∞doors 八戸探検隊

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また再建しましょう!

2011年03月30日 | 出来事
【地震】じいさん「また再建しましょう」

地震発生から3日目、住宅の3階に取り残された高齢者3名が救出された。
高齢の男性は待ち構えるカメラに「大丈夫ですか?」と尋ねられる。
すると、憔悴しきっててもおかしくないにもかかわらず、晴れやかな顔で、
「チリ津波んときも体験してっから大丈夫です。」
「また再建しましょう!」
そう語るのであった。

非常に重みがあり、たくさんの被災者の人たちを勇気付ける言葉だと思いましたよ。


骨折した骨が治る時には、折れる前よりもさらに太い骨になって蘇るといいます。同様にこの国も先人たちが敗戦からの復興、地震や台風といった天災による幾多の困難を乗り越えてきたことによって、今の姿があるのです。

「人が亡くなるというのは、この世での修行が終わった時。」
「神様は乗り越えられない試練は与えない。」
ラジオは言います。

しかし、全てを波に呑まれた人、大切な方を失った人には、今は何を聞いても到底納得できないことでしょう。
ビートたけしが週間ポストで語った言葉が印象に残っています。

『見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
(中略)
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。』


津波から生き残って尚、自らも命を絶ってしまいたいほどの苦悩があると思います。
生きてるからには時間に背中を押されつつ、前進するしかないという辛さもそこにはあるのです。




今だから聞きたい応援歌。俺ベスト。


陽はまた昇る♪ 谷村新司 NV


“陽はまた昇る どんな人の心にも 
嗚呼 生きるとは燃えながら暮らすこと”


涙そうそう-夏川りみ


涙そうそうは沖縄の言葉で「涙がぽろぽろ」という意味だそうだ。
作詞の森山良子が夭逝した兄を思い、歌詞をつけたという。


アラジン 陽は、また昇る aladdin - hi wa. mata noboru

“このままじゃ終わるわけない”

髪の毛が黒い人が1人しかいないのが気になるけど、日本人の誇りとは何か。


アンパンマンマーチ♪(フルバージョン)

被災直後からラジオでたくさん流れた曲だそうです。
子供はうれしがるだろうし、よくよく聞いてみるとその深い歌詞が大人にもぐっと刺さる名曲ですね。

“そうだ うれしいんだ いきるよろこび たとえ むねのきずが いたんでも”

おなかをすかせている人には自分の顔をちぎって食べさせるという自己犠牲のこころ。
水に濡れただけで弱体化してしまうという個々の弱さがありながら、仲間のきずなで復活する。

アンパンマンには理想の日本人像が投影されている気がします。
でも、暴力で解決しちゃだめだぞ。



YATTA!

“生きていたからラッキーだ!”
“9時間睡眠”“お水飲んだらうめー”“腹から笑ったらおもしれー”

アンパンマンが投げかける「何がキミの幸せ?」という問いに、シンプルに答える曲。
お金や持ち物でない、身の回りに転がっていることにこそ、幸せを感じられる人生は豊かなんだと思います。

とはいえ、今も余震におびえつつ避難所暮らしをしている大勢の方々は幸せを感じるどころではないでしょう。
被災地でなくても食品や薬品の不足、停電や放射能と先行きが不安な今日この頃ですが、一日も早く、みんなが安心して暮らせる日が来ることをお祈りします。




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