脳での繋ぎ替え(脳の再生)には手足等を動かすということが有効と思います。 リハビリのペースを思い出してみました。 リハビリのペース、昨日の続きでOTとSTね。 リハビリとかで健常者にとって「普通によいトレーニング」が我々脳卒中者にとって「よいトレーニング」とは一概に言えない 半身麻痺になって、しばらくは麻痺側の存在感はなしね。そのうちに徐々に回復ですけど、途中で「他人様」の感じ 「リハビリのための動作」、「日常生活の動作」、「健康維持程度の運動」、「筋力増強のための運動」 「リハビリに必要な体力(筋力、どっちかな、両方ともかな)について」ね
11月10日(月)、脳での繋ぎ替え(脳の再生)には手足等を動かすということが有効と思います。この「動かす」は誰かに動かしてもらってもよいと思います。川平法ね。自分で「動かす」場合、かる~くでもよいですが、関節の可動域一杯を使った動作ですね。ラジオ体操程度のかそれ以下の筋力(下手に力を入れると固まるよ)のでもよいと考えますが、ラジオ体操ですと動作範囲は広い方がいいですよ。脳細胞が脳卒中でお亡くなりになり、別の部位の脳細胞が代わりをするわけですから、動かして使うのだというシグナルを送るためにね。そして、どの程度の範囲を使うのかというシグナルもね。筋肉や関節を固めてしまうとこのシグナルが送れなくなりますよ。ミラーニューロンとかでも結局はシグナルがまったく来ない経路は使う気にはならないでしょうね。また、筋肉や関節の状況によっては「動かす」範囲が制限され、その範囲内の手続き記憶ができてしまう可能性もありますから、できる限り、関節の可動域の確保を優先しましょう。感覚神経も動かしている方が早く回復するという報告もありますよ。脳は乳幼児期の発育期とか発生上の必要あるの場合をのぞいて、「使う」ということに対応するように繋ぎ替えをしてしまうことがあります。発育期でも起こる場合があります。筋肉や関節を固めて動作に制限がある場合はその制限範囲内のみを使うという脳になってしまう可能性ね。できるだけ健常者風の動作に戻れるように「関節の可動域全体の確保」を目指しましょう。筋トレとかをする前に関節の可動域の確保を。
11月11日(火)、リハビリのペースを思い出してみました。2月9日午後6時頃発症、数分後には左半身麻痺ね。その後、救急車内で意識が消えて病院到着時は意識不明かな。何日かして、ひょっとしたら翌日?意識のある時間が徐々に長くなっていきました。でも、夜間だと思いますが、鼻づまりでベッドの頭側を漸く手にしたリモコン(ナースコールはどこ)であげていて気がついたらベッドから頭を下にしてぶら下がっていました。頭頂が床と仲良く接していました。思ったことは「何時助けてくれるのかな」でしたが、音が大きかったようですぐ来てくれました。それで、しばらくはベッドね。尿道の管を取り外してもらった後、「上半身直立なら鼻が詰まらない」といって日中車いすね。リハビリ病院退院まで病室では「日中車いす」または「イス生活」ね。全て病院の一般用の車いすでした。上半身直立基本で股関節・膝関節・足首関節等はほぼ直角程度ね。もっと深く曲げていたかもね。救急病院では、適度なときからリハビリね。PTでは平行棒が数日~1週間ぐらいかな。杖歩行に結構早く移行できたようでした。杖歩行も割と早く距離が伸び始めたようです。例の車いす両足チョコチョコ歩行の開始ね。ただね、家族は効果に疑問を持っていました。今でも理解していないでしょうね。OTは机拭きや物つかみなどです。広告チラシ製パイプ重量挙げ(これは指定自主トレ)とかね。そして、転院ね。PT・OT・STでの担当決めと方針検討のためのセラピストの病室詣でね。その時だったか、「チョコチョコでは踵からつける方が役立つよ」とね。役に立ちましたよ。暴走族になれたものね。翌日から各リハビリ開始でした。PTでは、さらに杖歩行での向上だったかな。10日目当たりの土曜リハで杖なしで90m歩かされました。「無理させるな」と思いました。その1週間後の土曜リハが女性のFさんだったので「月曜からもよろしく」。