脳卒中のリハビリの速さは脳での修復との兼ね合いだよ ある方がブログで「ぶん回し歩行」の修正法でより良い方法を求められていました。でも、発症直後の方へ。 筋肉の働きとしての血液循環ポンプ作用について 私は視床出血でしたが、俗にいう「視床痛」にはなっていないみたい 「焦っても無駄です、放置もダメです。」というのがリハビリ 「発症直後の脳卒中での動かない」についての体験 視床出血になって入院していて焦ったこと
10月20日(月)、脳卒中のリハビリの速さは脳での修復との兼ね合いだよ。運動神経・感覚神経とかが揃った健常状態が最速でどれかが欠けるとカタツムリの歩みより遅くなるのがリハビリの世界だよ。脳での修復を促し、脳が働けるようになるまでは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」だよ。順序を間違うと拘縮とかだよ。脳卒中ですと、感覚神経部位がダメージを受けたり、運動神経部位がダメージを受けたり、両方だったりするわけですよね。動作等を制御している部分だけがダメージを受けているのだから、制御部分が修復されるまでは動作がコントロール出来ないということを理解出来るかどうかがリハビリに非常に影響を与えると考えられます。私らみたいな感覚麻痺ですと、運動神経・筋肉・関節等は無事なので比較的早期に「とりあえず動く」だけにはできますが、制御不能であることをおわかりでない方が多いと考えられます。判っていない行動の筆頭が「過剰リハビリ(筋トレタイプ等)」ね。ただ、感覚麻痺だけの場合は感覚情報を他の部位からの感覚情報で幾分か補うことができれば、「ともかく動く」よりは「幾分か動作ができる」ということになりますが、本格的回復ではないということね。ここで間違うと「拘縮」等の危険性が出てきます。すべて、神経系の回復状況等でリハビリの進展具合が変わってくると考えています。川平法は「動かしてあげる」→「脳での促通への刺激になる」→「繰り返すことで促通が起こる」→「自身で動かせるようになる」→「脳が感覚情報も得ることができればより的確な動作ができるようになる」→「・・」とかですかな。脳での修復以上に早くリハビリが進むことはないのです。無茶な運動とかをしていると「足首が硬くなって歩行の時に踵が着かない」や「膝が曲がらない」や「腕が屈曲したまま」や「指が伸びない」などになってしまうのです。「運動させる必要(脳の修復のためにもね)」と「筋肉を固めない。」と「関節を錆び付かせない。」という3兎を同時に追いかける必要があるのが脳卒中でのリハビリです。「動かしづらくなった」とかはこの3兎全てが逃げていく可能性のある危機ということです。対策を。対策はセラピストさんや医師などと相談してね。
10月21日(火)、ある方がブログで「ぶん回し歩行」の修正法でより良い方法を求められていました。私の体験は既に役立たない経過があるようです。ですから、発症直後の方へね。歩行リハビリが始まって、リハビリ病院移転して1ヶ月ほどしたときから、「健常者風歩行」を目指してのリハビリをしていました。病状は「発症時病院到着時意識なし」「左半身完全麻痺」「お告げは一生車いす」程度ね。他の日の投稿等のように入院生活を送っていました。リハビリではできるだけ「健常者風」を目指し、それまでは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」とね。車いす両足チョコチョコ歩行もこの条件に合っていたみたいです。股関節・膝関節・足首関節を自在に動かせるように生活していました。といっても、「日中車いす生活」ね。正しく座りましょう。そうしたら、早期に健常者風歩行への指導がありました。当時、ぶん回しの方が楽だったですが、後々健常者風の方が楽と考えて熱心に取り組みましたよ。単調な動作の繰り返しとかです。「歩けたら・・」という意識はなく「健常者風目指して」ね。私みたいな麻痺程度でも早期から健常者風を目指したら健常者風にできるのですが、そのためには一見役立たないような「日中車いす生活」や「車いす両足チョコチョコ歩行」とかにも取り組みましょうね。「単調な動作の繰り返し」のリハビリも諦めずにね。リハビリ病院を退院してしばらくしてしまっているようでしたら、絶対定期的にセラピストさんの助言を受けてください。以前の投稿「目指せ健常者風動作をリハビリ病院入院中に」で適切にリハビリを。あくまでも「適切なリハビリ」ですよ。「頑張ってください」ですと「過剰リハビリ」の危険性がありますのでね。
