映画『自殺サークル』 2 2002年 監督:園子温 脚本:園子温 石橋凌 永瀬正敏 嘉門洋子 他
映画『自殺サークル』を再度、見る。
前回の記録
映画『自殺サークル』 2002年 監督:園子温 脚本:園子温 石橋凌 永瀬正敏 嘉門洋子 他
で、
【映画の題名は『自殺サークル』なのに、いかにせん、話の流れでは何度も会話として【自殺クラブ】と出てくる。】
と、書いた。
その意味が漠然と理解できた。
園子温監督は、まったくもって形を変えての現在社会におけるドキュメントを作りたかったのだ。そのように感じた。
ここで疑問に思うのは、
【形を変えたドキュメント】
とは、何か?
日本のどこぞのトップが考え、マスコミ全般を支配し、操作し、日本を動かしているのが現状である。
例えば、ずいぶん前の事となるが、日本の政党が変わった時の事。
前もっておぜん立てされ、政党が変わるとよいことが起こる、、、強いては、私は見なかったのだが、木村拓哉主演のドラマまで造られ放映された。
そして国民の政党を変える意識を高めて、、政党は実際に変わった。
昨今では次期天皇問題。
これまでことごとく蹴落としていた某御人をことごとく神のように崇め奉り、一方をことごとく蹴落としての、民衆への意識操作。
国民は神撫で考えを持っているように思っている者の、マスコミに大きく支配され、我々はそれによって動かされている。
私は何もそれらが正しいとか、間違っていると云いたいのではない。
一般の善良なる市民は、国の何らかの意図する創作によってわたくしたちの意識下まで入り込み、私たちの行動制限をしたり、考えを操作されていると云いたいのであり、園子温監督はそうい怖さを表現したかったに違いないと考えるのである。
したがって、形を変えた意識操作、ひいては形を変えたドキュメントであるがために、映画の題名では『【自殺サークル】』とうたうが、映画の中でも詞(台詞)ではことごとく【自殺クラブ】というように違った言葉をもって使い分けされているのだと感じる。
「あなたは奥さんと関われていますか。」
「ああ(肯定)」
「あなたは子供さんと関われていますか。」
「ああ(肯定)」
「あなたはあなた自身と関われていますか。」
「ムムム、、、、、」
「あなたはあなた自身と関われているのですか。」(青字、要約)
この映画の重要な場面は以前にも書いたように二ヶ所あった。
一か所は、刑事の口にピストルを入れて自害する前。
電話でのやたら咳払いした男の子の会話で、事態の深刻さと重要点を刑事は知った。
また、二点目。
以前は、コウモリと書いていたが、屋上から自殺した彼氏を持つ蝶の刺青の女性であり、コウモリは間違いであった。
蝶の刺青の女性と、舞台上で子供たちとの問答は非常に重要な場面である。
加えて三点目に充当な場面は、ところどころに顔を出すアイドル歌手グループのピーチ(?)
自殺者が増えた、途中、
「もう、頑張れって感じです、、、」
最後は潔く、
「ピーチは解散します。もう、勝手に生きろって感じです。」
で、事の終末を迎える。
一度目にこの映画を見てすぐに、今現在禁止されているとされる、電波の周波数に紛れ込ませた暗号を何かしらの組織が流しているのではないかといった考えが浮かんだ。
だが、今はそれは禁止されているし、そういったことが行われてないことと、私たちは信じるほかはない。
だが、マスコミは電波や紙のばいかいを通してことごとく善良なる市民を支配し動かしている。
そのことを気付いている民衆も多いが、やみくもに飛びつく人もまた多いのが自自地である。
こういった本当の怖さは、さとう珠緒や宝生舞が出てきたときの、日本の怪談とはまた違った、現実の、現社会でのドキュメントととらえてよいであろう怖さを、監督は伝えたかったのだと感じた。
映画の初めから出てくる多くの、無機質な表情をした、我々一般の善良なる市民が多く映し出される。
この表現が上手い。
この無表情に毎日の生活を送る民衆を描かずして、この映画は作れなかった。
結局子供の言葉は、監督自身の言葉と考えて、おおむね間違いないであろうと感じる。
したがって、深く掘り下げられていたこの映画は、私は好きです。
ただし、これは私が見た感想であり、あくまでも他の方との考え方は違うと思います。
私の見方が甘いのかもしれませんが、私の感想ですのでお許しください。
最後になりましたが、この映画を教えて下さいました御方に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
自殺サークル
2002年
99分
監督
園子温
脚本
園子温
主題歌/挿入歌
出演者
石橋凌
永瀬正敏
さとう珠緒
宝生舞
佐藤二郎
ROLLY
嘉門洋子 他
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