男のUさんが健常者風への指導を始めたのが転院月で2週間目ぐらいからだったかも。ただ、盛んにした健常者風への指定自主トレは翌月ですかな。転院後45日ぐらいの時に「床からの楽な立ち上がり方のコツ」を教えてくれました。転院した月末には階段の上り下り(障害者タイプ、のちに健常者風)をしてくれました。健常者風歩行が安定してきてから病棟での杖歩行許可ね。発症3ヶ月ぐらいでね。病棟内だけで4~5000歩程度かな。その月のうちにエレベーターを杖歩行で使ってよいとなったので1日10000歩程度ね。この5月の終わりには階段を使ってよいとなったので、6月はほとんどエレベーターは使っていません。リハビリは1階、病室は5階ね。病院敷地内散歩を日に3回、毎日PTとOTとSTね。他に気晴らしに下界にね。6月末日退院ね。明日、OTとSTについてね。
11月12日(水)、昨日の続きでOTとSTね。救急病院でのOTはPTと同時スタートね。マッサージとマッサージ台への腕つきもあったのですが、雑巾がけなどとどちらが先だったかな。物掴みが出てきます。その時にセラピストさんが「指を伸ばせたら、指はほっておくと勝手に曲がるから物を掴めるよ」と教えてくれたので、「そうだ」と思いました。指伸ばし、腕伸ばしの自主リハ(これは熱心でしたよ)ね。伸びたようでした。これをすると、なぜか全身の筋肉が収縮して感じにね。徐々に目的の筋肉だけぐらいにできました。このあたりから夜よく眠れるようになっていきました。リハビリ効果かな。病室で「手をじっと見つめながら」で、指を動かせました。はっきりと「視覚」で確認できましたが、指からの感覚情報はなしでした。これが、切っ掛けかもと思うぐらい「動かす」ということだけが徐々に各部位に広がっていくことにね。視床出血による感覚麻痺だけだものね。生活作業動作についてはほとんどしていません。指動かしとかが主体でした。リハビリ病院では、マッサージ時に四つん這いとかもしましたが、「動かす」ということと「感覚の戻り具合」確認のリハビリ主体でした。手や腕の動作具合の判定では、結構好成績だったということです。いろいろごそごそとしてみるのですが、感覚が戻ってきている度合いでできる作業が決まってくるのです。関節の可動域が確保されていたので「感覚の回復待ち」ということでした。STはリハビリ病院だけね。転院の時の紹介状にあったのでしょうね。救急病院で「お粥を普通食に」といってもお粥のままでしたからね。3月3日のひな祭りのお寿司(病院の普通食ではね)を食べられませんでした。「食い物の恨みは怖い」よ。でも、これだからSTがあったわけで、よかったとね。最初に深呼吸ね。話すためには呼気が必要ね。でも、できない。しばらく練習が必要でした。唇の動き、舌の動き等のリハビリ、発声練習などね。ストローを使ってのブクブクもやりました。発声練習の自主リハの時に「耳元でアバダ・ケダブラとかの呪文が聞こえる」といってSTのセラピストのYさんに怒られました。どの自主リハにはあまり熱心ではなかった「病院到着時意識不明、左半身完全麻痺、一生車いす生活というお告げを聞いた奇跡的回復者」ですが、奇跡とは思っていません。順調だったと思う程度です。脳卒中では脳での修復状況が最優先です。で、脳卒中では脳の残存機能を使ったリハビリがまずあって、次に脳の修復を促すリハビリ、最終が脳の修復ができてはじめるリハビリと順序があるのです。これを無視すると痛い目に遭いますよ。
11月13日(木)、リハビリとかで健常者にとって「普通によいトレーニング」が我々脳卒中者にとって「よいトレーニング」とは一概に言えないですね。健常者にとって悪いトレーニングなどは、ほぼ我々にも悪いと思います。脳卒中で障害を持ってしまったのですから、「健常者でも悪いといわれること」に熱心に取り組む必要はないはずですよ。筋肉に緊張が残るようなトレーニングなどや関節を痛めそうなことや動きが悪くなるようなことなどね。健常者でもマッサージを受けたりして筋肉を柔らかくしたりしているのです。高齢になってくるとさらに関節可動域にも注意を払っているのが健常者でも常識ね。