最近、新聞の見出しで
体罰の範囲明確化 教師の「委縮」を防止うんぬん。。。
と書いてあった。
新聞に代用字ってあるらしい。
「義捐」を「義援」にするのはまだわかる。
義のための「出費」が「助ける」に変わっても結果として全体の意味を大きく変えてないと思う。
「萎縮」の「萎」は「萎える」とか普通に使うし、そんなに難しい字でもないと思う。
でもねぇ。「萎えて縮む」が「委ねて縮む」になったらおかしいと思う。
これって、日本語の乱れとか一般に言われているほとんどの事例よりも個人的には変だと思う。
ほとんど日本語にケンカ売ってる。
まったく意味が違うけど、委ねて縮むって現実にあるから余計です。
自立できなく、自己決定ができないから、萎縮したり行動範囲が狭いって、親子でも国と地方でも何の関係でもあると言えばあります。
自立できる者が「委ねれば」良い協力関係やいい組織ができ、そうでない者が「委ねれば」縮んだり無責任になる。
昨今の大事件も含め、まったく意味の違うことがいろいろな示唆を生んでたりすると思います。
うどんジムが中高生なら「委」で先に覚えたら「はあ。確かに委ねたら縮むよな。」って思ったかも。
そんなんもあって妙に引っかかる。
受験ではクサカンムリとっても正解になるのかな?
そこらへんは、漢字って、学校よりも普段の新聞や読書で学ぶ量の方が多いと思うので、整合をとってほしいところです。
「理窟」が「理屈」ってのも「屈したら」変だとか思うけど、そこまで個別の字と意味の対応を求める必要はないと思うし、片方の字があまりにも日常使われてないので、まあしょうがないと思う。
あくまで個人の感覚ですが、「委縮」が突出して変だと思う。
最初、冗談かと思ったけど、まさか見出しの大文字で間違わないと思ったので、ちょっと悩みました。
体罰の範囲明確化 教師の「委縮」を防止うんぬん。。。
と書いてあった。
新聞に代用字ってあるらしい。
「義捐」を「義援」にするのはまだわかる。
義のための「出費」が「助ける」に変わっても結果として全体の意味を大きく変えてないと思う。
「萎縮」の「萎」は「萎える」とか普通に使うし、そんなに難しい字でもないと思う。
でもねぇ。「萎えて縮む」が「委ねて縮む」になったらおかしいと思う。
これって、日本語の乱れとか一般に言われているほとんどの事例よりも個人的には変だと思う。
ほとんど日本語にケンカ売ってる。
まったく意味が違うけど、委ねて縮むって現実にあるから余計です。
自立できなく、自己決定ができないから、萎縮したり行動範囲が狭いって、親子でも国と地方でも何の関係でもあると言えばあります。
自立できる者が「委ねれば」良い協力関係やいい組織ができ、そうでない者が「委ねれば」縮んだり無責任になる。
昨今の大事件も含め、まったく意味の違うことがいろいろな示唆を生んでたりすると思います。
うどんジムが中高生なら「委」で先に覚えたら「はあ。確かに委ねたら縮むよな。」って思ったかも。
そんなんもあって妙に引っかかる。
受験ではクサカンムリとっても正解になるのかな?
そこらへんは、漢字って、学校よりも普段の新聞や読書で学ぶ量の方が多いと思うので、整合をとってほしいところです。
「理窟」が「理屈」ってのも「屈したら」変だとか思うけど、そこまで個別の字と意味の対応を求める必要はないと思うし、片方の字があまりにも日常使われてないので、まあしょうがないと思う。
あくまで個人の感覚ですが、「委縮」が突出して変だと思う。
最初、冗談かと思ったけど、まさか見出しの大文字で間違わないと思ったので、ちょっと悩みました。