私は結婚と同時に、夫の生まれ育った土地に移り住んだ。私にとっては初めての土地だった。もちろん知り合いや友人もいなかった。働き初めてからは、職場の人たちとの関係が、唯一夫以外の人間関係だった。職場では初めの頃はお互いに他人行儀だったが、そのうちに少しずつ親しくなることのできた同僚もできた。結婚生活が始まって1年くらいのことだった。
その頃、私は夫とごく普通の会話を交わすだけで神経を尖らすようになっていた。「豚汁ぶちまけ事件」などもあり、夫とは非常に用心して話すようになっていた。家で当たり前にできない会話…普通の夫婦関係ではありえないことだろうが、私は仕方がないこととして我慢した。その反動で、私はごく普通の会話に飢えていた。日常のいろいろな出来事について思ったこと、感じたことを、ごく当たり前におしゃべりし、笑い、楽しみたい、そう渇望していた。私はごく普通の人間らしいかかわりを求めていたのだ。
しかし仕事が終わった途端、即家に帰り、夜も休日も夫に気を遣っていた毎日。日曜日、特に何もなければ夫を家において友人と会い、おしゃべりすることもありじゃないかと思いつつ、それを行うことはためらわれた。というより、そんなことをしたら、激怒されるのではないかと、恐れていたわけだ。たまに職場で行われる公共行事、例えば「歓送迎会」「忘年会」等は、夫に説明し許可された(!)わけだが、それでも帰りが夜10時過ぎると「何でこんな遅い時間になるんだ!」と鬼のような顔ですごまれたので、夜ゆっくり皆と過ごしたくても時間ばかりが気になり、私だけそそくさと先に帰ることもあった。
ある日の朝、夫が私に「今日は部署の飲み会があって帰りが夜遅くなるから夕食はいらないよ。」と話した。私は「そう、大変だね」と言いながら、心の中では『ラッキー!』とつぶやいていた。滅多にないチャンス。私は朝職場に向かいながら『今日誰かと夕ご飯一緒に食べられないかな~』と考えていた。職場には、夫の帰りが常に深夜になるという同年代の同僚がいて、彼女とは日頃からよくおしゃべりしていた。私は早速その同僚に一緒に夕食する約束を取り付けた。そして退社後、その同僚とちょっとおしゃれな居酒屋に行き、楽しい時間を過ごした。私にとってそんな時間は本当に久し振りだった。必要以上に神経を使うことのない会話。私はビールを飲みながら、心おきなくたわいないおしゃべりを楽しんだ。それでもあまり遅くならないようにと、9時すぎには家に着くようにお店を出た。
家のドアを開けようと鍵を取り出した時、室内の灯りがカーテンの隙間から外に漏れていた。私の華やいだ気分が一瞬にして凍りついた。顔から血の気が引き、ドアノブを回すと鍵が開いていた。「ただいま」と言いリビングに向かうと、夫が怒りに震えた表情で待っていた。「どこに行っていたんだ。」私は「帰りが遅くなるって言ってたから、職場の人とご飯食べてきた。」と言った。すると夫は「俺の帰りが遅くなると言ったらこのざまか!こんなんではオチオチと家を空けていられないじゃないかっ!安心して出かけられないじゃないかっ!!」夫の声がどんどん大きくなっていく。私は蚊の鳴くような声で「今日は飲み会じゃなかったの?」と聞くと、夫は「今日は飲み会だったけど体調が悪くて俺は欠席したんだ。家に帰ってお粥でも作ってもらおうと思ったらおまえはここぞとばかりに遊びにいくっ!!おまえは何を考えているんだっ!!妻はいつ夫が帰ってきてもいいように家にいるのが当たり前だろうーっ!!」夫は激しい罵声を浴びせながら私につめよってきた。そして「ここの食器、全部割ったろうかっ!!」とテーブルを叩き、叫んだ。私の脳裏に暴力を振るわれたときの強い恐怖が蘇った。暴力だけは阻止しなければならない、家のものを壊されたくない、何とか夫をなだめなければならないっ!夫の目の前で、私は突然床にはいつくばって土下座した。「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください、ごめんなさい…」私はひたすら謝り続けた。夫は怒鳴るのをやめ、そんな私をしばらくじっと見ていたが「そんなことはもうやめろ。」と言って一応その場は収まった。そして大きな溜息を吐き捨て、ソファーに寝ころんでテレビを見始めた。
