tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

書評:竹内洋『丸山真男の時代』(前編)

2006年03月17日 22時51分50秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
(書誌データ:中公新書 2005年11月)

戦前の自由主義者や戦争に反感の姿勢をもった研究者の大部分は、その社会のあり方そのものに強い反感を持った。戦後、まさしく錦の御旗を持った勢いで、そうした学者の大部分は、ファッショ化したつい昨日までの日本を批判し、かつて自分たちを排除しようとした右翼的勢力を逆に排除すると行為にでる。その結果、「あいつは戦争遂行の発言をおこなった」とか「軍に積極的に参加した知識人」というラベリングを行い、アメリカの資本主義の傘下に過ぎない自由の旗の下で、様々な自由主義の研究会や共産党の集会が行われたが、そうした「民主主義」(?)的な潮流のなかで、あるものは断罪され、あるものはひっそりと時代の中核をなした思想の中心から退くのである。

しかし、そうした人々を賛美した周囲の人間はせこくも、「ああ、熱病のごとくあんな思想にもかぶれたね」と言うように回顧しては、自分には何の責任もなかったような顔をして、日々を送っていったのである。わずかな人々、特に私個人が記憶する橋川文三というひとを除いては。

誰かが退けば、誰かかそのポジションに着く。思想家の世界も同様である。そのように考えると、こうした思想界のヘゲモニー争いにおいて、丸山真男という日本政治思想史研究家は、戦争が終結すると同時に、あの戦争を遂行した多くの人間が、無責任の総体であることを指摘し(「超国家主義の論理と心理」)、注目されるのだが、見直せば、ただそれだけの、いわば時流に乗って発言し、学問という「界」の非常に高いポジションについただけの人ではなかったのかという疑問がわいてくる。そんな疑問を持っていると、去年の11月に出された本書を読まないわけにも行かなくなった。

「ためらった」と言うのは事実である。特に筆者の授業を京都大学で受けたことのある身としては。よどみなく流れてくる歴史的な話は、聞くものをひきつける。私自身は、作者のこれまでの研究を繰り返して読んでは自分のものとしているが、それ自体が非常に危険と思うことがある。歴史を論ずると言うのは、具体例として提示することが可能であり、物事を疑うことなくして信じさせることのできる一種の麻薬でさえあるからだ。その点に留意しながら読んでいこう。

本書の始点は、戦中丸山が目撃した東京帝国大学に対する言論的暴力が行われたところから始まる。その過激さは、蓑田胸喜という帝大卒の民間学者によって推進されるのだが、最終的に帝国大学の右傾化が完成すると主に、言論の表舞台から排除される。戦後は勿論先に書いたとおりだ。

戦後の「リベラルな」思想の順風を受けた丸山たちは、「知識人による大衆啓蒙」という行動に出る。しかし、時代の流れともに、大学紛争というかつてのファシズムにもにた運動の発生に伴い、挫折することになる。しかし、彼らに何の非も無かったのか。実は、ここが神格化された丸山個人を批判する突破口となるのだが、それは次回に送りたい。

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