tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

あの頃一緒にがんばっていた友人たちに思う

2009年06月21日 19時07分32秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
今現在の仕事は、日曜と月曜が休みなので、月曜の夕方、かつて聴講生として通っていた大学の大学院演習に入れてもらっている。これも懐の深い指導教官のおかげだ。昔通った時期に共に勉強した友人達は旧帝国大学の大学院の卒業生だから、人によって時間的な差はあれども、どこかの大学の教員となって全国に散らばった。結構な話である。

また、当時も共に勉強した仲間で何人かは、そのままオーバードクターとして大学に残っている。やはり人によって差が生じる事であるから、これもまた考えられる事だ。彼らはもともと論文を書いたり、発表したりすることに淡白であったから、自分を語るツールは極端に少なく、それが生み出した当然の待遇、と言えばそれまでだ。ただ、彼らは最近論文を積極的に書こうとしており、その研究成果が徐々に実を結びつつあることだ。長い時間はかかっても、必ず研究成果を提示する。そういった底力を持っている友人を得たことに誇りを思う。

私は私立大学の修士過程を出た。大学教員の就職は極めて厳しいポジションにある大学である。そもそも社会学は極端に大学教員としての就職が難しい分野でもある。とはいっても、仏文学や独文学ほどではないが。その頃出会った友人も就職は決まらないし、まして、論文を書くという研究成果の公表にも、これまた淡白であるから、いったいどういう状況にあるのか皆目検討が付かない。

さて、話は変わるが、一ヶ月前に関西社会学会があった。ちょうど新型インフルエンザの影響で、どこの大学も休校状態だったが、その中の強行である。結果、懇親会は取りやめになった。

学会ではポスターセッションという部会(?)がある。壁に自分の研究内容を印刷したものをはり、その前に集まって来た人々に説明するものである。この詳しい説明は、http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/post/poster.htmlで見てもらったら良いかも知れない。

私立大学大学院時代の知り合いが、ブースを出していたが、人はガラガラであった。遠目に見ていたが、やはり声がかけにくいのである。あの前に人を呼ぶには、学会の動員数が比較的多く、発表者にもそれ相当の「営業力」が必要になるのだろうが、たいていの院生はそれを持っていない。最後まで声がかけにくかった。

関西社会学会は、それほど多くの人間でにぎわうような学会でもない。残念だが、これは現実である。あるとき、私は友人の発表を聞きにある部会の部屋に入った事があったが、その部屋は、発表者以外の聴衆は、実に私一人だったこともある。

せっかく発表するのである。こんな学会だから、吹きさらしのロビーで掲示物前にいつ来るか分からない聴衆よりも、一定量聞き手が集まった各部会で発表する方がずっと有益だと思った。なぜか、私の出た私立大学の友人達は、難しい発表の形式を選ぶのである。

ここ1年ほど、私は自分の研究成果を大学生協が出す同人誌に発表している。

「あれは、研究成果とは言えないね。雑誌の位置づけは研究誌ではないし。」と人から陰口を言われているかも知れない。ソシオロジに入会した当初、ある友人は研究職についているわけでもなく、大学院生でもなく、一介の勤め人だった私のポジションをみて言った。「書くのは良いが、モノがきになるんだな」結構な屈辱であったと思う。

ソシオロジという、書いたものを発表する場を確保しながら、なかなか書き出せなかった私がテーマを見つけて、ようやく書き、「おそらく査読に落ちるだろう」と思ったが、掲載が決定し、すでに二回載ったのが先の同人誌である。私は少なくとも「書かないよりまし」という気分でいる。確かに大層な社会学の理論家の概念を援用して書いている訳でもない。それでも一定の自負はある。

こうして書いたものを、やはりまた別の友人のところへ送った。かれ(かのじょ)は長く病気療養で論文は書ける状態にないはずだ。一回目は丁寧な礼状が届いたが、二回目はプレゼントと称したハンカチを頂いた。少なからず私は動揺し、別のハンカチを用意して、返礼を送った。少し重荷になったのかも知れない。もしかしたら、かれ(かのじょ)の中で、大学院という場に籍を置きながらも、研究というのは「終わった」ことなのかもしれない。

色々書いたが、これは、京都大学の太郎丸先生が書かれたブログ(2009年3月31日)の内容(http://sociology.jugem.jp/?month=200903)以前の問題なのである。

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