私は心の中で大きく息を吐き『助かった~』と安堵していた。あんなことをする自分が情けなくもあったが、心のどこかで計算もしていた。『ここまですれば夫もどうにかなるだろう』と。怒り狂う夫は恐怖だったが、私は自分が悪いとは思っていなかった。夫は確かに帰りが遅くなる、夕食はいらないと言った。だから私は夕食を同僚と食べてきたのだ。それなのに、夫は私が家にいるかを確かめるように帰ってきた。夫は陰険だ。何で私が責められなくてはならないのだ。こんな時の私は割と頑なだった。明らかに夫がおかしいと思ったら、自分を責めることはなかった。しかし夫をなだめるための演技を必死で行っていた。そこに夫に本音を言えない私の弱さというか、何かがあったのだ。本来ならば自分は間違っていないと思ったら徹底して戦えばいいのかもしれない。それが無理なら陰険な夫から、さっさと離れればいいのかもしれない。しかし演技をしてまでも、夫をなだめようと、納得させようとしてしまう私。そして、事が治まれば自分のコントロール力を過信してしまう私。
『夫は短気で自己コントロールのきかない男。信じられないようなこともあるけど、それはどうも生まれ育った家庭環境も関係しているらしい。父親がよく暴力を振るっていたって言うし。そんな中で育てられたら自分でもやむを得ずしてしまう行動もあるのだろう。優しいときもある。だからこんな時は、私が上手に立ち回ればいいのかもしれない。そうすれば、いつか夫も少しずつ変わっていくだろう。だって、夫は過去の結婚はよくなかったと言っていたし、私との結婚が本当の結婚だって言ったのだから。』
私は結婚1~2年目にまだこんなことを思っていた。夫から酷い目に遭いながら、そんな出来事に即蓋をして、幻想にすがっていた。心の蓋の下には蝕まれて腐食していく自分があったにもかかわらず、気付くことを拒否していた。自分の結婚生活が、酷いモノであるなんて、考えたくなかったからだ。山あり谷ありは当たり前だよね、と思うことで無理に自分を納得させていた。
その頃、私は夫とごく普通の会話を交わすだけで神経を尖らすようになっていた。「豚汁ぶちまけ事件」などもあり、夫とは非常に用心して話すようになっていた。家で当たり前にできない会話…普通の夫婦関係ではありえないことだろうが、私は仕方がないこととして我慢した。その反動で、私はごく普通の会話に飢えていた。日常のいろいろな出来事について思ったこと、感じたことを、ごく当たり前におしゃべりし、笑い、楽しみたい、そう渇望していた。私はごく普通の人間らしいかかわりを求めていたのだ。
しかし仕事が終わった途端、即家に帰り、夜も休日も夫に気を遣っていた毎日。日曜日、特に何もなければ夫を家において友人と会い、おしゃべりすることもありじゃないかと思いつつ、それを行うことはためらわれた。というより、そんなことをしたら、激怒されるのではないかと、恐れていたわけだ。たまに職場で行われる公共行事、例えば「歓送迎会」「忘年会」等は、夫に説明し許可された(!)わけだが、それでも帰りが夜10時過ぎると「何でこんな遅い時間になるんだ!」と鬼のような顔ですごまれたので、夜ゆっくり皆と過ごしたくても時間ばかりが気になり、私だけそそくさと先に帰ることもあった。
ある日の朝、夫が私に「今日は部署の飲み会があって帰りが夜遅くなるから夕食はいらないよ。」と話した。私は「そう、大変だね」と言いながら、心の中では『ラッキー!』とつぶやいていた。滅多にないチャンス。私は朝職場に向かいながら『今日誰かと夕ご飯一緒に食べられないかな~』と考えていた。職場には、夫の帰りが常に深夜になるという同年代の同僚がいて、彼女とは日頃からよくおしゃべりしていた。私は早速その同僚に一緒に夕食する約束を取り付けた。そして退社後、その同僚とちょっとおしゃれな居酒屋に行き、楽しい時間を過ごした。私にとってそんな時間は本当に久し振りだった。必要以上に神経を使うことのない会話。私はビールを飲みながら、心おきなくたわいないおしゃべりを楽しんだ。それでもあまり遅くならないようにと、9時すぎには家に着くようにお店を出た。
