乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

東京大学総合研究博物館『命の認識展』

2010年03月26日 | 美術・文様・展示物



  

    東京大学総合研究博物館『命の認識展』

  

    

  

 オリエント博物館のあと、東京大学総合研究博物館『常設展』と『命の認識展』を楽しむ。

 特別展示室『命の認識展』の部屋に入ってまず驚いたのは、死産胎児象。

「死の誕生」と呼ばれるそれはホルマリン漬けされ、空を浮かぶようにも見える。

 魂は無かろうはずだが、こんな姿で皆の前に姿を現さざるを得ないそれ(象)は、恨ましささえ感じる。

 だが学術研究のためとあらば、致し方ないとそれ(象)は諦める。

 東大という場所柄か、不思議なことに
『弱者への愛にはいつも殺意が込められている』
という、ここでは頓珍漢で当てはまらない安部公房先生の言葉を思い浮かべ、ほくそ笑む。

 下の写真(いただいた冊子の表紙)がその象だ。

    

 脳や眼球を除いたキリン。

 見事な形で皮膚がはがされていた。

 

 部屋を入ってすぐ右には二つのショーケース。

 ケースの上にはラオスのセキショクヤケイという赤褐色に色鮮やかな鶏の剥製。

 律儀にも一羽ずつ縦に並べてあった。

 セキショクヤケイはたてた剥製ではなく横たわった魚のように一直線に鉑制されていたので、まるで赤い立体カレイが並べてあるようにも見える。

 三輪神社の新饌にタイとキジというのがあったのことが頭をかすめる。

 吊るすのでもなく横たえた鳥は、井波律子先生のおっしゃるグロテスクリアリズムはこういったものも含まれるかな と勝手な解釈をして、一人感心していた。

 まぁ、阿呆な素人の考えることである。失礼があればお許しいただきたい。

 

 わたしがこの部屋を訪れた時、わたし以外にも二人のおばちゃんがいらっしゃった。

 先生か学術員の方かボランティアの方かはわからないが、このお二人に丹念に剥製のことを説明されていた。

 丁度その場を通りかかると冷凍庫を開けておられる。

 冷凍庫からかちんかちんに凍った鳥やネズミなどを取り出してみせて下さる。

 凍らせてから剥製にするのだとおっしゃっていた。

 肉等が処理しやすいからか寄生虫の関係かの説明は無かった。

 ここを見る二日前に目黒の寄生虫博物館にも寄っていたので、処理と寄生虫のことを考えてのことだと一人納得していたが、合っているかどうかは定かではない。

 

 わたしはこんなことを書いているが、剥製やホルマリン漬けの胎児や冷凍されたネズミが平気な訳ではない。

 ここがもし研究公開の博物館でなければ、わたしは苦手だったかもしれない。

  

 骨見学者は大学生が多かった。

 ミンククジラの骨をみて 重力云々の影響で左右バランスが崩れているといった会話で盛り上がっている男女学生。ウサギの骨には、
「ウサギさんですよね。」
「...ですよね。」
とかわいげに ‘さん’付けされているアンバランスさは、わたしには心地が良い。

 説明書をみながら湛然に個々の骨を確かめる男子学生。

 他にも多くの熱心な学生さんがおられた。

 わたしは下敷きに入った説明をみながら、抽象的な感覚で 美しい骨に感心していた。

 そう、何も知らないので、骨の美しさを堪能するだけの頼りない中年だった。

   

 大きな変形円状台に乗せられたおびただしい数の骨は美しく感じた。

 わたしは骨愛好者ではない。

 だが、骨は神秘的だ。

『命の認識展』では、骨が美しいと感じる。

 動物のひとつひとつの骨のパーツをゆっくりと見ると、いろいろな形に見えてくるから不思議。

 そういうと人間の喉仏は手を合わせたホトケ様に見えるという、あれである。

 骨のパーツは熊に見えたり動物に見えたり。部分であるはずなのに個々に生命を兼ね備えているように感じて面白い。
 
 加えて、骨はアイボリーだが(笑)実際に数多い骨を眺めていると色彩豊かであった。

『命の認識展』は「骨の不思議」「骨の神秘」でもあった。

 東京大学総合研究博物館の『命の認識展』をみて良かったと感じた瞬間であった。




                    2010年3月19日

  

