tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

ネットを通じて知る他人と自分の「消息」

2005年04月15日 22時17分24秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
インターネットが普及してこのかた、今では会わなくなったような人でも、その消息がわかる時がある。

検索エンジンでその人の名前を入れると、ヒットすることがある。同姓同名の人がいて、運動嫌いだった人が、マラソン大会に出たとか、陸上競技の選手になりましたと出てくると、自分の知りたい人でなくとも、笑いを誘うことがある。ちなみに自分の名前を入れてみると、2000年に行った調査実習報告書のメンバーの名前として出てくるし、検索システムによっては、私が執筆した報告書の本文まで出てくる。

予備校時代の友人は、山口の大学を卒業後就職して、そのうち大阪で会おうという話を実行に移す段階になって、東京へ転勤が決まり、アメリカへ研修にいったりしていたが、数年前に転職したらしい。もともとどこの企業に勤めているのかは何も聞かせてくれなかったし、どんな仕事をしているのかを聞いてもはぐらかされていたから、詳しく聞こうとも思わなかった。去年の暮れに、彼の名前を入れてみたら、楽天の本社のホームページにつながり、ある部門の責任者として活躍しているようだった。同姓同名ではない。なぜなら、顔写真入りで登場したから。

昔、好きだった人の名前を入れてみたこともあるが、皆さん、ありふれた名前の方ばかりで(失礼!)、特定などできたものではない。

この時期は、よく大学のホームページを見ることがある。新任教員のページなどをよく見る。大学というところは、非常に教員の出入りが激しい。その点においては、転職でステップアップを図るようなIT業界とそれほどかわることはない。今年は、その中で「あんたなじめるのかなあ」という人が、私の在籍した学科に教授として入ってきた。というのも、私のいた学科の先生方はマルクス系の思想を持った人々が多く、非常にアクの強い人が多かった。それ故に私個人なじめなく、修士課程の2年間で修了した。そこへ全く正反対の思想を持った人が入ってきた訳だから、ビックリした。

昔、大学院生だったころに知り合った友人達の異動を見ていたりするのだが、こちらはほとんど動きがない。第一、いま大学の教員になることは、すごく難しい。これを見ていると、稀に「へー、あの人どこそこの大学の専任講師になったの」という発見もある。総じて、私の居てた社会学の世界では近年、数量系(数理社会学や社会階層論)の研究を中心に行っている人の就職が決まりやすい。ついでに言うと、私が最後に決めた研究分野が「19世紀フランス写実主義に見られるジェンダーとその波及について」という文化研究とも社会学とも、フランス文学ともつかぬ分野だったから、この先、芽が出ない(大学関係の就職が決まらない)と思って院生としての研究から足を洗った。

おかげで、資料へのアクセスが悪くなったし、情報もあまり得られなくなった。それをみて「あー、俺も終わりだな」と思ったけど、探そうと思えばそれなりに集まるような部分もある。生活のために仕事をしながらその傍らで行う研究になったけど、これから本番の部分がある。

研究者の文章は、「調べて『考察』し、書いた文章」というのが求められる。でも、実社会で求めれたのは「調べて書いただけの文章」という簡単なものだった。実は、この考察した文章というのがすごく難しくて、コンスタントに書ける人は本当に少ない。私も大勢の中の一人だ。

だから、最近は研究者でもない私の書く文章として、「調べて、書いただけの」文章」でもいいのではないかと思っている。それで本当に喜んでくれる人もいるし、その行動がよくわからないという人は、橋爪紳也『大阪モダン』(NTT出版 1996年)を読んでほしい。言うことの意味がよくわかるはずだ。

まだそれでもわからない人もいる。それが研究者なのだろう。

このあいだ、あるメディアの研究者が、新聞でブログが自分のことを日記で語りたいという人間達の行動の総体であり、他人の日常を知りたいという人間達がいてはじめて成り立つ形式であり、社会変革にはほど遠く、閉じた世界であると書いていた。(朝日新聞4月14日夕刊) しかし、ブログはそのコンテンツ次第でまだまだ変化する可能性はあるだろうし、それ以上に、Webを作る我々には「Webはこれから本番ですよ」という認識以上の、作り手としての共通の理解がある。その点で、私の立っている位置は、メディアの外側に立つ研究者よりも内側に立つ制作者なのだ。

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