10月22日(水)、筋肉の働きとしての血液循環ポンプ作用についてね。筋肉のリハビリで必要なことはこのポンプ作用を高めることね。筋肉を固めてしまうとポンプ作用がなくなりますよね。「筋肉を固めない」は単に固着とかを防ぐだけではなく、血流に大いに関係しているポンプ作用を維持するのにも役立つはずだとね。この意味での筋肉のリハビリは絶対必要だと考えます。筋肉については放置をすれば廃用症候群で固くなりそうだし不適切リハビリでも固くなったりするので適切なリハビリは必要と考えます。「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」というのが大切ということです。脹ら脛(腓腹筋)の筋肉は「第二の心臓」ともいわれていますからね。腓腹筋を硬くすると「浮腫むとかの症状が」ということです。一端、固くすると柔らかくするのに手間取りますよ。血流をよくするためにリハビリの目標に「筋肉を固めない」をね。リハビリの範囲をどこまでと考えるかですけどね。2月の雪の日も花子の散歩に出ましたが、手袋なしね。手袋は邪魔くさい。筋肉が固まっていないので血流がある程度確保されてからね。手の皮膚温が確保できるので「邪魔くさい」といえるわけね。
10月23日(木)、視床痛についてね。私は視床出血でしたが、俗にいう「視床痛」にはなっていないみたいです。視床痛は、例えば腕を切断とかされた方に起こるはずのない腕からと感ずる痛みと同じタイプであると聞いたことがあるのです。私は救急病院で「感覚が戻ってきたときに痛みだけというのは嫌だ」といっていました。そう、感覚が戻ってくることを当然と考えていたのです。だから、動かせるようになるというのも当然と思っていましたが、何時になるかは「神に聞くしかなのかな」ともね。感覚にしろ、運動にしろ麻痺した部分を使うのだと脳に何らかのシグナルを送ろうというのが、「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」ため、健常側による動作の働きかけをしていました。足は車いすに座るというでも役に立ったのかも。動作の方は感覚麻痺でしたから、代用感覚情報で代用出来たようで、ともかく動かせるようになっていきました。古い文献でも動作させるというのが感覚の回復に効果があるとでているのもありました。そんなこんなでリハビリ病院退院後も視床痛に見舞われることなく逃げ果せています。大脳の感覚中枢がなんかの拍子に存在を再認識してくれたのでしょうね。医療関係者は視床痛の発症についてどのようなリハビリへの取り組み・視床出血や視床梗塞の発症状況とかの関連とかをビックデータ的に集めて解析したら予防法が浮かび上がるのではともね。全国規模でのデータ収集ね。
10月24日(金)、「焦っても無駄です、放置もダメです。」というのがリハビリです。「焦る」というのは「過剰リハビリ」ですよね。人間の行動を支配しているのは脳です。「意思」の発現も脳です。高次脳機能は脳の働きですが、普通の動作も脳の働きでコントロールされています。健常者での筋トレも脳の働きがあって何とか正常にできるのです。脳が適切に関与しておくことが必要なのですが、脳卒中では感覚神経が関与出来ないとか運動神経が関与できないとかがあって正常な筋トレができないのです。脳の総合的な回復状況で左右されるのです。これを無視することはできないのです。ところで、セラピストさんや家族などに動かしてもらうというのは効果が期待できるし、筋力を発揮しないような動作も有効のようなのですが、この有効性がいつごろ脳に発現するのかについてはよくわからないというのが現実なのです。でも、何もしないよりは圧倒的によいということなのです。脳の回復を待てずに焦って許容量以上の動作をすると拘縮とかに繋がるというのがリハビリの世界です。「あれもできない、これもできない、・・・」とかで苛つかれている方が多いようですが、回復度は順調でない方が多いみたいです。人間の回復力はある意味すごいですが、順序とその時期とがあるのです。無視すると痛い目に遭いますよ。焦らないことです。ある方がブログで「ストレスを溜めないように気持ちを切り替えましょう」とかいうのがあったのですが、全くその通りです。「何時回復するかは神のみぞ知る」で焦らず地道に継続してのリハビリね。入院中の闇リハは焦り心の象徴かな。「焦っても無駄」どころか「焦りは弊害ばかり」かな。「放置も弊害のみ」ね。適切なリハビリを心がけましょう。脳卒中回復期の動作許容量は以外と小さいと考えています。簡単に許容量オーバーになると考えられます。自主リハと称して闇リハなどされていた方からみたら、「へなちょこリハ」で「奇跡的速度の回復」を実現した者より。健常者風でスタスタ歩けるようになった病院搬入時意識不明、左半身完全麻痺、一生車いすといわれた者より。