   

  



  



  
            
                      



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東京大学総合研究博物館 常設展示『キュラトリアル・グラフィティ~学術標本の表現』展

2010年03月26日 | 美術・文様・展示物





        東京大学総合研究博物館 

          常設展示『キュラトリアル・グラフィティ~学術標本の表現』展




                 【 頭蓋骨 清心様かと 頬染める 】







 オリエント博物館のあと、東京大学総合研究博物館 常設展示『キュラトリアル・グラフィティ~学術標本の表現』展を楽しむ。

 東京大学総合研究博物館は入ってすぐに館内撮影禁止とある。

 心に残っている展示物をカタログから少し載せさせていただいた。

1

 1は東京大学総合研究博物館の入り口から中をドアガラス越しにのぞいたようす。

 入り口外から撮影させていただいた。



 入ってすぐ正面に頭蓋骨。

 歯がギザギザに刷ってのこぎるのようになっている。

 ヤスリのようなもので削り磨いたのだろうか?

 抜いた歯も認められる。

 多分男性の高貴な方の頭。

 ギザギザの歯や抜歯は 呪術的なものなのか?

 いずれにせよ、興味深い。



 時間が限られ思うようにメモもとれず有耶無耶なのが心惜しい。

 ああ、利口になりたい。

2

 入り口付近のポスター。

 東大ポスターはおしゃれ。

3

 こちらはカタログ。

 以下数枚の小さな写真(4~7)は3から拡大して載せさせていただいた。

4

 常設展示入って二つ目の部屋にはこういった箱が多かった。

 年のはなれた兄弟が鉱物化石採集に使っていたのを思い出す。

 一見無秩序に見えるが、素晴らしくうまく整理されていた。

5

 ガラスケースに年代順に多くの頭蓋骨が並べられていた。

 しばらくみていくと興味深い頭二つを発見。

 頭蓋骨には赤くぬられていた。

 説明を読むと、生前から顔を赤くぬっていたという。

 これもまた、呪術的要素か?



 生前方赤くぬられていたという赤い頭蓋骨。

 亡くなられてからも骨に赤をぬったというのか?

 以前水銀朱で赤く石棺や遺体をぬったものをみたことがある。

 この赤も水銀朱なのだろうか?

 こちらも呪術的要素の継続か?

 或は、腐敗防止保存のためか?

 あまりにも不思議なので、唯一 メモにとっておいた。



 いずれにせよこういった赤い頭蓋骨は考古学者の方と民俗学学者とでは見解の相違も生じることもあるのかもしれない。
 
 何も知らないわたしにはわからない。



 かなり多い頭蓋骨が丹念に説明され展示されている。

 頭蓋骨の最後は『江戸人』の頭蓋骨。

『東京に来て江戸人が遺骨で〆か...。』
といった筒ものアホさ加減。

 

 江戸時代の頭蓋骨は顔が細長くなっていた。

 いわゆる醤油顔。好きな安部公房氏とはまた違ったタイプの、美男子系二枚目だ。

 わたしは『十六夜清心』演じる片岡仁左衛門丈の清心様を思い浮かべていた。



            【 頭蓋骨 みて清心様と 頬染める 】

6

 陸平貝塚出土の土器品。

 文様が楽しい。

 この土器の立体を想像し、書物に載っていたそれを思い出す。

7

 7は古代生物のミニ展示。

 古代生物のミニ展示のまわりには学術論文が多くおかれていた。

 イランなどの研究書も三冊ほどあった。

8

 8はパンフレットの裏面。

9

 9は東京大学総合研究博物館。

 東京大学総合研究博物館では先生或は学芸員の方が始終親切。

 丁寧に説明して下さり、楽しい時間を過ごすことが出来た。

 先生或は学芸員の方への感謝の念は深い。

 ありがとうございましたともう一度この場を借りてお伝いしたい。

       

