コロナの感染確認数が減少してきているようですね。これって「季節要因」かもね。 「関節可動域確保動作」というのをリハビリ病院退院直後ぐらいにネット上で見つけました。 手足の動作は筋肉が弛緩した後に収縮することとこの収縮するときに関係する対になっている筋肉がタイミングよく弛緩できているということが必要なのですよ。 先週木曜の投稿、軸索が樹状突起になってしまっての問題ね。 脳卒中後の歩行について思うこと。一番カッコのよい能率的な歩行は「健常者風」と考えています。 どうして、議院内閣制の大臣が役人指導をしないのかな。というより「政治責任による判断」をしないのかな。
9月13日(月)、コロナの感染確認数が減少してきているようですね。これって「季節要因」かもね。それに徐々にワクチン効果も出てきつつあるかもね。春と秋は換気しやすい時期ですよね。冬は寒いし、夏はサウナみたいな灼熱地獄の日本ね。「換気」については考えが回らない日本ですよね。今は禁煙地帯が増えてきていますが、禁煙運動当初からしばらくは「風上に喫煙席」というのがよくありました。コロナでも衝立程度の仕切りは換気を妨げるとね。焼き肉屋等の天井換気が充実しているところは禁煙の時にも効果が出ていました。カウンター席のみに近いラーメン屋さんも厨房部の換気で感染予防になっているようですね。飲食店で例を挙げましたが、他の業態でも手指消毒だけで感染予防になっているとでも思っているのかな。換気が悪いから冬と夏に特に感染が広がるのですよ。ただ、屋外でも集まりの状態によっては感染しますよね。このコロナで感染した患者さんを受け入れて奮闘されている医療機関があるのに、コロナ病棟を設置(補設置のみでも補助金あり)したのに受け入れの悪い病院があって厚生労働省が病院名公表というと圧力団体から反対があって公表できないという報道を見たことがありました。どうも、関東の方で病院はその団体の幹部が経営しているらしいとね。太平洋戦争の時の軍部上層部には愛国心はなく、自分らの地位と名誉を守ることに汲々としていたらしいですね。現代になっても伝統として続いているようですね。本当の愛国心があったら戦争には突入していないと考えられるのですけどね。セコい輩の多い日本ですね
9月14日(火)、「関節可動域確保動作」というのをリハビリ病院退院直後ぐらいにネット上で見つけました。それも、医療系専門学会のサイトでね。ボトックス療法についても同じ時期ぐらいに調べてみたのでした。で、ボツリヌス菌毒素を使っているというのが判った時点で運動神経系抑制ニューロンが働いていないのではとね。これは、大学院生頃に日経サイエンスで破傷風とボツリヌス菌の作用についての論文を読んでいたので気がついたわけですよ。破傷風毒素は抑制ニューロンに作用して働きを失わせるのです。ボツリヌス菌毒素は興奮ニューロンに作用して働かなくするのですよ。興奮ニューロンだけが働いているのが破傷風毒素の時ね。その病態が脳卒中後の屈曲腕や棒足が何か似ているのですよね。興奮ニューロンが過興奮になって「関節動作ができない」ということになっていくと考えられたわけです。興奮ニューロンが大して興奮していなかったら「楽な外力で関節可動域確保動作」ができるわけですよ。神経筋接合部で興奮ニューロンからアセチルコリンが分泌されなかったら筋肉は楽に弛緩できるわけですよ。弛緩後アセチルコリンが分泌されたら有効な筋収縮ができるとね。痙縮では常時アセチルコリンが分泌されているからボトックスでアセチルコリンを分泌できないようにして「関節可動域確保動作」が楽にできるようにしているのですよ。このようなことから「筋肉を楽に弛緩できる状態を維持する」というのがリハビリに非常に有効であると考えるに至った訳ね。入院中からしていた他動での腕伸ばしや他動での指伸ばし等が有効であったということもね。