10月25日(土)、先週投稿の『「発症直後の脳卒中での動かない」と「放置または過剰リハビリ等で動かなくしている」のとの違いについて』での「発症直後の脳卒中での動かない」についての体験ね。私は視床出血で左半身完全麻痺状態にね。存在すら判らなくなった麻痺でした。感覚だけの麻痺で動かなくにね。それで、右腕で左腕を持ち上げたりしたときに感じたのは「腕は重たい」であって関節部はスムースでしたよ。肘関節も楽々曲げれました。手首や指もね。股関節も車いすに座るとき楽々曲がっていました。当然、膝関節も足首関節もすんなり曲がるから正しい座り方ができました。何らの抵抗感もなく直角程度にです。曲げることができるというのは屈筋は収縮側に無理なく縮めていたということになり、伸ばしたときにはこの屈筋は伸ばされ、伸筋は屈筋とは逆の伸縮をさせていたことにね。外部の力で楽々動かすことができていたのです。だから、布団とかの重みだけで寝ているというだけで尖足になる危険性があるのですよ。この状態を保ちながらリハビリで脳からの命令で動かせるようになる準備をゆっくりとするわけです。時間をかけてね。焦らないでね。感覚麻痺で運動神経が無事だったので「代用感覚情報](視覚情報等で筋肉よりの情報の代用)での運動神経調節を楽そうなところからちびりちびり始めた次第です。ただね、回数とかは少ないですが、手足とかに「使うのだと」というシグナル的リハビリもしましたが。例えば、トイレで手摺りにしがみついてちょっとだけ麻痺足に体重をのせてみたりとかね。体重のほとんどは健常側ですよ。ちょいちょいそういう意思表示もして脳にも情報を送ったりしました。「代用感覚情報」がある程度使えるようになったみたいなあたりからは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」と「感覚神経回復を目指して」で本格的?リハビリにね。ですから、今も普通の動作の時に筋肉の強張りや関節の錆つきみたいなことがないのです。あれば、マッサージ等の対象で緊張緩和ね。リハビリの最優先事項は「緊張緩和」と思っている病院搬入時意識不明、左半身完全麻痺、一生車いすといわれた者です。どこまで回復しているかは別の日の投稿を読んでね。
10月26日(日)、視床出血になって入院していて焦ったこと、「筋肉を固めたくない。外部の力でよいから何らかの屈伸を早くさせたい。」ということです。でも、もう少しのんびりしていてもよかったみたいでしたが。腕の方は健常側でいくらかは動かせる程度の質量でしたから、ゴソゴソね。問題は足でした。諦めの境地で「焦り」ばかりが。でもね、結構早期に半日、車いすに座るということができたというのがよかったとこの頃思っています。自分で動かせるようになるのはいつ頃かについては焦りはなかったです。筋肉に柔軟性があって関節もなめらかなら何時でも動かせますよ。「視床出血」でしたから、結構早期に動かせるということができたのでした。ただ、「動かしている」というだけね。肝心な部分の感覚情報がないので不都合だらけでした。グッパができはじめた当初は視覚で指が動いていると感じるだけね、今は幾分か(どの程度でしょうね)手からの感覚として感じています。リハビリで徐々に改善させたのですが、ゆっくりとね。「動くから・・したい」との焦りはなかったです。未だにね。それで「・・してみたらと思いついたのでやってみたら」とね。できることが徐々に増えてきているのは確かです。その増加を楽しんでいます。これ、リハビリ病院入院中もね。これで、「奇跡的回復」ね。焦りはなかったですが、適切な範囲のリハビリは積極的にしていましたよ。あくまでも「医学的にも生物学的にも適切と考えられる範囲の量と質のリハビリ」(これが非常に大切)、それもセラピストさんが診ても「適切」と言える範囲ね。周囲の方はご本人に焦りの心が生じないようにね。焦りの心が回復を遅らせます。同じようなCT画像でも症状に違いがでるのが脳卒中です。他の患者さんとの比較は避けてね。他の方のほうが軽症のこともありますのでね。万が一、同じ病室に「死にかけから奇跡的な回復速度」の患者がいたら、病状の話は一方通行だけのほうがよいかも。知らぬが仏ね。「あの人はあの人です。あなたではないのです。あなたはあなたの回復順序と速さがあるのです。」とかでうまく傷つけないようにするほかはないかもね。昨日の歩数19000歩、一昨日14000歩、連日平均11000~13000歩ぐらいです。焦らず適切なリハビリをしたので健常者風で問題なしね、一生車いすといわれた者ですが。