              ありがとうございました。感謝申し上げます。

10

 東大の東京大学総合研究博物館近くの門。

11

 じゃじゃん。

 東大赤門。

 この門は外せない。




 東大赤門を見て喜んでいるなんてーーー夫、子どもには言えやしない。


      あたしゃ!ミーハーだ^^




                         2010年3月19日

 


 
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芝能 第三十二回 金春流能 「葵上」 金春欣三

2010年03月26日 | 能楽・狂言





         芝能 第三十二回 金春流能 「葵上」 金春欣三



                         奈良県県庁前 3月22日(祝日、月)
















 午後2時半始 第32回芝能

   場所 奈良市登大路町30 奈良県庁エントランス広場

    金春流能 「葵上」 金春欣三

    大藏流狂言 「土筆(つくづくし)」 茂山千三郎

    金春流仕舞 「笹の段 」 金春穂高




 3月22日。

 奈良に帰ってきていた息子と『エッシャー展』を観る。

 時間を合わせて奈良県県庁前に向かうと、丁度解説が始まるところ。

     金春流仕舞 「笹の段」 金春穂高

     大藏流狂言 「土筆(つくづくし)」 茂山千三郎

     金春流能 「葵上」 金春欣三

 上の順で演じられた。



 わたしは何を隠そう『葵上』が初めて。かねてから聴いてみたかったので、嬉しさはひとしお。



 今回の芝能は魅力的だった。

 舞台造りが真近で能を大きく見ることができる。

 芝能は以前系敬したときは遠すぎたのと新聞関係者の大声の無駄話で敬遠していた。

 今回も覚悟していたが、以前とはようすが違っていい感じに楽しめた。



 能楽師の方の直声はスピーカーの大音量でかき消され、聞こえなかった。

 元々能楽を全く知らないわたしには、こういった音量では言葉がかえって聞き取りづらいのが難点。

 帰ってからいただいたパンフレットと観世流百番集と『源氏物語』をぱらぱらめくって遊んでいた。

  

 芝の上を摺り足するのは容易なことではないらしい。

 動きが普通の舞台とは少し異なっていた。

 この日は前日から晴れていて、芝の状態は悪くはなかっただろうと感じる。



 芝能の場合は能装束のタイプ(?)が舞台とは少し異なっていたと言う気もしないでもない。

 また衣裳を気持ち程度短めに着られていたような気が下画、写真では普通か....。

 実際のとことはよくわからないが、いろいろと工夫されているのだなと感じた。



 金春欣三氏の『葵上』は美しく、また、迫力があった。

 もう一度能舞台で味わってみたい。金春欣三氏のお声を楽しみたい。

 その気持ちはふくれあがった今回の芝能だった。



 わたしは子どもの頃(小学生・中学生)から能装束と面が好きで、博物館や城などで(破れた)能装束を見かけるとわくわくしていた。

 歌舞伎でも俊寛の立派なタイプの衣裳などにあこがれを感じる。



 歌舞伎でも能楽でも人によって好きな場所というのがあるようだ。

 わたしも歌舞伎では演目によって好きな席が違う。例えば『本朝廿四孝』なら二階画好きといった具合。

 能でも小芝居でも好きな場所が二三あり、そこにいると落ち着く。

 当然息子とわたしは好きな場所が異なり、本番中は別れて楽しんでいた。



 今回も能楽の前にワークショップが一時間あったようだ。2000円で椅子席が用意されていた。

 わたしは立ち見だったので、無料。申し訳ない感じがした。






 とりとめも無い記録をお読み下さいまして、ありがとうございました。

 心より感謝申し上げます。

コメント (5)
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