東京大学総合研究博物館『命の認識展』
オリエント博物館のあと、東京大学総合研究博物館『常設展』と『命の認識展』を楽しむ。
特別展示室『命の認識展』の部屋に入ってまず驚いたのは、死産胎児象。
「死の誕生」と呼ばれるそれはホルマリン漬けされ、空を浮かぶようにも見える。
魂は無かろうはずだが、こんな姿で皆の前に姿を現さざるを得ないそれ(象)は、恨ましささえ感じる。
だが学術研究のためとあらば、致し方ないとそれ(象)は諦める。
東大という場所柄か、不思議なことに
『弱者への愛にはいつも殺意が込められている』
という、ここでは頓珍漢で当てはまらない安部公房先生の言葉を思い浮かべ、ほくそ笑む。
下の写真(いただいた冊子の表紙)がその象だ。
脳や眼球を除いたキリン。
見事な形で皮膚がはがされていた。
部屋を入ってすぐ右には二つのショーケース。
ケースの上にはラオスのセキショクヤケイという赤褐色に色鮮やかな鶏の剥製。
律儀にも一羽ずつ縦に並べてあった。
セキショクヤケイはたてた剥製ではなく横たわった魚のように一直線に鉑制されていたので、まるで赤い立体カレイが並べてあるようにも見える。
三輪神社の新饌にタイとキジというのがあったのことが頭をかすめる。
吊るすのでもなく横たえた鳥は、井波律子先生のおっしゃるグロテスクリアリズムはこういったものも含まれるかな と勝手な解釈をして、一人感心していた。
まぁ、阿呆な素人の考えることである。失礼があればお許しいただきたい。
わたしがこの部屋を訪れた時、わたし以外にも二人のおばちゃんがいらっしゃった。
先生か学術員の方かボランティアの方かはわからないが、このお二人に丹念に剥製のことを説明されていた。
丁度その場を通りかかると冷凍庫を開けておられる。
冷凍庫からかちんかちんに凍った鳥やネズミなどを取り出してみせて下さる。
凍らせてから剥製にするのだとおっしゃっていた。
肉等が処理しやすいからか寄生虫の関係かの説明は無かった。
ここを見る二日前に目黒の寄生虫博物館にも寄っていたので、処理と寄生虫のことを考えてのことだと一人納得していたが、合っているかどうかは定かではない。
わたしはこんなことを書いているが、剥製やホルマリン漬けの胎児や冷凍されたネズミが平気な訳ではない。
ここがもし研究公開の博物館でなければ、わたしは苦手だったかもしれない。
骨見学者は大学生が多かった。
ミンククジラの骨をみて 重力云々の影響で左右バランスが崩れているといった会話で盛り上がっている男女学生。ウサギの骨には、
「ウサギさんですよね。」
「...ですよね。」
とかわいげに ‘さん’付けされているアンバランスさは、わたしには心地が良い。
説明書をみながら湛然に個々の骨を確かめる男子学生。
他にも多くの熱心な学生さんがおられた。
わたしは下敷きに入った説明をみながら、抽象的な感覚で 美しい骨に感心していた。
そう、何も知らないので、骨の美しさを堪能するだけの頼りない中年だった。
大きな変形円状台に乗せられたおびただしい数の骨は美しく感じた。
わたしは骨愛好者ではない。
だが、骨は神秘的だ。
『命の認識展』では、骨が美しいと感じる。
動物のひとつひとつの骨のパーツをゆっくりと見ると、いろいろな形に見えてくるから不思議。
そういうと人間の喉仏は手を合わせたホトケ様に見えるという、あれである。
骨のパーツは熊に見えたり動物に見えたり。部分であるはずなのに個々に生命を兼ね備えているように感じて面白い。
加えて、骨はアイボリーだが(笑)実際に数多い骨を眺めていると色彩豊かであった。
『命の認識展』は「骨の不思議」「骨の神秘」でもあった。
東京大学総合研究博物館の『命の認識展』をみて良かったと感じた瞬間であった。
2010年3月19日
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