10月20日(月)、脳卒中のリハビリの速さは脳での修復との兼ね合いだよ。運動神経・感覚神経とかが揃った健常状態が最速でどれかが欠けるとカタツムリの歩みより遅くなるのがリハビリの世界だよ。脳での修復を促し、脳が働けるようになるまでは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」だよ。順序を間違うと拘縮とかだよ。脳卒中ですと、感覚神経部位がダメージを受けたり、運動神経部位がダメージを受けたり、両方だったりするわけですよね。動作等を制御している部分だけがダメージを受けているのだから、制御部分が修復されるまでは動作がコントロール出来ないということを理解出来るかどうかがリハビリに非常に影響を与えると考えられます。私らみたいな感覚麻痺ですと、運動神経・筋肉・関節等は無事なので比較的早期に「とりあえず動く」だけにはできますが、制御不能であることをおわかりでない方が多いと考えられます。判っていない行動の筆頭が「過剰リハビリ(筋トレタイプ等)」ね。ただ、感覚麻痺だけの場合は感覚情報を他の部位からの感覚情報で幾分か補うことができれば、「ともかく動く」よりは「幾分か動作ができる」ということになりますが、本格的回復ではないということね。ここで間違うと「拘縮」等の危険性が出てきます。すべて、神経系の回復状況等でリハビリの進展具合が変わってくると考えています。川平法は「動かしてあげる」→「脳での促通への刺激になる」→「繰り返すことで促通が起こる」→「自身で動かせるようになる」→「脳が感覚情報も得ることができればより的確な動作ができるようになる」→「・・」とかですかな。脳での修復以上に早くリハビリが進むことはないのです。無茶な運動とかをしていると「足首が硬くなって歩行の時に踵が着かない」や「膝が曲がらない」や「腕が屈曲したまま」や「指が伸びない」などになってしまうのです。「運動させる必要(脳の修復のためにもね)」と「筋肉を固めない。」と「関節を錆び付かせない。」という3兎を同時に追いかける必要があるのが脳卒中でのリハビリです。「動かしづらくなった」とかはこの3兎全てが逃げていく可能性のある危機ということです。対策を。対策はセラピストさんや医師などと相談してね。
10月21日(火)、ある方がブログで「ぶん回し歩行」の修正法でより良い方法を求められていました。私の体験は既に役立たない経過があるようです。ですから、発症直後の方へね。歩行リハビリが始まって、リハビリ病院移転して1ヶ月ほどしたときから、「健常者風歩行」を目指してのリハビリをしていました。病状は「発症時病院到着時意識なし」「左半身完全麻痺」「お告げは一生車いす」程度ね。他の日の投稿等のように入院生活を送っていました。リハビリではできるだけ「健常者風」を目指し、それまでは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」とね。車いす両足チョコチョコ歩行もこの条件に合っていたみたいです。股関節・膝関節・足首関節を自在に動かせるように生活していました。といっても、「日中車いす生活」ね。正しく座りましょう。そうしたら、早期に健常者風歩行への指導がありました。当時、ぶん回しの方が楽だったですが、後々健常者風の方が楽と考えて熱心に取り組みましたよ。単調な動作の繰り返しとかです。「歩けたら・・」という意識はなく「健常者風目指して」ね。私みたいな麻痺程度でも早期から健常者風を目指したら健常者風にできるのですが、そのためには一見役立たないような「日中車いす生活」や「車いす両足チョコチョコ歩行」とかにも取り組みましょうね。「単調な動作の繰り返し」のリハビリも諦めずにね。リハビリ病院を退院してしばらくしてしまっているようでしたら、絶対定期的にセラピストさんの助言を受けてください。以前の投稿「目指せ健常者風動作をリハビリ病院入院中に」で適切にリハビリを。あくまでも「適切なリハビリ」ですよ。「頑張ってください」ですと「過剰リハビリ」の危険性がありますのでね。