それなのに、どうして脳卒中患者がリハビリと称して、筋肉を固めるようなことをしたり、関節の動きを悪くするようなことを平気でしている神経が信じられないのです。私など「筋肉グニャグニャ・関節スルスル」に出来たから「奇跡的回復」ね。リハビリをおこなうときに「健常者でもやばそう」という感じを受けたら、中断して検討しましょうね。私がおこなったリハビリについては「健常者でもやばそう」はなかったです。「阿呆草」というのはあったかもね。健常者なら必要ないというものね。ですから、健常者相手の健康的というトレーニングでも、障害者にはそのままではよくないことが沢山あります。でも、健常者にとってよくない状態というのは障害者にもよくないですよ。例外はないと思ってね。膝が曲げにくいとか、足首が曲げにくいとかなどなどね。いろいろありますよ。そうそう、リハビリは全身に対してだよ。足ばかりで腕を放置すると、腕が廃用症候群に、腕ばかりだと足が廃用症候群てな具合なので、忘れず「全身」万遍なくね。
11月14日(金)、半身麻痺になって、しばらくは麻痺側の存在感はなしね。そのうちに徐々に回復ですけど、途中で「他人様」の感じね。特に足でよく感じました。なぜか、腕の方とかでの記憶があまりないのです。PTでの歩行リハビリ時によく感じていた記憶が残っています。そのうちに「他人様」という感覚は消えていきました。今思うには「感覚の回復」がある段階の間だけ起こる感覚ではというものですかな。そして、より回復していくと「自分の足」として感じることができるのではともね。そうすると、「腕はなぜ?他人様と思わなかったの」ね。未だにチョロチョロ感覚が戻ってくる度にゴタゴタ騒ぎね。「他人様」というのは、完全麻痺で存在すら判らなかったときから回復を始めている証拠だとも思います。これで騒がず地道にリハビリを続けたらと思いますけどね。私より麻痺程度が穏やかで存在感ぐらいは残っていた人の場合はどうなのでしょうね。順序としては「存在感なし」→「微かな存在だけ」→「他人様」→「自分の体としてのある程度の存在感」→「・・」でしょうかな。脳卒中でお亡くなりになった脳細胞の代わりに働き始めた脳細胞が慣れるまでの間が「他人様」かも。
11月15日(土)、「リハビリのための動作」、「日常生活の動作」、「健康維持程度の運動」、「筋力増強のための運動」と動作や運動の目的をあげてみました。境界線は引けないですけどね。「リハビリのための動作」というのは生活動作等がなめらかに行えるようにする機能回復ですよね。筋トレではないはずです。まずは「なめらかな動きができる」ことと「可動域の確保」が基本中の基本と思いますけどね。だから「筋肉が固まっていないことと関節が錆び付いていないこと」が大前提ね。脳卒中だけですと筋肉と関節は無傷のはずですよ。当初のリハビリで各部がある程度以上の成果が得られたら、その各部での軽い「生活動作」への挑戦が始めることができると考えます。その時にその各部の動きを悪くするような取り組みは後々影響しますよ。関節の動きが悪くなってきているとかね。平均的な?生活動作で筋肉等に悪影響が出ないというところまで回復してからが「健康維持のための運動」に取り組めるのではと考えます。健康維持の運動で筋肉や関節に悪影響が出ないようになって、やっと「筋力増強のための運動」に慎重に様子を見ながら取り組むことができるのでは考えられるのです。脳卒中後ですから、感覚神経や運動神経が協調して働くことができないわけです。その修復程度がこのリハビリ過程を規定すると考えています。これを無視しまくっている方がおられるようです。そして、膝が曲がらないや足首が動かないや屈曲腕や握々お手々などになってしまって苦労しているようです。1日10000歩程度は健常者での健康維持の目安(他のタイプの運動をしていたら少なくても可かな)であって、リハビリでの目安ではないですよ。健康維持のためのダンベル体操ですと、1日合計で15分間程度での各種動作でよいともね。その本では各種それぞれ10~15回程度だとそれなりの教授の著書にありました。発症前ですが、この程度で結構筋力が付きましたよ。リハビリでは10回もすれば十分で下手すると弊害ありかもね。私は今はまだダンベル体操を再開していないです。動作の種類と負荷で許容量が大きく違ってくるはずです。気をつけてね。、
