乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

アーシュラーの飾りのある「シューシュー」の町

2010年03月29日 | イラン2007~2010(6回)


     
       アーシュラーの飾りのある「シューシュー」の町

           ( シューシュー(スーサー)の遺跡近くの町)





 ここにもフセインの手の飾りが見られます。

 このしまった店の左の道を少し進むと、アーシューラーのお料理をいただいたところです。



 これはシューシューの夕暮れ。

 辺りは暗くなりました。

 黒いアーシューラーの飾り付けの旗に重厚さが増します。











                 2009年12月22~23日



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わたしがイランで初めて見た屋根の形のモスクです。(シューシューの町にて)

2010年03月29日 | イラン2007~2010(6回)


     
        わたしがイランで初めて見た屋根の形のモスクです。



 写真はシューシュー(スーサー)の遺跡近くの町「シューシュー」でみたモスクです。

 わたしがイランで初めて見た屋根の形です。

 わたしにとっては、不思議な形をしています。



 モハッラム月。アーシューラーの一週間ほど前でしたので、モスクの壁面には旗。屋根にはフセインの手の飾り付けが見られます。

 こういったことは今回の旅行では、イランで共通していました。



 夕刻から夜にかけて男性が太鼓を叩いたり鎖で体を打ち付け、その行事は夜中の十二時頃まで続きました。

 外国人のわたしたちを心配して

     危ないから夜は外に出るな

     ホテルの前でみなさい

     あげくの果ては夜の10時以降はガイシュルしてはダメ

 

 アーシューラーではこういった制約を各地で受けました。

 反政府行動も多かったこの次期、イランでは外国人にも外国人に対するイラン人にもぴりぴりしたムードでした。



 今回のイランではいつになくぴりぴりムードは激しく、いろいろな事件(?)や制約が立て続けにおりました。

 イランの田舎でのアーシューラーは印象が強烈でしたので、おいおい思い出しては記録を続けていきたいと思います。






 日が暮れる前のも少ない。

 まだ人は少なかったです。



 夕刻。緑色のライトがともされました。

 アーリー側の色にちなんででしょうか?

 本当ところはわかりません。



 夕刻。

 川を隔てて写してみました。

 静かなように見えますが、アーシューラーの音楽やDVDの大音量でにぎやかです。



                 2009年12月22~23日


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