家のドアを開けようと鍵を取り出した時、室内の灯りがカーテンの隙間から外に漏れていた。私の華やいだ気分が一瞬にして凍りついた。顔から血の気が引き、ドアノブを回すと鍵が開いていた。「ただいま」と言いリビングに向かうと、夫が怒りに震えた表情で待っていた。「どこに行っていたんだ。」私は「帰りが遅くなるって言ってたから、職場の人とご飯食べてきた。」と言った。すると夫は「俺の帰りが遅くなると言ったらこのざまか!こんなんではオチオチと家を空けていられないじゃないかっ!安心して出かけられないじゃないかっ!!」夫の声がどんどん大きくなっていく。私は蚊の鳴くような声で「今日は飲み会じゃなかったの?」と聞くと、夫は「今日は飲み会だったけど体調が悪くて俺は欠席したんだ。家に帰ってお粥でも作ってもらおうと思ったらおまえはここぞとばかりに遊びにいくっ!!おまえは何を考えているんだっ!!妻はいつ夫が帰ってきてもいいように家にいるのが当たり前だろうーっ!!」夫は激しい罵声を浴びせながら私につめよってきた。そして「ここの食器、全部割ったろうかっ!!」とテーブルを叩き、叫んだ。私の脳裏に暴力を振るわれたときの強い恐怖が蘇った。暴力だけは阻止しなければならない、家のものを壊されたくない、何とか夫をなだめなければならないっ!夫の目の前で、私は突然床にはいつくばって土下座した。「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください、ごめんなさい…」私はひたすら謝り続けた。夫は怒鳴るのをやめ、そんな私をしばらくじっと見ていたが「そんなことはもうやめろ。」と言って一応その場は収まった。そして大きな溜息を吐き捨て、ソファーに寝ころんでテレビを見始めた。
私は心の中で大きく息を吐き『助かった~』と安堵していた。あんなことをする自分が情けなくもあったが、心のどこかで計算もしていた。『ここまですれば夫もどうにかなるだろう』と。怒り狂う夫は恐怖だったが、私は自分が悪いとは思っていなかった。夫は確かに帰りが遅くなる、夕食はいらないと言った。だから私は夕食を同僚と食べてきたのだ。それなのに、夫は私が家にいるかを確かめるように帰ってきた。夫は陰険だ。何で私が責められなくてはならないのだ。こんな時の私は割と頑なだった。明らかに夫がおかしいと思ったら、自分を責めることはなかった。しかし夫をなだめるための演技を必死で行っていた。そこに夫に本音を言えない私の弱さというか、何かがあったのだ。本来ならば自分は間違っていないと思ったら徹底して戦えばいいのかもしれない。それが無理なら陰険な夫から、さっさと離れればいいのかもしれない。しかし演技をしてまでも、夫をなだめようと、納得させようとしてしまう私。そして、事が治まれば自分のコントロール力を過信してしまう私。
『夫は短気で自己コントロールのきかない男。信じられないようなこともあるけど、それはどうも生まれ育った家庭環境も関係しているらしい。父親がよく暴力を振るっていたって言うし。そんな中で育てられたら自分でもやむを得ずしてしまう行動もあるのだろう。優しいときもある。だからこんな時は、私が上手に立ち回ればいいのかもしれない。そうすれば、いつか夫も少しずつ変わっていくだろう。だって、夫は過去の結婚はよくなかったと言っていたし、私との結婚が本当の結婚だって言ったのだから。』