11月16日(日)、「リハビリに必要な体力(筋力、どっちかな、両方ともかな)について」ね。私の場合は、発症前からぼちぼちの体力増強?(筋力かな)に取り組んでいました。通勤には自家用車を使っていましたが、できるだけ歩くということをね。休日には歩いて近所のスーパーに水汲み(4リットル)にいって、担いでそばの百貨店の階段を1~5階を往復ね。時々さらに2~4kg程度の買い物荷物もぶら下げての昇降ね。担いだまま徒歩で遠回りして帰宅ね。荷物のないときには階段の上りは一段飛ばし、下りは一段ずつね。階段は職場でもね。だれもいない廊下等では大股疾走(出血した日もやっていたはず)もね。2日に1日のダンベル体操ね。ほんの10kgね。あるダンベル体操の本では5kgまででしたが。発症後、これらの筋力(体力?)維持動作でしているのは歩行だけです。ダンベルは筋緊張亢進から拘縮を招く危険がまだあると思うのでしていません。階段も荷物なしね。それでも、結構思っていた以上に体力も筋力も残っているみたいです。10000歩程度は健常者の目安ですよね。これはリハビリのためではなく健康維持の目安ね。脳卒中再発防止の効果では6000歩あたり以上で歩かない人より期待できるとあるブログでありましたね。リハビリでは脳に手続き記憶を構築するというのも必要ですが、やり過ぎて疲れた状態でのよくない動作パターンの手続き記憶が残ってしまうと大変だとも思っています。発症後、救急病院で始めた「日中車いす生活」というのは結構体力および筋力養成になっていたみたいですよ。行動範囲は徐々に広げていきましたよ。連続歩行2000歩程度は病棟歩行解禁から2週間以上経ってからね。ホントは毎日ではなく隔日とかの方が運動ができなくなったときの筋力低下度合いは毎日より遅いともね。私の感じでは筋力維持ですと、発症前と同じレベルでなくてもなんとかなっているみたいだしね。リハビリは疲れていない状態の方がいいと思いますので体力がある方がよいですけど、発症してからの筋トレ等は不都合の方が大きいと思いますので日頃から体力増強などに心がけましょうね。
11月10日(月)、脳での繋ぎ替え(脳の再生)には手足等を動かすということが有効と思います。この「動かす」は誰かに動かしてもらってもよいと思います。川平法ね。自分で「動かす」場合、かる~くでもよいですが、関節の可動域一杯を使った動作ですね。ラジオ体操程度のかそれ以下の筋力(下手に力を入れると固まるよ)のでもよいと考えますが、ラジオ体操ですと動作範囲は広い方がいいですよ。脳細胞が脳卒中でお亡くなりになり、別の部位の脳細胞が代わりをするわけですから、動かして使うのだというシグナルを送るためにね。そして、どの程度の範囲を使うのかというシグナルもね。筋肉や関節を固めてしまうとこのシグナルが送れなくなりますよ。ミラーニューロンとかでも結局はシグナルがまったく来ない経路は使う気にはならないでしょうね。また、筋肉や関節の状況によっては「動かす」範囲が制限され、その範囲内の手続き記憶ができてしまう可能性もありますから、できる限り、関節の可動域の確保を優先しましょう。感覚神経も動かしている方が早く回復するという報告もありますよ。脳は乳幼児期の発育期とか発生上の必要あるの場合をのぞいて、「使う」ということに対応するように繋ぎ替えをしてしまうことがあります。発育期でも起こる場合があります。筋肉や関節を固めて動作に制限がある場合はその制限範囲内のみを使うという脳になってしまう可能性ね。できるだけ健常者風の動作に戻れるように「関節の可動域全体の確保」を目指しましょう。筋トレとかをする前に関節の可動域の確保を。
