広島一敷居の低いインテリアコーディネーターのここ20年間の記録。

うっかり木工所に嫁いでから走り抜けた20年の記録。気づいたら、医療系から転身してインテリアのプロになってましたとさ。

ブログコラボ:市民球場の思い出

2008-07-23 08:33:07 | 子育て
先日の「バスじいちゃん還暦」にはたくさんのお祝いのコメント
ありがとうございました。

連休を使って、お祝いの宴in城崎温泉に行ってきました。
昨日、広島に朝帰り。
そのまま保育園に直行という強行スケジュールをこなし
さすがに親子ともどもクタクタです(苦笑)
さらにイベント直前でクタクタ度急上昇中・・・。

というわけで
旅の話はまた落ち着いてから書くとして。

水曜日はブログコラボの日。
今週のお題は、「市民球場の思い出」


中国新聞ALL-INエッセー大賞に応募して
落選した作品、そのまんま、ここで日の目をみせるとしませう(笑)

ちなみに、エッセー大賞、第1回、第2回と今のところ連続落選中。
懲りずに第3回にも応募してやる~!!


___________


「私と広島市民球場」

私が市民球場で最初に観戦したのは小学校1年生の夏休みだった。
それは初めての一泊家族旅行だった。
私の実家は大山(鳥取県)のふもとで、
全人口をかき集めても4千人ほどしかいないという寂れた過疎の町。

そんな田舎者の私の初観戦の思い出といえば、
とにかくたくさんの観客にびっくりしたことと、
スタンドに舞い散る紙吹雪だった。

3歳下の弟は地面に落ちる紙吹雪を拾っては投げ、
拾っては投げして無邪気に楽しそうだった。

そして私は、田舎の高校を卒業すると、
都会に憧れて広島の大学に進学した。
広島市民となり再び球場に足を運んでみると、
唯一記憶に残る紙吹雪は禁止になっておりがっかりしたものだ。

それから何度か観戦に行くうちに
すっかりカープのとりこになった私がいた。
大学を卒業すると、地元に帰って来て欲しいという両親の希望を
叶えることなくそのまま広島で就職した。
その頃にはそれはすごい熱の入れようで、
残業さえなければ足繁く球場に通った。

そのうち、次第にライトスタンドでの応援仲間の輪が広がり、
待ち合わせの「シージーシー」の看板の下に行けばいつも誰かがいた。
多い日は30人以上でメガホンを叩き合って
勝利の歌「宮島さん」を熱唱したりもした。

そうしてすっかり広島での生活に馴染んだ私は、
とうとうこの街に骨を埋める事となり、
結婚式の2次会では、おしゃれなレストランに似つかわしくない
真っ赤なハッピやユニフォーム姿の面々たちが押し寄せて、
大声で歌って盛大にお祝いしてくれた。


あれから早いもので6シーズン。
子育てと日々の生活に追われすっかり球場から足が遠のいているうちに、
仲間たちの中には父となり母となったものも多く、
連絡先も変わってしまい皆が散り散りになってしまった。

この夏、通いなれたライトスタンドのあの看板の下に、
また、皆でなんとか集結できないものだろうか。

市民球場最後の夏は今年しかない。





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コメント (5)
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