私は結婚1~2年目にまだこんなことを思っていた。夫から酷い目に遭いながら、そんな出来事に即蓋をして、幻想にすがっていた。心の蓋の下には蝕まれて腐食していく自分があったにもかかわらず、気付くことを拒否していた。自分の結婚生活が、酷いモノであるなんて、考えたくなかったからだ。山あり谷ありは当たり前だよね、と思うことで無理に自分を納得させていた。
そうなんです。何だか夫と私の出し抜きバトルのような。
夫は私を引っかけて攻撃しようとする、
私は怒り爆発の夫へ、どんな言葉、態度を使ったら
夫を沈静化できるか試行錯誤する…みたいな。
しかしこんな生活、長続きしないのは当然ですよね…。
長続きしなくてよかったです
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
ウメより
「とにかく私が謝れば、私が上手く立ち回れば、私が我慢さえすれば、その場は納まるから本意ではなくても従ってしまう。」
という所、モラれ妻の特徴ですよね。
それにしても不潔度は私の元夫とウメさんの元夫さんは「エエ~勝負」(そんなとこで勝負するものナンデスガ...(笑)にしても、私はウメさん程、モラ耐性も高くないし、根性ナシなので、「食器割ったろーか事件」あたりで私もブチ切れて、血みどろの殴りあいになっていたかも知れません(笑)ふざけるな~!って怒り狂って暴れます!プンプン!(オイオイ、やり過ぎ~)
今となってモラ磁場から離れてみれば、モラ夫との結婚生活は如何に人間として虐げられていた状況だったかと言う事が理解出来ましたが...。
でも結局は「いつかは幸せに笑いあえる日がくるかも」なんて幻想を食っては生きて行けない事に気付いてしまって今に至る訳です。
誰にも虐げられない今の生活、お互い大事にしたいですねっ!
ホントにね~、私も今思うに、暴れたかったですね。
しかし、その時は夫をなだめることに徹してしまった。
それがモラれ妻だったのでしょうね~。
でもね、別居の前は夫にかなりの憎悪を抱いておりましたよ。
モラ夫とは、いずれ殺すか殺されるか(精神的にも)みたいな関係になってたのではと思います。
幸せな夫婦生活=幻想(私の場合)…これは心から幻想だと実感して初めて
モラ夫との生活が砂上の楼閣と思い知らされました。そのときの絶望ったら。
そこで『はっ』と目が覚めたのです。
誰にも虐げられない生活、何にも代え難い生活であり、
モラと離れて初めて心から実感した『普通の生活』でしたね。
この生活はやめられない!
お互い大事にしましょうねっ!nasaさんっ!
握手っ☆
ウメより
いやいやお宅の方こそ・・・って感じで
いつも人ん家のモラはすごいと思うけれど、
ウメしゃんところのモラもすごい・・・
ウメしゃんのブログ勝手に記事に引用しちゃったので報告と、
その記事トラバしました。
読んでぇ~
お元気ですか~?
やっぱりうちのモラ、すごいですか?
なんか自分のことってよくわからないんですよね。
自分なりには『夫はひどい奴だ』と思っているのですが、
他の人から言われると改めて『やっぱりすごくひどかったんだ!』と納得。
まさに茹で蛙状態ですね…。
まっち~さんのブログで引用していただけるなんて光栄ですっ!
お役に立てましたらばんばん活用してくださいませ~☆
トラバの機能がいまいちよくわかっていない私なのですが、また教えてくださいね~。
ではでは、早速読ませていただきま~す!
ウメより
辺境の地で、たった1人で生活していろ!って言いたいですね!
今だったら言ってやれるのに!
(↑電話でぐらいだったら・爆)
本当に離れられて良かったよね~♪
ウメしゃん、メルシャン♪
ネットカフェで、自分のブログへの入り方が分からない、ウカツな女より(笑)
と言いつつこの感じ、誰かに似ていますね(笑)?
私も思いましたよ~。
モラ夫は、誰かと暮らしてはいけない、
ひとりで生活しなければいけない人なんだと。
そうしないと、同居者を傷つけまくりですもん。
特に身内に対しては酷かったです。
ホント、離れられてよかったです~☆
あっ浮かびました。
「他人にいい顔、妻には鬼面」
う~ん、いまひとつ?
ウメより