11月11日(火)、リハビリのペースを思い出してみました。2月9日午後6時頃発症、数分後には左半身麻痺ね。その後、救急車内で意識が消えて病院到着時は意識不明かな。何日かして、ひょっとしたら翌日?意識のある時間が徐々に長くなっていきました。でも、夜間だと思いますが、鼻づまりでベッドの頭側を漸く手にしたリモコン(ナースコールはどこ)であげていて気がついたらベッドから頭を下にしてぶら下がっていました。頭頂が床と仲良く接していました。思ったことは「何時助けてくれるのかな」でしたが、音が大きかったようですぐ来てくれました。それで、しばらくはベッドね。尿道の管を取り外してもらった後、「上半身直立なら鼻が詰まらない」といって日中車いすね。リハビリ病院退院まで病室では「日中車いす」または「イス生活」ね。全て病院の一般用の車いすでした。上半身直立基本で股関節・膝関節・足首関節等はほぼ直角程度ね。もっと深く曲げていたかもね。救急病院では、適度なときからリハビリね。PTでは平行棒が数日~1週間ぐらいかな。杖歩行に結構早く移行できたようでした。杖歩行も割と早く距離が伸び始めたようです。例の車いす両足チョコチョコ歩行の開始ね。ただね、家族は効果に疑問を持っていました。今でも理解していないでしょうね。OTは机拭きや物つかみなどです。広告チラシ製パイプ重量挙げ(これは指定自主トレ)とかね。そして、転院ね。PT・OT・STでの担当決めと方針検討のためのセラピストの病室詣でね。その時だったか、「チョコチョコでは踵からつける方が役立つよ」とね。役に立ちましたよ。暴走族になれたものね。翌日から各リハビリ開始でした。PTでは、さらに杖歩行での向上だったかな。10日目当たりの土曜リハで杖なしで90m歩かされました。「無理させるな」と思いました。その1週間後の土曜リハが女性のFさんだったので「月曜からもよろしく」。男のUさんが健常者風への指導を始めたのが転院月で2週間目ぐらいからだったかも。ただ、盛んにした健常者風への指定自主トレは翌月ですかな。転院後45日ぐらいの時に「床からの楽な立ち上がり方のコツ」を教えてくれました。転院した月末には階段の上り下り(障害者タイプ、のちに健常者風)をしてくれました。健常者風歩行が安定してきてから病棟での杖歩行許可ね。発症3ヶ月ぐらいでね。病棟内だけで4~5000歩程度かな。その月のうちにエレベーターを杖歩行で使ってよいとなったので1日10000歩程度ね。この5月の終わりには階段を使ってよいとなったので、6月はほとんどエレベーターは使っていません。リハビリは1階、病室は5階ね。病院敷地内散歩を日に3回、毎日PTとOTとSTね。他に気晴らしに下界にね。6月末日退院ね。明日、OTとSTについてね。
11月12日(水)、昨日の続きでOTとSTね。救急病院でのOTはPTと同時スタートね。マッサージとマッサージ台への腕つきもあったのですが、雑巾がけなどとどちらが先だったかな。物掴みが出てきます。その時にセラピストさんが「指を伸ばせたら、指はほっておくと勝手に曲がるから物を掴めるよ」と教えてくれたので、「そうだ」と思いました。指伸ばし、腕伸ばしの自主リハ(これは熱心でしたよ)ね。伸びたようでした。これをすると、なぜか全身の筋肉が収縮して感じにね。徐々に目的の筋肉だけぐらいにできました。このあたりから夜よく眠れるようになっていきました。リハビリ効果かな。病室で「手をじっと見つめながら」で、指を動かせました。はっきりと「視覚」で確認できましたが、指からの感覚情報はなしでした。これが、切っ掛けかもと思うぐらい「動かす」ということだけが徐々に各部位に広がっていくことにね。視床出血による感覚麻痺だけだものね。生活作業動作についてはほとんどしていません。指動かしとかが主体でした。リハビリ病院では、マッサージ時に四つん這いとかもしましたが、「動かす」ということと「感覚の戻り具合」確認のリハビリ主体でした。手や腕の動作具合の判定では、結構好成績だったということです。いろいろごそごそとしてみるのですが、感覚が戻ってきている度合いでできる作業が決まってくるのです。関節の可動域が確保されていたので「感覚の回復待ち」ということでした。STはリハビリ病院だけね。転院の時の紹介状にあったのでしょうね。