tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

マスクの定義

2005年03月09日 22時31分35秒 | Weblog
今日は暖かい日だった。同時に、花粉の飛散量が増加している。町を行く人もマスクを付けている人が多いし、公園で遊ぶ子どもに付き添った親もマスクを付けている人が多い。それ以前に、この花粉の舞う時期に外で遊んでいる親子に敬意を表すばかりだが・・・。

子どももマスクをつけている時がある。この種のマスクを付けるとなると、インフルエンザがはやる時期が多いが、あとは、学校給食の当番で、白衣を着て、帽子をかぶり、そしてマスクをつけていた

他にもマスクを付けることがあった。もっとも、私はその理由でつけたことがないが、あらためてテレビの映像を見てびっくりしたことがある。

5、6年前になるが、ウルトラセブンのビデオをレンタルビデオ店で借りて、集中的に見ていたことがある。通うのが面倒臭くなったのと、親からいよいよおかしくなったと思われて、それで見るのをやめたが、かなりの話数を見たと思う。見ていた理由は小さい頃に見て面白かったが、今見るとどうかということを考えたからだ。子ども向けの番組だけあって、30分だが、どうやって話を時間内におさめていたのかも気になった。不思議なことに脚本の破綻が少なく、見事にまとまっている話が多い。また哲学的な内容も多い。

さて、その中に子どもがマスクを付けて出てきたシーンがあった。今の子どもが見たら、大して気にならないだろうが、私はすごく気になった。なぜ?

それは時代背景にあった。
ウルトラセブンが作られた昭和40年代前半、日本はまだまだ高度成長期にあった。工業が右肩上がりで発展したその時代、公害も多く、環境汚染が激しかった。都市部に住む子どもたちにとって、マスクは大気汚染が原因となる喘息対策のための、通学時必需品だった。わずかな古いフィルムからも、時代の証言を得ることができる。

今ではさすがに大気汚染対策でマスクを付けている子どもはそういないと思う。でも、花粉症対策で付けているということは、マスクの用途についての定義が変化したというよりも、現代病の定義が変化したというべきかも知れない。




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