tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

Illustrator Photoshop応用講座終講!

2005年03月11日 00時24分20秒 | DTP/Web
少し報告が遅れたが、月曜日の夜に受講していた「Illustrator Photoshop応用講座」が終講した。

これは私が在籍していた専門学校の特別授業みたいな位置づけで開講していた講座で、本来の正規の講座という位置づけではない。どのような内容で行われているのかについては、下のテーブル(表)を見てほしい。
また詳しく知りたい方は、このブログでは商業的な宣伝活動を控えるようにとの規定があるので、恩師のホームページ受講案内を参照してほしい。
Adobe Illustrator Adobe Illustratorツールとパレットを自在に操ろう!
プロ仕様ショートカットキーを使いこなして
絵が描けなくても、Adobe Illustratorがたのしくなる!
Adobe Photoshop Adobe Photshopを簡単!遊んで学ぼう!
選択ツールとレイヤー使いこなし術伝授!
お絵描きソフトとしてのAdobe Photoshop
Adobe Illustrator Adobe Illustratorの面白い機能
シンボルスプレーツール、パスファインダ等々
ツールとコマンドを、たのしく使いこなそう!
Adobe Photoshop 難解とされている解像度のツボを押さえよう!
Adobe Photoshopの疑問総ざらえ!悩み解消!
試行錯誤するよろこびをたのしもう!
Adobe Illustrator 正確なロゴタイプやマークの制作方法を学ぶ
どんなマニュアル本からも学べないペンツールの極意!
平面から立体までイラスト小品制作で自信をつけよう!
Adobe Photoshop 画像合成を意のままに楽しめるようになろう!
レイヤー、チャンネルを存分に使い慣れよう
複雑かつ巧みな画像合成の仕組みを手にしよう!
Adobe Illustrator Adobe Photoshop連携作業 スキャニングからテンプレートへ
Adobe IllustratorからAdobe Photoshopへ
各種高度なテクニックを使ってみよう

恩師にはもともと鉛筆を使ってスケッチブックに書くようなデザインの基礎を習った。もちろん、パソコンを使ったDTP制作をこの業界でも早くから取り入れた人だから、その技術はプロの頂点を行く人だ。ほとんどソフトの解説書がなかった時代、彼らの参考書は英文で書かれたものだったそうだ。だから技術的な視点が少し違う。それに、背後には哲学がある。頑固な職人ではない別な風格さえもある。これが私個人、気に入って受講している。ただ技術を習っているだけではないのだ。

私の通っていた専門学校は通常の制作技術をメインとして教えるところだった。通常の制作技術と言ってもこれが難しいのである。だから通ってすぐに使いこなすとなるとかなり難しいところがある。これを基本とすると、この基本についていけない人はけっこう多いから、応用講座の受講はもっと難しいことになる。

他の専門学校では、別にこうした応用講座が設置されているところもある。しかし、それらはマニュアル化されていて、完全に基本と応用を区別している体制が出来上がっているのだ。だとすると私の通った専門学校は、メインの講座の中に応用的な技術を盛り込んだ講座内容であったと思う。
では、そのIllustrator Photoshopの応用とは何であるのか。別にハイレベルなことを行うのではない。まず応用、すなわち使いこなすには、それぞれのソフトのツールやメニューについて知っておかなければならない。よくソフトの紹介で、「もう一個人が使いこなすには無理なくらいの機能が搭載されている。」などという文句を見る。あれは半分ホントで半分ウソである。というのも、私が一番信頼でき、なおかつ情報が満載された解説書として、宮川千春ほか『Illustrator Fan』毎日コミュニケーションズ 2002 があるが、あれでも410ページである。多いと思うかも知れない。しかし、ペンツールの使い方やオブジェクトの書き方など、個人個人が既に知っている情報をここから割愛していくと、おそらく全く新しく覚えなければならない情報は、個人差こそあれ、かなり少なくなっていくと思われる。つまり、Illustratorの全機能を知ることは、簡単ではないが、それほど難しいことではないのである。

次に重要なのは、個々の機能を知り得た上で、それらを組み合わせて描画することである。実際には、こちらの方が数段難しい。

さて、受講の感想だが、難しいことを習ったと思う。
私自身Illustaratorの機能についてはすべてとは言い切れないが、ある程度知っていて、それを実際の仕事で活かしていた。しかし、今回様々な作品を作ることによって、また別な発見があった。特にペンツールの使い方であるが、これは適当な位置でクリックして置くということが、ペンツールを使いこなせるという考え方の基礎にもなっているが、実際には、少ないクリックで線を描く方法を習った。Photoshopについては、DTPの現場では、せいぜい写真を補正するくらいの使い方しか使われておらず、その機能の大部分については、苦手意識を持つ人が非常に多いのだが、今回、Illustrator並みの描画から写真合成の基本まで習ったことが最大の収穫だった。