9月15日(水)、手足の動作は筋肉が弛緩した後に収縮することとこの収縮するときに関係する対になっている筋肉がタイミングよく弛緩できているということが必要なのですよ。筋肉が収縮したままというのは筋緊張亢進状態や痙縮の状態ですよ。だから、ボトックス療法で弛緩できるようにするのですよ。だから、リハビリで大切なのは「収縮させる」より「弛緩させる」ことですよ。「弛緩させる」方法の一つがストレッチなのですよ。楽にストレッチができていたら収縮動作を楽に繰り返すことができるのです。「楽にストレッチができる」というのがあってですよ。救急病院入院中から「楽に弛緩させる」ですよ。上肢は他動での指伸ばし、腕伸ばし等です。下肢はしかたがないので車いすに座るとき腰を奥深く座り、膝関節は直角程度になるように、足首関節も直角程度になるようにしていました。ベッドで寝るときは伸ばしますでしょ。一日がかりでの関節動作みたいなのね。椅子に座ったときに絶対に足を投げ出すというのはしなかったです。リハビリ病院のOT室で順番待ちの時にソファー型の椅子に座ってもね。ついでに悪さも。椅子の形状によっては前屈みにならずに上半身垂直でも立ち上がることができるのですよ。普通はひっくり返るかもね。セラピストさんをびっくりさせることに成功しましたが・・。2回でやめました。階段は普通片足で体を持ち上げたりですよね。これを左右交互におこなって昇降するわけです。健常側の筋力だけで持ち上げることができますよね。足が滑らないことと脹ら脛あたりで足の後ろ向きの方向の力を受け止めてくれる椅子の形状と、もし、失敗しても尻餅をついても受け止めてくれるソファー型ね。救急病院のリハビリでも健常側の筋力を使って平行棒活用と補助で立ち上がれましたよ。
9月16日(木)、先週木曜の投稿、軸索が樹状突起になってしまっての問題ね。動作は脳の収縮命令を筋肉等がどう反映したかを感覚情報で随時確認しているのです。それによってすぐに修正の収縮命令を出しているのですが・・・。軸索が樹状突起になってしまうと情報の伝導速度ががた落ちになるのですよ。遅れることにね。その間に筋肉の収縮が進むわけですよ。そして、大慌てで修正命令を出すのですが行き過ぎにね。そして、今度は戻りすぎにということで振れ幅が大きくなってしまうのですよ。これは脳が回復によって軸索であったところが樹状突起に置き換わったためですよ。樹状突起につながる前はこのように震えるなんてことは起こらないですよ。ある意味、楽でしたが脳の調節機能が働いていないということです。「暴れる」みたいなのを大切にしましょうね。中枢神経系、脳とかでは軸索の伸張は起こらないというのです。
9月17日(金)、脳卒中後の歩行について思うこと。一番カッコのよい能率的な歩行は「健常者風」と考えています。人類700万年の歳月をかけて習得した歩行ですね。これに適するように関節や筋肉、神経系ができてしまったわけですよ。「健常者風」は関節が楽に使えるというのが前提ですよね。ある方が「脳卒中後の歩行にはナンバ歩き」と大見得を切られましたが、2年以上経つのになにも報告がないですね。ナンバ歩きもこの方がアップされた動画を見ると関節を使っていました。股関節・膝関節・足首関節の動きが悪いと「床を擦ってでもまっすぐ」となると思います。関節の動きが悪いとどのような歩行の外歩きはしんどいでしょうね。で、「棒足ぶん回し」になっていったりだと思います。脳卒中後の歩行はある程度までに正しい歩行にしておかないと修正が難しいと考えられるのです。「床を擦っても・・」さんは歩行リハビリの前に「関節可動のリハビリ」で下肢の主要3関節が楽に動かせるようにする方が楽に早期に健常者に近い歩容や速度になると考えられるのですけどね。ロボットリハビリは健常者風ですよね。関節を使ってつま先をあげて(ある程度の高さにね)まっすぐ出すと楽に歩けますよ。「歩行」の前に「関節可動域確保」ですよ。
