乱鳥の書きなぐり

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糸杉のある谷 『タンゲ・サルヴァック』イラン & ご挨拶 (写真14枚)

2010年03月06日 | イラン2007~2010(6回)


    

       糸杉のある谷 『タンゲ・サルヴァック』

    





 わたしたちのホテルのある町「ベフバハーン」からパトカーや観光協会の車に手厚いお世話いただきました。

 半ば諦めていた『タンゲ・サルヴァック』という遺跡に行きました。

『タンゲ・サルヴァック』はフーゼスターンの東部であるベフバファーンから50kmに位置する町BAHMEI(バフメイー)の近くです。
 
    

 山中を歩き進みます。 



 アップダウンの厳しい山道もあります。



 小半時間も進みますと、人工的な垣根や煙が見えてきます。

 山に住むおじいさんの家です。



 おじいさんは正装ををしてくれたり、鉄砲を持ってポーズをしてくれます。

 またイランの古い剣を持ち出し、わたしにも銃や剣でポーズをとらせて下さいました^^



 おじいさんは山に住んでおられますが、ラジオで情報収集をされておられ、時事問題に詳しいのです。

 写真左の観光協会の肩と討論が始まりました。

 イランとアメリカの関係や報道や経済情勢などの熱弁です。

 ペルシャ語の知らないわたしには、お二人のようすは、けんかのようにも聞こえる熱心ぶりです。

 わたしの左に座っておられた観光協会長さんが、二人のお話の内容と前日に発表されたアメリカ報道のいきさつを教えて下さいました。



 ぶれていてごめんなさい。

 小屋や暖炉や何もかもがおじいさんの手作りです。

 沸騰した湯をポットに直接適量の紅茶の葉。

 沸騰した湯をを入れ、ポットをふって作って下さったチャイは山中ではとてもおいしく感じます。

 口にお砂糖を含み、お茶受け皿にコップのチャイを注ぎさまして いただきました。



 普通イランではこういった場合、お気持ち程度のチップを差し上げることもあります。

 ところがおじいさんは受け取りません。

『だから困るんだ、ここは山だぞ。』
とでも言いたげな表情で、申し訳なく感じました。

 おじいさんは自分の生き方にプライドを持って生きておられる、素晴らしい方でした。

 後ろ髪を引っ張られる思いで、おじいさんと別れました。

 ここからは観光協会長だけが案内。

 もう一人は車を麓に移動して下さると登った道を下って行かれ、車で移動して下さいました。

 三人はここから谷に向かって歩きます。



 写真ではわかりにくいのですが、こういった胸に近いくらいのアップダウンも歩きます。

 なんだか屋久島縦断を思い出しました。



 この木は、糸杉です。

 樹齢何年くらいでしょうか?



 イランでは糸杉は天高く真っすぐに伸び、男前の代名詞になっています。

 イランの詩の中には「ばらのような頬をした女性」と「糸杉のような男性」という表現がしばしば出てきます。

 しかしここの糸杉はどっしりとしています。

 地形的にこの辺りは暑い気候なので、そういったことも影響しているのかもしれませんね。



 これは糸杉の赤ちゃんです。



 糸杉の谷と呼ばれるこの山中には、歩いても歩いても糸杉を見ることができます。



 山の麓に近づくと、町で食料品を調達したのであろう山に住む男性二人が歩いてこられました。

 一人は190㎝くらい身長があるのではないかという、たいへんな長身の方でした。

 他には車を移動して下さいました観光協会の方と心配して待って下さっていました双眼鏡の男性もいらっしゃいました。

 多くのイランの方々に支えられ、『タンゲ・サルヴァック』行きは実現いたしました。

 わたしは感謝の気持ちで一杯です。


『タンゲ・サルヴァク』に行くには許可書手続きや手順を踏まないと行くことができません。

 しかしここ数年もするとリフトが通り、割合に緩やかな許可で行けそうな感じです。

 ただしそうなると遺跡の監視は一層厳しいものになり、枠?などつくられるのではと感じます。



 糸杉の谷をようやく出て 麓の町BAHMEI(バフメイ)の観光協会に戻りました。

 BAHMEI(バフメイ)はわたしたちが入手するイランの一般的な地図には載っていません。


 男の子たちは小学生。学校に帰り道です。

 おやつを持った子が印象的でした。



 こちらは女の子。

 イランでは小学生も男女別々です。

 イランに行くと子どもの笑顔に見とれてしまいます。

 麓を降りたのは五時をまわっていました。

 夕日に染まる山とこどもたちの笑顔がわたしの疲れを癒してくれるようでした。




                   2009年12月28日  

    


 みなさまへ



 最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

 薮用でしばらく留守を致します。

 帰りましたら、よろしくお願いいたします。



                乱鳥   2010年3月

     
               
コメント (6)
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