さらに上級の次があれば・・・・ぜひ行ってみたい。




マスクの定義

2005年03月09日 22時31分35秒 | Weblog
今日は暖かい日だった。同時に、花粉の飛散量が増加している。町を行く人もマスクを付けている人が多いし、公園で遊ぶ子どもに付き添った親もマスクを付けている人が多い。それ以前に、この花粉の舞う時期に外で遊んでいる親子に敬意を表すばかりだが・・・。

子どももマスクをつけている時がある。この種のマスクを付けるとなると、インフルエンザがはやる時期が多いが、あとは、学校給食の当番で、白衣を着て、帽子をかぶり、そしてマスクをつけていた

他にもマスクを付けることがあった。もっとも、私はその理由でつけたことがないが、あらためてテレビの映像を見てびっくりしたことがある。

5、6年前になるが、ウルトラセブンのビデオをレンタルビデオ店で借りて、集中的に見ていたことがある。通うのが面倒臭くなったのと、親からいよいよおかしくなったと思われて、それで見るのをやめたが、かなりの話数を見たと思う。見ていた理由は小さい頃に見て面白かったが、今見るとどうかということを考えたからだ。子ども向けの番組だけあって、30分だが、どうやって話を時間内におさめていたのかも気になった。不思議なことに脚本の破綻が少なく、見事にまとまっている話が多い。また哲学的な内容も多い。

さて、その中に子どもがマスクを付けて出てきたシーンがあった。今の子どもが見たら、大して気にならないだろうが、私はすごく気になった。なぜ?

それは時代背景にあった。
ウルトラセブンが作られた昭和40年代前半、日本はまだまだ高度成長期にあった。工業が右肩上がりで発展したその時代、公害も多く、環境汚染が激しかった。都市部に住む子どもたちにとって、マスクは大気汚染が原因となる喘息対策のための、通学時必需品だった。わずかな古いフィルムからも、時代の証言を得ることができる。

今ではさすがに大気汚染対策でマスクを付けている子どもはそういないと思う。でも、花粉症対策で付けているということは、マスクの用途についての定義が変化したというよりも、現代病の定義が変化したというべきかも知れない。




黄昏の西梅田

2005年03月08日 17時51分19秒 | Weblog
大阪市内の西梅田で撮りました。
都会の真ん中とはいえ、黄昏は結構きれいです。
実際に見た方が、ずっといいです。
今の時期は、ゆっくり夜になるという感じで、日が暮れます。
去年、仕事先でコピー取りをしていて、窓の外を見て、気づきました。

「ひとの仕事を笑うな」とはいうが・・・

2005年03月06日 23時52分36秒 | DTP/Web
少し前まで勤務していた会社で、自社ホームページをリニューアルする計画が出た。これまで内部の人間につくらせていたホームページを外注するという。私と一緒に仕事をしていた正社員さんたちの企画で、同業者のホームページに対して自分のところは見劣りするという理由からだが、どうも内部の人間同士で張り合っているようにも見受けられた。セクト争いにも似ている。

さて、社長の前でモニターを二台もちこみ、他社と自社のホームページにこれだけの差があることを示したあと、リニューアルの許可をもらい、各部署の関係者と打ち合わせを行うが、これが既得権益みたいな所からみんな発言するから、なかなかまとまらない。打ち合わせから帰ると、「あそこはこういう考え方」だとか「ここはこういう連中だから」みたいなことを、必ず言っている。印象的なのは、それまでホームページ担当だった人が反対したという。彼らの憶測では、担当者が仕事を失うから反対していると言っていた。

ある時期から、Web制作会社の人間を呼び出して、打ち合わせを行いだした。私も「知り合いでホームページを作ってくれるところはないか」と聞かれた。何人かの名前を挙げたが、会社の規模が小さいやらなんやらで、文句だけ言って却下された。もともと出入りの印刷屋さんの仕事を買いたたいたこともあって、印刷屋さんに嫌われているところもあったから、無理に友人達を紹介したいとも思わなかった。