9月18日(土)、民族的対立等で被害に遭った方は1000年経っても忘れることはない。正規軍同士の戦いのみ(一般人被害なし)なら忘れられるかもと思うのですが、略奪・殺人・暴行等の被害に遭った方は忘れない。2000年代のNHKスペシャルで「エルサレム」が放送されたときに現地のイスラム教徒が「十字軍に先祖が殺された。」というのが放送された記憶があるのです。織田信長が全国統一に踏み出し結構民衆に支持されたのは「武将兵卒」に略奪や暴行を厳禁したことにあるというのです。イスラムにとって「十字軍」は奪略暴行の代名詞だったのかもね。豊臣も徳川もこの信長の方針に従ったから天下が取れたというのですね。ところが、先の大戦ではジュネーブ条約を守らなかった国がありましたね。これでBC級戦犯ですよ。上層部が教えなかったためと思われます。隣では「創氏改名」と「自国語禁止で日本語強要」ですね。これはその民族を消滅させるというヒトラーのホロコーストに近いことかもね。ブッシュ大統領はテロとの戦いで「十字軍」と口走ってアメリカを泥沼にね。日本は某神社に首相になっても参拝するというのがいますね。被害を受けた方は忘れないということを忘れないでほしいですね。
9月19日(日)、どうして、議院内閣制の大臣が役人指導をしないのかな。というより「政治責任による判断」をしないのかな。どうも、まともな感覚の官僚は辞めていくのが多いという噂も。そうすると、責任逃れ体質が多く残るかな。ある県で冤罪と裁判所に判断され、この県での国家賠償訴訟で県側が主張したのが、先の裁判で弁護側に負けたのと同じ内容だったという報道がありました。官僚が作成したのは「すべて正しい」と思い込んでいるわけですね。もう、これは政治判断で是正させるほかないですよ。主張を撤回させるとか、新たな重大な証拠提出とかさせるとかね。新たな証拠なんてないから従来と同じだったのでしょうね。このようなことが国のトップ官庁から下々まであるのでしょうね。この発想が延々と続いてきたと考えたら、先の大戦で戦争終結、負けを認めるということができなかったわけがよくわかりますね。過去の検証がちゃんとできてこそ、未来が見えてくるのにね。過去をなかったことに、不都合なことをなかったことにするというのは近未来も見えなくなってしまうということです。司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和」への道』を聞くなり、読むなりして現在と近未来を考えてみましょうね。
9月13日(月)、コロナの感染確認数が減少してきているようですね。これって「季節要因」かもね。それに徐々にワクチン効果も出てきつつあるかもね。春と秋は換気しやすい時期ですよね。冬は寒いし、夏はサウナみたいな灼熱地獄の日本ね。「換気」については考えが回らない日本ですよね。今は禁煙地帯が増えてきていますが、禁煙運動当初からしばらくは「風上に喫煙席」というのがよくありました。コロナでも衝立程度の仕切りは換気を妨げるとね。焼き肉屋等の天井換気が充実しているところは禁煙の時にも効果が出ていました。カウンター席のみに近いラーメン屋さんも厨房部の換気で感染予防になっているようですね。飲食店で例を挙げましたが、他の業態でも手指消毒だけで感染予防になっているとでも思っているのかな。換気が悪いから冬と夏に特に感染が広がるのですよ。ただ、屋外でも集まりの状態によっては感染しますよね。このコロナで感染した患者さんを受け入れて奮闘されている医療機関があるのに、コロナ病棟を設置(補設置のみでも補助金あり)したのに受け入れの悪い病院があって厚生労働省が病院名公表というと圧力団体から反対があって公表できないという報道を見たことがありました。どうも、関東の方で病院はその団体の幹部が経営しているらしいとね。太平洋戦争の時の軍部上層部には愛国心はなく、自分らの地位と名誉を守ることに汲々としていたらしいですね。現代になっても伝統として続いているようですね。本当の愛国心があったら戦争には突入していないと考えられるのですけどね。セコい輩の多い日本ですね
