tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

アンペイドワーク

2005年03月14日 23時39分58秒 | Weblog
母は専業主婦である。しかし家事万端ではない。もちろん、料理はうまいし、苦手としている裁縫もやってくれる。よく気が回る人で、家庭内の存在においては中心的な人だと思う。しかし、人間そうなんでもかんでも手際良くやれるものではない。昔、私が小学生くらいのころの夕食の開始時間は7時から7時半くらいだった。祖父の存在があったからだ。祖父がボケだしたころから、その夕食の開始時間がだんだんと遅くなってきて、いまでは8時半から9時くらいになる。私は別段何時になってもいいと思う。何よりも用意してくれるのだし、時々手伝うが、そんな労働量は彼女が行う総労働量のいくらにもならない。

妹も役所の非常勤職員として勤務している。公務員とはいえ、帰ってくるのは7時過ぎ。まあ充分に早いのだが。常々この遅い夕食時間に文句をいうときもあったが、今日は違って、母との仲が悪くなった。それ以上に母が泣いていた。

妹は、よろずだめな兄である私とは違い、成績もよく何でもかんでもきっちりとこなす人だった。いまでも休日になると、風呂を洗い、家中掃除機をかけて、私をかり出して半分をぞうきんがけさせ、洗濯を行い、時として菓子も作る。しかし、なんと言うか、生活を楽しむよりも半ばそうした仕事を義務的にこなしているのだ。

さっきもいったように、人間そうなんでもかんでも手際良くやれるものではない。彼女の「休日奉仕」もそんなもので、肝心の部分が出来ていないところはある。何よりもそういった完全労働を行った結果、昼過ぎから昼寝したり、夕方から頭が痛いとか言い出す。

さて、平日は帰ってきて何もしない。申し訳程度に言うと、私は風呂を洗ったり、食器の洗い物をしたり。

ちなみに、母の家事労働に関して、これだけの報酬などというものは存在しない。どこの家庭でも同じことだろう。しかし、貨幣換算されない労働は、評価基準にならないから、一番下に置くというのは、どうあっても間違いである。もちろん、評価すればいいというものではない。ただ、少なくとも何らかの感謝するという気持ちが無ければならない。あれば自然、どのような状態であっても、文句は出ないのだと思う。

妹は時々、こうしたことを繰り返している。もしかしたら、いつか彼女、つまり妹自身の身の上に降り掛かるのかも知れない。それ以前に、物事なんでもかんでも、そして誰でも手際良くきっちり出来ないことの方を気づいてほしいのだけど。少なくとも母はそのことを充分に知っているから、家の中心的な人物でもある。