても、少年は自分の体中の水を、二つの目からないて流すべきだったでしょう。
そうすれば、二つの美しい小川ができ、火を消したでしょうに。
いかにも倫理的ではあるが、あくまでも終始一貫して客観的に物事をとらえる視線は、ことさら興味深い。
このパターン的構造の意外性は、以前学生時代に一人旅で喜界島に行ったときに、機織のおばあさんから聞いた民話の構造を思い浮かべる。
おばあさんは
「昔、蛇がいました。・・・・・・」
私がいつまでも聞き耳を立てていると、けらけらと楽しそうに笑う。
「終わりだよ、これだけ・・・・・・」
昔話風に言うならば
「どんとはらい」
或いは
「すこーん すこーん、米団子」
或いは
「こり ばっかし」
といったところか。
これは『六十四 乞食のおばあさん』とはまた違ったパターンだが、後の続くと思いきや・・・・・・といった肩すかし的的な要素といった点では、多少共通点が見られる。
こういった構造は最近の笑い(パターンからはずした笑い)や落語の一部の話にみ見られる。
長年大島紬を織り続け、喜界島に一生をささげる女のささやかなユーモアを 内地に住む二十歳やそこそこの女子大学生の若造に いろいろな意味をこめてプレゼントしてくださった意味が、今になってわかるような気がする。
人生って、深いなぁ・・・・・・
そのおばあさんは今はどうなさっているのだろうと考えると、寂しさが我が身に襲ってくるようだ。
それにしてもこの『初版 グリム童話 4 (全4巻)』の訳者である吉原素子さんと吉原高志は同じドイツ文学を夫婦ともに研究なさっていて、うらやましいなぁ・・・・・・
私ももっと学問を究めておけばよかったと、この本を読む度に痛感。
しがない主婦です・・・・・・。
昨日は『初版 グリム童話 4』を読んで パンを焼いて 普段の掃除と洗濯と整理……
後は、チケットを予約しました。
これで一月のヒデタロウ、ガトウ、ダンジュウロウ、トウジュウロウの昼夜は確保。ラッキー
夫も子どもも楽しみにしているようです。
ただ、今回は子どもの一人は友人と行くとのこと・・・ショック!
二月はいっしょだから、よしとするか。