9月14日(火)、「関節可動域確保動作」というのをリハビリ病院退院直後ぐらいにネット上で見つけました。それも、医療系専門学会のサイトでね。ボトックス療法についても同じ時期ぐらいに調べてみたのでした。で、ボツリヌス菌毒素を使っているというのが判った時点で運動神経系抑制ニューロンが働いていないのではとね。これは、大学院生頃に日経サイエンスで破傷風とボツリヌス菌の作用についての論文を読んでいたので気がついたわけですよ。破傷風毒素は抑制ニューロンに作用して働きを失わせるのです。ボツリヌス菌毒素は興奮ニューロンに作用して働かなくするのですよ。興奮ニューロンだけが働いているのが破傷風毒素の時ね。その病態が脳卒中後の屈曲腕や棒足が何か似ているのですよね。興奮ニューロンが過興奮になって「関節動作ができない」ということになっていくと考えられたわけです。興奮ニューロンが大して興奮していなかったら「楽な外力で関節可動域確保動作」ができるわけですよ。神経筋接合部で興奮ニューロンからアセチルコリンが分泌されなかったら筋肉は楽に弛緩できるわけですよ。弛緩後アセチルコリンが分泌されたら有効な筋収縮ができるとね。痙縮では常時アセチルコリンが分泌されているからボトックスでアセチルコリンを分泌できないようにして「関節可動域確保動作」が楽にできるようにしているのですよ。このようなことから「筋肉を楽に弛緩できる状態を維持する」というのがリハビリに非常に有効であると考えるに至った訳ね。入院中からしていた他動での腕伸ばしや他動での指伸ばし等が有効であったということもね。
9月15日(水)、手足の動作は筋肉が弛緩した後に収縮することとこの収縮するときに関係する対になっている筋肉がタイミングよく弛緩できているということが必要なのですよ。筋肉が収縮したままというのは筋緊張亢進状態や痙縮の状態ですよ。だから、ボトックス療法で弛緩できるようにするのですよ。だから、リハビリで大切なのは「収縮させる」より「弛緩させる」ことですよ。「弛緩させる」方法の一つがストレッチなのですよ。楽にストレッチができていたら収縮動作を楽に繰り返すことができるのです。「楽にストレッチができる」というのがあってですよ。救急病院入院中から「楽に弛緩させる」ですよ。上肢は他動での指伸ばし、腕伸ばし等です。下肢はしかたがないので車いすに座るとき腰を奥深く座り、膝関節は直角程度になるように、足首関節も直角程度になるようにしていました。ベッドで寝るときは伸ばしますでしょ。一日がかりでの関節動作みたいなのね。椅子に座ったときに絶対に足を投げ出すというのはしなかったです。リハビリ病院のOT室で順番待ちの時にソファー型の椅子に座ってもね。ついでに悪さも。椅子の形状によっては前屈みにならずに上半身垂直でも立ち上がることができるのですよ。普通はひっくり返るかもね。セラピストさんをびっくりさせることに成功しましたが・・。2回でやめました。階段は普通片足で体を持ち上げたりですよね。これを左右交互におこなって昇降するわけです。健常側の筋力だけで持ち上げることができますよね。足が滑らないことと脹ら脛あたりで足の後ろ向きの方向の力を受け止めてくれる椅子の形状と、もし、失敗しても尻餅をついても受け止めてくれるソファー型ね。救急病院のリハビリでも健常側の筋力を使って平行棒活用と補助で立ち上がれましたよ。
9月16日(木)、先週木曜の投稿、軸索が樹状突起になってしまっての問題ね。動作は脳の収縮命令を筋肉等がどう反映したかを感覚情報で随時確認しているのです。それによってすぐに修正の収縮命令を出しているのですが・・・。軸索が樹状突起になってしまうと情報の伝導速度ががた落ちになるのですよ。遅れることにね。その間に筋肉の収縮が進むわけですよ。そして、大慌てで修正命令を出すのですが行き過ぎにね。そして、今度は戻りすぎにということで振れ幅が大きくなってしまうのですよ。これは脳が回復によって軸索であったところが樹状突起に置き換わったためですよ。樹状突起につながる前はこのように震えるなんてことは起こらないですよ。ある意味、楽でしたが脳の調節機能が働いていないということです。「暴れる」みたいなのを大切にしましょうね。中枢神経系、脳とかでは軸索の伸張は起こらないというのです。