10月22日(水)、筋肉の働きとしての血液循環ポンプ作用についてね。筋肉のリハビリで必要なことはこのポンプ作用を高めることね。筋肉を固めてしまうとポンプ作用がなくなりますよね。「筋肉を固めない」は単に固着とかを防ぐだけではなく、血流に大いに関係しているポンプ作用を維持するのにも役立つはずだとね。この意味での筋肉のリハビリは絶対必要だと考えます。筋肉については放置をすれば廃用症候群で固くなりそうだし不適切リハビリでも固くなったりするので適切なリハビリは必要と考えます。「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」というのが大切ということです。脹ら脛(腓腹筋)の筋肉は「第二の心臓」ともいわれていますからね。腓腹筋を硬くすると「浮腫むとかの症状が」ということです。一端、固くすると柔らかくするのに手間取りますよ。血流をよくするためにリハビリの目標に「筋肉を固めない」をね。リハビリの範囲をどこまでと考えるかですけどね。2月の雪の日も花子の散歩に出ましたが、手袋なしね。手袋は邪魔くさい。筋肉が固まっていないので血流がある程度確保されてからね。手の皮膚温が確保できるので「邪魔くさい」といえるわけね。
10月23日(木)、視床痛についてね。私は視床出血でしたが、俗にいう「視床痛」にはなっていないみたいです。視床痛は、例えば腕を切断とかされた方に起こるはずのない腕からと感ずる痛みと同じタイプであると聞いたことがあるのです。私は救急病院で「感覚が戻ってきたときに痛みだけというのは嫌だ」といっていました。そう、感覚が戻ってくることを当然と考えていたのです。だから、動かせるようになるというのも当然と思っていましたが、何時になるかは「神に聞くしかなのかな」ともね。感覚にしろ、運動にしろ麻痺した部分を使うのだと脳に何らかのシグナルを送ろうというのが、「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」ため、健常側による動作の働きかけをしていました。足は車いすに座るというでも役に立ったのかも。動作の方は感覚麻痺でしたから、代用感覚情報で代用出来たようで、ともかく動かせるようになっていきました。古い文献でも動作させるというのが感覚の回復に効果があるとでているのもありました。そんなこんなでリハビリ病院退院後も視床痛に見舞われることなく逃げ果せています。大脳の感覚中枢がなんかの拍子に存在を再認識してくれたのでしょうね。医療関係者は視床痛の発症についてどのようなリハビリへの取り組み・視床出血や視床梗塞の発症状況とかの関連とかをビックデータ的に集めて解析したら予防法が浮かび上がるのではともね。全国規模でのデータ収集ね。
10月24日(金)、「焦っても無駄です、放置もダメです。」というのがリハビリです。「焦る」というのは「過剰リハビリ」ですよね。人間の行動を支配しているのは脳です。「意思」の発現も脳です。高次脳機能は脳の働きですが、普通の動作も脳の働きでコントロールされています。健常者での筋トレも脳の働きがあって何とか正常にできるのです。脳が適切に関与しておくことが必要なのですが、脳卒中では感覚神経が関与出来ないとか運動神経が関与できないとかがあって正常な筋トレができないのです。脳の総合的な回復状況で左右されるのです。これを無視することはできないのです。ところで、セラピストさんや家族などに動かしてもらうというのは効果が期待できるし、筋力を発揮しないような動作も有効のようなのですが、この有効性がいつごろ脳に発現するのかについてはよくわからないというのが現実なのです。でも、何もしないよりは圧倒的によいということなのです。脳の回復を待てずに焦って許容量以上の動作をすると拘縮とかに繋がるというのがリハビリの世界です。「あれもできない、これもできない、・・・」とかで苛つかれている方が多いようですが、回復度は順調でない方が多いみたいです。人間の回復力はある意味すごいですが、順序とその時期とがあるのです。無視すると痛い目に遭いますよ。焦らないことです。ある方がブログで「ストレスを溜めないように気持ちを切り替えましょう」とかいうのがあったのですが、全くその通りです。「何時回復するかは神のみぞ知る」で焦らず地道に継続してのリハビリね。入院中の闇リハは焦り心の象徴かな。「焦っても無駄」どころか「焦りは弊害ばかり」かな。「放置も弊害のみ」ね。適切なリハビリを心がけましょう。脳卒中回復期の動作許容量は以外と小さいと考えています。簡単に許容量オーバーになると考えられます。自主リハと称して闇リハなどされていた方からみたら、「へなちょこリハ」で「奇跡的速度の回復」を実現した者より。健常者風でスタスタ歩けるようになった病院搬入時意識不明、左半身完全麻痺、一生車いすといわれた者より。
