写真は春日大社 影向のまつの木肌
『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分 岩波新日本古典文学大系 69
「犬子集」(えのこしゅう)とは (ブリタニカ国際大百科事典)
江戸時代前期の俳諧撰集。松江重頼編。
寛永 10 (1633) 年刊。
17巻5冊。貞門俳諧最初の公刊撰集。
山崎宗鑑,荒木田守武以後の発句 1530,付句 1000,それに「上古誹諧」と題して『菟玖波 (つくば) 集』など古連歌集から抄出した俳諧約 130句を添えてある。
「犬子集」(えのこしゅう)とは (世界大百科事典)
俳諧撰集。松江重頼(しげより)編。
1633年(寛永10)刊。
江戸初期の俳諧の隆盛に対応し,天文年間(1532‐55)以降の作品を集めた撰集。
書名は《犬筑波(いぬつくば)集》の子になぞらえたもの。
読人不知と178人の作者の発句(ほつく)1654句,付句(つけく)1000組を,5冊17巻に収める。
主な作者は貞徳,重頼,親重(立圃(りゆうほ)),徳元,慶友ら。作風は縁語・掛詞による〈見立て〉や故事・古典の立入(たちいれ)が主である。
『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 一部抜粋(書き写す)
夫(それ)俳諧は昔より人のもてあそぶ事世世にあまねし。されども盛んにをこる事は、中比伊勢国山田の神官(じんくわん)に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑(そうかん)とて、此道の好士(こうし)侍り。かかる時よりぞ、事新たまりけるとなん。されば独吟に線区をつらね、そうかんは『犬筑波』をしるして、世世の型溝となしける。…… (岩波新日本古典文学大系 69 3頁7頁)
夫(それ)俳諧は昔より人のもてあそぶ事世世にあまねし。されども盛んにをこる事は、中比伊勢国山田の神官(じんくわん)に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑(そうかん)とて、此道の好士(こうし)侍り。かかる時よりぞ、事新たまりけるとなん。されば独吟に線区をつらね、そうかんは『犬筑波』をしるして、世世の型溝となしける。…… から始まる「犬子集(えのこしゅう) 一」は中頃には次のように記されているので、一部写しておきたい。
『守武句集』・『大筑波集』右(左)之良本をのぞき、其後の発句、付句其様宜しく聞こえるを、みづから書集め在古老之披見に入、用捨の詞をくはへ、そぞろに比一週(いつシふ)となし、是を「犬子集」と号(なづけ)侍る。
上のように書かれている。
最後のまとめとしてましたのように書かれているので、書き写しておきたい。
誠 此道に心をよする事切なるによりて、今行末の人口、ことには神慮のとがめをも恐れざるに似たり。されども和光同塵は本(もと)より結縁(けちえん)の初とかや。市からば是非をもゆるし給うべし。……………………足引の山鳥のしだりおの、ながながしく書き続ける。
『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分 終わり
『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分 岩波新日本古典文学大系 69
「犬子集」(えのこしゅう)とは (ブリタニカ国際大百科事典)
江戸時代前期の俳諧撰集。松江重頼編。
寛永 10 (1633) 年刊。
17巻5冊。貞門俳諧最初の公刊撰集。
山崎宗鑑,荒木田守武以後の発句 1530,付句 1000,それに「上古誹諧」と題して『菟玖波 (つくば) 集』など古連歌集から抄出した俳諧約 130句を添えてある。
「犬子集」(えのこしゅう)とは (世界大百科事典)
俳諧撰集。松江重頼(しげより)編。
1633年(寛永10)刊。
江戸初期の俳諧の隆盛に対応し,天文年間(1532‐55)以降の作品を集めた撰集。
書名は《犬筑波(いぬつくば)集》の子になぞらえたもの。
読人不知と178人の作者の発句(ほつく)1654句,付句(つけく)1000組を,5冊17巻に収める。
主な作者は貞徳,重頼,親重(立圃(りゆうほ)),徳元,慶友ら。作風は縁語・掛詞による〈見立て〉や故事・古典の立入(たちいれ)が主である。
『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 一部抜粋(書き写す)
夫(それ)俳諧は昔より人のもてあそぶ事世世にあまねし。されども盛んにをこる事は、中比伊勢国山田の神官(じんくわん)に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑(そうかん)とて、此道の好士(こうし)侍り。かかる時よりぞ、事新たまりけるとなん。されば独吟に線区をつらね、そうかんは『犬筑波』をしるして、世世の型溝となしける。…… (岩波新日本古典文学大系 69 3頁7頁)
夫(それ)俳諧は昔より人のもてあそぶ事世世にあまねし。されども盛んにをこる事は、中比伊勢国山田の神官(じんくわん)に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑(そうかん)とて、此道の好士(こうし)侍り。かかる時よりぞ、事新たまりけるとなん。されば独吟に線区をつらね、そうかんは『犬筑波』をしるして、世世の型溝となしける。…… から始まる「犬子集(えのこしゅう) 一」は中頃には次のように記されているので、一部写しておきたい。
『守武句集』・『大筑波集』右(左)之良本をのぞき、其後の発句、付句其様宜しく聞こえるを、みづから書集め在古老之披見に入、用捨の詞をくはへ、そぞろに比一週(いつシふ)となし、是を「犬子集」と号(なづけ)侍る。
上のように書かれている。
最後のまとめとしてましたのように書かれているので、書き写しておきたい。
誠 此道に心をよする事切なるによりて、今行末の人口、ことには神慮のとがめをも恐れざるに似たり。されども和光同塵は本(もと)より結縁(けちえん)の初とかや。市からば是非をもゆるし給うべし。……………………足引の山鳥のしだりおの、ながながしく書き続ける。
『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分 終わり
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