茶臼山(ちゃうすやま)とは
ウィキによると 茶臼山(ちゃうすやま)は、形状が茶の湯のてん茶を抹茶に挽く茶臼に似ているとされる富士山のような末広がりの形の山のことである。茶磨山(ちゃすりやま)とも呼ばれる。山の名前としては、通称を含め全国に200以上あるという。かつて戦で縁起を担ぐ武将に好まれ陣が張られた場所が多い。
天然の山ではなく古墳であることもしばしばある。前方後円墳の形が茶臼にも見えるからである。
茶臼山古墳 とは
大阪市天王寺区茶臼山町
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台
池の名は 河底池(かわぞこいけ、通称ちゃぶいけ)
河底池にかかる橋は、和気橋
いずれも天王寺公園内。
大阪市立美術館を楽しんだ後、茶臼山古墳と河底池と和気橋を歩く。
度々お邪魔させていただいている慶沢園とは違い、人はまばら。
大木にカラスが集まり、突然の侵入者に戸惑いながらぐわぐわぁと鳴く。
茶碗を伏せたような上は平たい茶臼山古墳のてっぺんに男性ひとり。何かなさっているが、それが運動なのか何なのかよくわからないようす。
足早に古墳の上を通り過ぎる。
明るいベンチのある広場間で来ると、おそらく歴史好きかも知れないと思われるおじいさまが、熱心に論じ合っておられた。ここで、一安心。
階段を降り、河底池が見え、和気橋を渡り、急いで慶沢園へと向う。
有料公園とはいえ うっそうと木が茂る古墳付近を一人で歩くのは少し怖い。