9月17日(金)、脳卒中後の歩行について思うこと。一番カッコのよい能率的な歩行は「健常者風」と考えています。人類700万年の歳月をかけて習得した歩行ですね。これに適するように関節や筋肉、神経系ができてしまったわけですよ。「健常者風」は関節が楽に使えるというのが前提ですよね。ある方が「脳卒中後の歩行にはナンバ歩き」と大見得を切られましたが、2年以上経つのになにも報告がないですね。ナンバ歩きもこの方がアップされた動画を見ると関節を使っていました。股関節・膝関節・足首関節の動きが悪いと「床を擦ってでもまっすぐ」となると思います。関節の動きが悪いとどのような歩行の外歩きはしんどいでしょうね。で、「棒足ぶん回し」になっていったりだと思います。脳卒中後の歩行はある程度までに正しい歩行にしておかないと修正が難しいと考えられるのです。「床を擦っても・・」さんは歩行リハビリの前に「関節可動のリハビリ」で下肢の主要3関節が楽に動かせるようにする方が楽に早期に健常者に近い歩容や速度になると考えられるのですけどね。ロボットリハビリは健常者風ですよね。関節を使ってつま先をあげて(ある程度の高さにね)まっすぐ出すと楽に歩けますよ。「歩行」の前に「関節可動域確保」ですよ。
9月18日(土)、民族的対立等で被害に遭った方は1000年経っても忘れることはない。正規軍同士の戦いのみ(一般人被害なし)なら忘れられるかもと思うのですが、略奪・殺人・暴行等の被害に遭った方は忘れない。2000年代のNHKスペシャルで「エルサレム」が放送されたときに現地のイスラム教徒が「十字軍に先祖が殺された。」というのが放送された記憶があるのです。織田信長が全国統一に踏み出し結構民衆に支持されたのは「武将兵卒」に略奪や暴行を厳禁したことにあるというのです。イスラムにとって「十字軍」は奪略暴行の代名詞だったのかもね。豊臣も徳川もこの信長の方針に従ったから天下が取れたというのですね。ところが、先の大戦ではジュネーブ条約を守らなかった国がありましたね。これでBC級戦犯ですよ。上層部が教えなかったためと思われます。隣では「創氏改名」と「自国語禁止で日本語強要」ですね。これはその民族を消滅させるというヒトラーのホロコーストに近いことかもね。ブッシュ大統領はテロとの戦いで「十字軍」と口走ってアメリカを泥沼にね。日本は某神社に首相になっても参拝するというのがいますね。被害を受けた方は忘れないということを忘れないでほしいですね。
9月19日(日)、どうして、議院内閣制の大臣が役人指導をしないのかな。というより「政治責任による判断」をしないのかな。どうも、まともな感覚の官僚は辞めていくのが多いという噂も。そうすると、責任逃れ体質が多く残るかな。ある県で冤罪と裁判所に判断され、この県での国家賠償訴訟で県側が主張したのが、先の裁判で弁護側に負けたのと同じ内容だったという報道がありました。官僚が作成したのは「すべて正しい」と思い込んでいるわけですね。もう、これは政治判断で是正させるほかないですよ。主張を撤回させるとか、新たな重大な証拠提出とかさせるとかね。新たな証拠なんてないから従来と同じだったのでしょうね。このようなことが国のトップ官庁から下々まであるのでしょうね。この発想が延々と続いてきたと考えたら、先の大戦で戦争終結、負けを認めるということができなかったわけがよくわかりますね。過去の検証がちゃんとできてこそ、未来が見えてくるのにね。過去をなかったことに、不都合なことをなかったことにするというのは近未来も見えなくなってしまうということです。司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和」への道』を聞くなり、読むなりして現在と近未来を考えてみましょうね。