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禁じられた遊び

2020年05月22日 | 学校のこと
先日、友人の「みの」と会った。
「みの」とは小学校からの友人だ。
年に数回くらいしか会わないが、今回は仕事がらみである。
小学校の4・5・6年の3年間同じクラスだったが、同じクラスではない1・2・3年生の頃から仲が良かった。
私は、小学校は地元の小学校ではなく隣の千葉県市川市にある私学の小学校に通っていた。
なので、あちこちから生徒は通ってくる。
みのとはそんな通学路で一緒の友人であった。
西船橋、という駅がある。
JR(当時国鉄時代もあり)総武線や武蔵野線、京葉線と地下鉄の乗り換え駅だ。
人が行き交うだけの乗り換え駅。という当時の西船橋のイメージしかないが、僕とみのはその西船橋駅内が放課後の遊び場だった
僕は西船橋から地下鉄東西線に乗って帰る。みのは武蔵野線に乗って帰る。
ちょうど西船橋は別れ際の駅だ。
何をして遊ぶというか、遊びという遊びはない。
ただ駅をうろついているだけだった。改札の駅員さんがリズム良く切符を切る音を聞いて、駅員さんにやたらと定期券をみせびらかし改札を出たり入ったりしたり、ミルクスタンドのおばちゃんと話したり、おばちゃんから当時流行った「牛乳のキャップ集め」からのメンコ「キャップメン」のキャップを貰ったり、キヨスクのおばちゃんと話したり、立ち食いそばの前で架空の「飲み屋ごっこ」をしたり、ホームの端っこで、やってくる電車の車掌さんを出迎えたり、平和な日々だった。
ある土曜日の昼下がり、みのが「おれ本当に立ち食いそばでそばを食べる」と言い出した。
当時の土曜日は「半ドン」半日授業だった。
みのがとうとう憧れの立ち食いそばを食すという。
「買い食い」はご法度である。誰かに見られ、先生にそのことがバレたら、「朝の会」でクラスのみんなの前で吊し上げだ。





それでもみのの決意は固かった。
僕は早く帰って、「女の60分」やら「グラハムカーの世界の料理ショー」やらテレビを見ながら昼を食べたかった。
ドキドキしていた。
友人が遠くへ行ってしまう気がした。
少年特有のマッシュルームカットが似合うみの。エレクトーンが上手なみの、「キャプテン翼」のタイガーショットを一生懸命練習していたみの、寺尾聡の大ファンだったみの。
みのが僕から離れて大人になってしまう。ような気がした。
その時だった。
店のおばちゃんが、「あんた達、まだ早いよ」といってみのを諫めてくれた。
道を外しそうになった僕らを止めてくれた立ち食いそばのおばちゃん。
おばちゃんフォー・エバー。
すみませんと行って走り去る2人はなぜか少しホッとしていた。ような気がした。

数日後、みのと下校中に本八幡駅にあるカレーショップの前を通った。
「そのうちC &C(カレーショップの店名)でカレーを食おうぜ」
みのは大人になる事をやめないのだなと、子供ながら思った。

2ne

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2 コメント

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Unknown (床宗)
2020-05-22 22:32:26
葛西王子の頃ですね。
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Unknown (tunesanpo1974)
2020-05-23 11:28:29
そうです。王子時代を懐かしく書いてみました。
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