それ相当の有名Web制作会社が出入りするようになった。

制作会社は、SEO(検索エンジン対策)やサイトを用いた経営計画など、いろいろ有益な提案をしたみたいだが、「どうせなんだかんだとやらせて金を取るだけだろう」と言って、取り合わない。いろいろスポイルしながらリニューアルだけが先行しているみたいだった。スポイルもやりすぎると、リニューアルの意味がなくなっていく。それ以上に、モチ屋(「餅は餅屋」から来ている)の提案を断って、なおかつ効果を挙げるには、発注する側に具体的なイメージが必要になってくるのだが、さっき書いたみたいに内部で様々な意見があるからまとまらない。

私はどちらかと言うと、印刷会社や制作会社の立場に近いアイデンティティを持っているから、極端に仕事を買いたたく会社が嫌いだった。あくまで「極端に」である。

あれからだいぶんと時間が経ち、今日そのホームページをのぞいてみた。少し変化しているみたいだが、なんか何も変わっていない。同業他社はトップページにFlashアニメーションを持ってきていて、ただの留め絵だったこちら側はかなり問題にしたが、今見ると、その絵すら小さく使われているだけ。更新したというアイコンが少し動いているくらいである。なにより、専門家に任せた割には、色使いが悪い。白地に黄色や薄い赤を使っている。「品格を重んじる」という言葉を実直に守りすぎていて、かえって「センス」という存在そのものがない。

つまるところ、あれこれやって、結局何も決まらなかったようにさえ見えるし、もしかしたら、4月1日に完全に変わるのかも知れない。しかし・・・、

あまり具体的には言えないのだが、生徒を集めなければならない商売だったので、今くらいの時期は非常に重要なはずだ。4月いっぴにサイトリニューアルなんかやってもほとんど意味がない。
どうなっているのか・・・・。

一年前の今日

2005年03月05日 23時27分25秒 | Weblog
一年前の今日、3月5日は金曜日だった。そして一年前の今日、専門学校のDTPコースを卒業した。
このコースには、半年通っていた。ライブの授業であり、先生の模範演技に続いて、私たち受講生が作っていくというコースだったけど、かなりスピードが早く、少し気を抜くとすぐに置いていかれるようなハードなコースだった。特に担当の講師の性格も現れるけど、私たちのコースの先生は、公立高校美術コースの非常勤講師もしている人だったから、すごく厳しい人だった。次までに課題を一定水準まで制作しておくことも宿題としてあった。なかなか思うように作れず、市販の解説書を見ても理解できるほどの知識も無く、通うのがすごくしんどいときもあった。理解しなければならないという気負いもあった。
Adobe Illustrator,Photoshop,InDesignなど、一通りの課題制作を行ったが、それでも自分の技術に自信が無かった。
その後、偶然にもDTPを使う仕事を得ることができた。やり始めた当初は少し勝手がわからなかったが、そのうちカンがついてきた。やはりこうした技術は現場で使わないと定着しないものなんだと肌で感じた。
あれから一年、その間にDTPの仕事をおこなうかたわら、Webの勉強もした。現在は専門学校で補えなかった部分、Macromedia FireWorksの勉強をしている。標準的な本を参考にしつつ、課題を制作しているが、この本でもまったくの初心者には難しいのではないかと思う。なぜなら、私自信がIllustratorやPhotoshopの操作をベースにして理解していくという方法を取っているからだ。
意味のない知識や経験などない。
そのことはこの一年ほどしてきたことから導き出した。まだまだやることはたくさんある。

ヒシモチカビ

2005年03月04日 22時15分53秒 | Weblog
昨日はひな祭りだった。妹がいるので、毎年ひな人形を出すが、あの人形屋に置いてあるような段飾りではない。段飾りの一番上のコンビだけである。どんな道具があるだとか、豪華何段飾りなどと言うけれど、これだけでも十分豪華だと思う。そこへ、今年は市販の菱餅を買ってきた。この菱餅も午前中の早い時間でないと買えないことが多い。それを飾っておいたのだが、サランラップをかけたままだった。こちらのほうがかびないと思っていたが、それが裏目にでて、内部に水滴がつき、青いカビのようなものがポツッとついた。たった一日で付いたのである。今日は特に寒く、暖房をいつもよりも利かせたのが悪かったのかも知れない

『ガンダムエース  2005年4月号』感想

2005年03月04日 18時18分54秒 | ガンダム
先の投稿とは別の内容になる。というより感想である。

安彦良和氏の「機動戦士ガンダム ORIGIN」では、ザクの原点といえるモビルワーカーが登場する。初期の試作品とも言えるロボットの手は、お約束とも言えるくらい二本指だが、このモビルワーカーは三本指である、当然足は短く設定されている。本当に作業機械だ。このモビルスーツの原点たるモビルワーカーを中心にして、ランバ・ラルや黒い三連星がいかにリンクしていくかがこれから描かれる導入部となっている。いつもながら、うまい筋書きである。
しかし、あのデザインからザクに発展するにはかなりの時間と技術が必要なのではないかと感じるのは私だけだろうか。

