goo blog サービス終了のお知らせ 

うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

駅売りのニューズウィークを見ての雑感

2007-02-18 17:08:44 | Weblog
「格差はいいことだ」みたいな見出しをJR高松駅のキオスクで見て
思わず、掟破りにもキオスクの販売員の前で5ページほど立ち読みをしてしまいました。

書いてないけど、「格差」社会は、このブログのテーマの隠れた中核かもしれません。

アメリカの経済ジャーナリストが書いてたようです。
「結果の平等よりも機会の均等を」
とも書いてましたし、成長が富裕層の消費を拡大し、全体を引き上げるとも書いてました。

何が釈然としないか。大きな問題で思い切り端折りますが。

「格差」は国や共同体を人に例えると、内臓疾患や精神疾患の要素が大きい。
「成長」には、運動能力、知力、職業能力や財産の拡大の意味が強い。

ガンや糖尿病や統合失調などを筋トレや学問や利殖で何とかしようとしてもいかんことが多いと思う。

ここは各々の要素のベクトルの大きさや向きが錯綜するところですが、整理分類は現時点でもかなりできると思います。

国はいろんな意味で大きくなるからこそ、内臓疾患になりやすい面があって、その
大きくなることには、経済成長も含まれる局面が少なからずあると思います。

また
結果が平等になってないと
機会は均等になんかならないでしょう。

昔のイギリスの良心的な経済学者には、「経済を学びたければ、まずスラム街に行って人間を理解しろ。」みたいなことを言う人がいたと本で見たことがあります。

また、競争がし烈になる中で、機会を均等にしようとすると必然的に大きな政府化にならないでしょうか?
今、こぞって、小さな政府化の流れに向かう中で、誰が機会の均等の状況をつくるというのでしょうか?

人はある程度
・可能だ。
かつ
・魅力的だ。

両方
思わないと行動に移せないものだ。

とか、経営学の本の最初の方に書いてあります。
育つ環境が絶望の連鎖を生む中で、少数の這い上がった人の成功例を持ち出して、それ以外の人を努力不足だというのは、あまりにも人間への理解が違うと思う。

私たちはアフリカの内戦や干ばつなどから来る飢餓にどれだけ、関心を持てているか?
高松の水害には支援できても、アフリカの飢餓になると別世界だったり、焼け石に水と思えてやる気が高まらなくないでしょうか?
こういう現象が、国内やかつて共同体だと思っていた枠の中で起こると、政治等、社会的な合意が難しくなったりします。
体内に不調和やコントロールできない部位ができることが、内臓疾患ではないでしょうか?
共同体の内部に他人事、別世界をつくること自体が内臓疾患の要因というのはどうでしょうか?

成長も一部の解決ではあり、
福祉も一部の解決ではある。

その間にあるものを再構築していくことが、様々に求められているとは思う。

先述の「空海作戦」も学習習慣の定着や学力向上などの妨げになりやすいうえに、教育力のある家庭でしかなかなか直せない、ヘンな鉛筆の持ち方を、全国一律に、生徒一人当たり、消しゴム一個買う程度のコストで、多少でも是正しようという、私なりの「格差」社会への一石です。

成長と福祉の間にあるものが何かというのは、書き尽きないものがありますが、

教育や文化、スポーツ、地域イベントの振興などは、答えの中には含まれていると思います。
それだけで決定的とまではいえないと思いますが。

成長と福祉の間の言い換えは何げに
「営業および営業外の利他力・対共同体貢献力の総体」
というような概念が取り合えず、漏れがないような気がしてます。
営業の利他力というのは企業の競争力にとって中核なので、何も慈善的なことを言っているわけではありません。

営業の利他力は競争力であり、営業外になると、メセナ、NPO、コミュニティーなどが入り、利他力と対共同体貢献力の違いは、利他が対象が他者に向くのに対して、後者は、自分の乗る共同体という船を補修したり良くしたりを、自分の利益目的含めて包括的に考えるものです。

白い雪の谷にひっそり咲く、エーデルワイスの様な不言実行の小さな貢献も美しいのですが、私はそこには限界を感じてきました。自分目的も含まれるということは、活動の拡大再生産性を伴うので大事だと思います。