10月25日(土)、先週投稿の『「発症直後の脳卒中での動かない」と「放置または過剰リハビリ等で動かなくしている」のとの違いについて』での「発症直後の脳卒中での動かない」についての体験ね。私は視床出血で左半身完全麻痺状態にね。存在すら判らなくなった麻痺でした。感覚だけの麻痺で動かなくにね。それで、右腕で左腕を持ち上げたりしたときに感じたのは「腕は重たい」であって関節部はスムースでしたよ。肘関節も楽々曲げれました。手首や指もね。股関節も車いすに座るとき楽々曲がっていました。当然、膝関節も足首関節もすんなり曲がるから正しい座り方ができました。何らの抵抗感もなく直角程度にです。曲げることができるというのは屈筋は収縮側に無理なく縮めていたということになり、伸ばしたときにはこの屈筋は伸ばされ、伸筋は屈筋とは逆の伸縮をさせていたことにね。外部の力で楽々動かすことができていたのです。だから、布団とかの重みだけで寝ているというだけで尖足になる危険性があるのですよ。この状態を保ちながらリハビリで脳からの命令で動かせるようになる準備をゆっくりとするわけです。時間をかけてね。焦らないでね。感覚麻痺で運動神経が無事だったので「代用感覚情報](視覚情報等で筋肉よりの情報の代用)での運動神経調節を楽そうなところからちびりちびり始めた次第です。ただね、回数とかは少ないですが、手足とかに「使うのだと」というシグナル的リハビリもしましたが。例えば、トイレで手摺りにしがみついてちょっとだけ麻痺足に体重をのせてみたりとかね。体重のほとんどは健常側ですよ。ちょいちょいそういう意思表示もして脳にも情報を送ったりしました。「代用感覚情報」がある程度使えるようになったみたいなあたりからは「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。」と「感覚神経回復を目指して」で本格的?リハビリにね。ですから、今も普通の動作の時に筋肉の強張りや関節の錆つきみたいなことがないのです。あれば、マッサージ等の対象で緊張緩和ね。リハビリの最優先事項は「緊張緩和」と思っている病院搬入時意識不明、左半身完全麻痺、一生車いすといわれた者です。どこまで回復しているかは別の日の投稿を読んでね。
10月26日(日)、視床出血になって入院していて焦ったこと、「筋肉を固めたくない。外部の力でよいから何らかの屈伸を早くさせたい。」ということです。でも、もう少しのんびりしていてもよかったみたいでしたが。腕の方は健常側でいくらかは動かせる程度の質量でしたから、ゴソゴソね。問題は足でした。諦めの境地で「焦り」ばかりが。でもね、結構早期に半日、車いすに座るということができたというのがよかったとこの頃思っています。自分で動かせるようになるのはいつ頃かについては焦りはなかったです。筋肉に柔軟性があって関節もなめらかなら何時でも動かせますよ。「視床出血」でしたから、結構早期に動かせるということができたのでした。ただ、「動かしている」というだけね。肝心な部分の感覚情報がないので不都合だらけでした。グッパができはじめた当初は視覚で指が動いていると感じるだけね、今は幾分か(どの程度でしょうね)手からの感覚として感じています。リハビリで徐々に改善させたのですが、ゆっくりとね。「動くから・・したい」との焦りはなかったです。未だにね。それで「・・してみたらと思いついたのでやってみたら」とね。できることが徐々に増えてきているのは確かです。その増加を楽しんでいます。これ、リハビリ病院入院中もね。これで、「奇跡的回復」ね。焦りはなかったですが、適切な範囲のリハビリは積極的にしていましたよ。あくまでも「医学的にも生物学的にも適切と考えられる範囲の量と質のリハビリ」(これが非常に大切)、それもセラピストさんが診ても「適切」と言える範囲ね。周囲の方はご本人に焦りの心が生じないようにね。焦りの心が回復を遅らせます。同じようなCT画像でも症状に違いがでるのが脳卒中です。他の患者さんとの比較は避けてね。他の方のほうが軽症のこともありますのでね。万が一、同じ病室に「死にかけから奇跡的な回復速度」の患者がいたら、病状の話は一方通行だけのほうがよいかも。知らぬが仏ね。「あの人はあの人です。あなたではないのです。あなたはあなたの回復順序と速さがあるのです。」とかでうまく傷つけないようにするほかはないかもね。昨日の歩数19000歩、一昨日14000歩、連日平均11000~13000歩ぐらいです。焦らず適切なリハビリをしたので健常者風で問題なしね、一生車いすといわれた者ですが。