同号では、映画「ローレライ」の公開にあわせて、たくさんの特集が組まれているが、漫画の内容まで染まっている。いつも楽しみにしている「ガンダムレガシー」までこの内容に染まり、潜水艦の戦闘が描かれている。すこし染まり過ぎなのではないだろうか。

『ガンダムエース』(月刊誌 角川書店)

2005年03月04日 18時17分19秒 | ガンダム
大学に入ったころ、電車の中で漫画を読む会社員を見てみっともないと思った。つまらないことではあるが、漫画を読みながら座っている会社員の前に立ち、私は朝日新聞社の『AERA』を読んでいた。あの時は、あの週刊誌から得るものは大きかった。個人的に山一つをつぶして鉱石を取る「露天掘り」をもじって、最初から最後まで読むことを「露天読み」と呼び、それをあの週刊誌で行っていた。

ある時期から、面白い記事がないと感じ始め、拾い読みしかしなくなった。ある意味では、そこに書かれた現実を、突き放した虚構のごとくとらえ、面白がっていたからかもしれないところへ、現実が自分に降り掛かり、それがどうしようもなく絶望的なもの(例えば、失業とか、不況とか)として認知した時、それを直視し続けることが刺すような痛みとして感じ取ったからかも知れない。
そして十年以上たった現在は、電車の中で漫画を読むようになった。ふつうの人である。

さて、上記の雑誌だが、その存在を知ったのはなんと、朝日新聞の文化欄でこの雑誌と安彦良和氏のインタビューが紹介されたからである。かれこれ5年くらい前だったと思う。創刊号は手に入らなかったが、そもそも当時取り扱っている本屋が少なく、なかなか眼にふれなかったからである。当時は、季刊誌だった。手に入れたのは第二号からだった。その後、創刊号も手に入れたが。2年くらい経って隔月刊化、さらに1年で月刊化がされた。本屋に在職してい当時、社員やパート、バイトでこの漫画を買う人は多かった。
だが最近は、創刊時の熱意や工夫が薄れてきたように感じる。

個人的に読む漫画が限られてきたというのもある。『AERA』の二の前になるような感じがする。

書評:小森陽一『思考のフロンティア  ポストコロニアル』(岩波書店  2001年)

2005年03月03日 18時56分47秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
本書の読了は既に10日以上前であった。にも関わらず、ある種の違和感を感じることを禁じ得なかった。もともとその構成は、ポストコロニアルという概念の説明や学説の成り立ちを説明した内容ではなく、日本の近代以降の歴史に、ポストコロニアル的な概念がいかに受容されていったのかが描かれている。

本書は3部構成になっているが、「1  開国前後の植民地的無意識」は、西欧に追いつくことが西欧の思考概念そのものを身体化していくことと考えられたが、それは、西欧に従属していく過程であったことを指摘し、「2  植民地的無意識への対抗言説」で、そういった概念の受容や反発の表象を福沢諭吉や夏目漱石の作品を例にとって説明している。日本文学研究の専門家であるところの手腕が際立っている分析である。

しかし、私が最も違和感を感じたのは、「3  敗戦後の植民地的無意識」である。先の2と3の間の時間的な変化を考慮すること無く、2で語られた明治後期から一気に昭和20年以降に話が飛ぶのである。この間の時間における考察は、他に多くの優れた研究があることについては作者も認めている。しかし。中心に位置するポストコロニアルという概念については一本の筋の通った内容であっても、取り上げる具体例が戦前と戦後で全く違うことがわかり、沖縄、北海道、日米安保、天皇制と戦争責任など必ずしも、1や2で積み上げた事例を元にして書いている訳でなく、そこに違和感を感じるのである。

もっと詳しくいうと、天皇制と戦争責任に論じるにあたって、昭和天皇の戦争責任に関しては、多くの論者のごとく問題としているのだが、その合わせ鏡として(少なくとも本書の内部では)の明治天皇や大正天皇の戦争責任については論及していないのである。しかし、なぜこうしたことに私がこだわるのかと言うと、夏目漱石の『こころ』の中で、「明治の精神は天皇にはじまり、天皇に終わった」という重要な一節が存在する。そこから、近代文学の作家達の天皇に関する思考の枠組みを明らかに出来たのではないかと考えるし、もっと踏みとどまるべきだったと思う。

また、「ポストコロニアル」と「ナショナリズム」をどのように分けて定義するのかが見えないのも問題とすべきところである