救急病院で「お粥を普通食に」といってもお粥のままでしたからね。3月3日のひな祭りのお寿司(病院の普通食ではね)を食べられませんでした。「食い物の恨みは怖い」よ。でも、これだからSTがあったわけで、よかったとね。最初に深呼吸ね。話すためには呼気が必要ね。でも、できない。しばらく練習が必要でした。唇の動き、舌の動き等のリハビリ、発声練習などね。ストローを使ってのブクブクもやりました。発声練習の自主リハの時に「耳元でアバダ・ケダブラとかの呪文が聞こえる」といってSTのセラピストのYさんに怒られました。どの自主リハにはあまり熱心ではなかった「病院到着時意識不明、左半身完全麻痺、一生車いす生活というお告げを聞いた奇跡的回復者」ですが、奇跡とは思っていません。順調だったと思う程度です。脳卒中では脳での修復状況が最優先です。で、脳卒中では脳の残存機能を使ったリハビリがまずあって、次に脳の修復を促すリハビリ、最終が脳の修復ができてはじめるリハビリと順序があるのです。これを無視すると痛い目に遭いますよ。
11月13日(木)、リハビリとかで健常者にとって「普通によいトレーニング」が我々脳卒中者にとって「よいトレーニング」とは一概に言えないですね。健常者にとって悪いトレーニングなどは、ほぼ我々にも悪いと思います。脳卒中で障害を持ってしまったのですから、「健常者でも悪いといわれること」に熱心に取り組む必要はないはずですよ。筋肉に緊張が残るようなトレーニングなどや関節を痛めそうなことや動きが悪くなるようなことなどね。健常者でもマッサージを受けたりして筋肉を柔らかくしたりしているのです。高齢になってくるとさらに関節可動域にも注意を払っているのが健常者でも常識ね。それなのに、どうして脳卒中患者がリハビリと称して、筋肉を固めるようなことをしたり、関節の動きを悪くするようなことを平気でしている神経が信じられないのです。私など「筋肉グニャグニャ・関節スルスル」に出来たから「奇跡的回復」ね。リハビリをおこなうときに「健常者でもやばそう」という感じを受けたら、中断して検討しましょうね。私がおこなったリハビリについては「健常者でもやばそう」はなかったです。「阿呆草」というのはあったかもね。健常者なら必要ないというものね。ですから、健常者相手の健康的というトレーニングでも、障害者にはそのままではよくないことが沢山あります。でも、健常者にとってよくない状態というのは障害者にもよくないですよ。例外はないと思ってね。膝が曲げにくいとか、足首が曲げにくいとかなどなどね。いろいろありますよ。そうそう、リハビリは全身に対してだよ。足ばかりで腕を放置すると、腕が廃用症候群に、腕ばかりだと足が廃用症候群てな具合なので、忘れず「全身」万遍なくね。
11月14日(金)、半身麻痺になって、しばらくは麻痺側の存在感はなしね。そのうちに徐々に回復ですけど、途中で「他人様」の感じね。特に足でよく感じました。なぜか、腕の方とかでの記憶があまりないのです。PTでの歩行リハビリ時によく感じていた記憶が残っています。そのうちに「他人様」という感覚は消えていきました。今思うには「感覚の回復」がある段階の間だけ起こる感覚ではというものですかな。そして、より回復していくと「自分の足」として感じることができるのではともね。そうすると、「腕はなぜ?他人様と思わなかったの」ね。未だにチョロチョロ感覚が戻ってくる度にゴタゴタ騒ぎね。「他人様」というのは、完全麻痺で存在すら判らなかったときから回復を始めている証拠だとも思います。これで騒がず地道にリハビリを続けたらと思いますけどね。私より麻痺程度が穏やかで存在感ぐらいは残っていた人の場合はどうなのでしょうね。順序としては「存在感なし」→「微かな存在だけ」→「他人様」→「自分の体としてのある程度の存在感」→「・・」でしょうかな。脳卒中でお亡くなりになった脳細胞の代わりに働き始めた脳細胞が慣れるまでの間が「他人様」かも。
11月15日(土)、「リハビリのための動作」、「日常生活の動作」、「健康維持程度の運動」、「筋力増強のための運動」と動作や運動の目的をあげてみました。境界線は引けないですけどね。「リハビリのための動作」というのは生活動作等がなめらかに行えるようにする機能回復ですよね。筋トレではないはずです。まずは「なめらかな動きができる」ことと「可動域の確保」が基本中の基本と思いますけどね。だから「筋肉が固まっていないことと関節が錆び付いていないこと」が大前提ね。脳卒中だけですと筋肉と関節は無傷のはずですよ。当初のリハビリで各部がある程度以上の成果が得られたら、その各部での軽い「生活動作」への挑戦が始めることができると考えます。その時にその各部の動きを悪くするような取り組みは後々影響しますよ。関節の動きが悪くなってきているとかね。平均的な?生活動作で筋肉等に悪影響が出ないというところまで回復してからが「健康維持のための運動」に取り組めるのではと考えます。健康維持の運動で筋肉や関節に悪影響が出ないようになって、やっと「筋力増強のための運動」に慎重に様子を見ながら取り組むことができるのでは考えられるのです。脳卒中後ですから、感覚神経や運動神経が協調して働くことができないわけです。その修復程度がこのリハビリ過程を規定すると考えています。これを無視しまくっている方がおられるようです。そして、膝が曲がらないや足首が動かないや屈曲腕や握々お手々などになってしまって苦労しているようです。1日10000歩程度は健常者での健康維持の目安(他のタイプの運動をしていたら少なくても可かな)であって、リハビリでの目安ではないですよ。健康維持のためのダンベル体操ですと、1日合計で15分間程度での各種動作でよいともね。その本では各種それぞれ10~15回程度だとそれなりの教授の著書にありました。発症前ですが、この程度で結構筋力が付きましたよ。リハビリでは10回もすれば十分で下手すると弊害ありかもね。私は今はまだダンベル体操を再開していないです。動作の種類と負荷で許容量が大きく違ってくるはずです。気をつけてね。、
11月16日(日)、「リハビリに必要な体力(筋力、どっちかな、両方ともかな)について」ね。私の場合は、発症前からぼちぼちの体力増強?(筋力かな)に取り組んでいました。通勤には自家用車を使っていましたが、できるだけ歩くということをね。休日には歩いて近所のスーパーに水汲み(4リットル)にいって、担いでそばの百貨店の階段を1~5階を往復ね。時々さらに2~4kg程度の買い物荷物もぶら下げての昇降ね。担いだまま徒歩で遠回りして帰宅ね。荷物のないときには階段の上りは一段飛ばし、下りは一段ずつね。階段は職場でもね。だれもいない廊下等では大股疾走(出血した日もやっていたはず)もね。2日に1日のダンベル体操ね。ほんの10kgね。あるダンベル体操の本では5kgまででしたが。発症後、これらの筋力(体力?)維持動作でしているのは歩行だけです。ダンベルは筋緊張亢進から拘縮を招く危険がまだあると思うのでしていません。階段も荷物なしね。それでも、結構思っていた以上に体力も筋力も残っているみたいです。10000歩程度は健常者の目安ですよね。これはリハビリのためではなく健康維持の目安ね。脳卒中再発防止の効果では6000歩あたり以上で歩かない人より期待できるとあるブログでありましたね。リハビリでは脳に手続き記憶を構築するというのも必要ですが、やり過ぎて疲れた状態でのよくない動作パターンの手続き記憶が残ってしまうと大変だとも思っています。発症後、救急病院で始めた「日中車いす生活」というのは結構体力および筋力養成になっていたみたいですよ。行動範囲は徐々に広げていきましたよ。連続歩行2000歩程度は病棟歩行解禁から2週間以上経ってからね。ホントは毎日ではなく隔日とかの方が運動ができなくなったときの筋力低下度合いは毎日より遅いともね。私の感じでは筋力維持ですと、発症前と同じレベルでなくてもなんとかなっているみたいだしね。リハビリは疲れていない状態の方がいいと思いますので体力がある方がよいですけど、発症してからの筋トレ等は不都合の方が大きいと思いますので日頃から体力増強などに心がけましょうね。